『鉄道シリーズ』その250。コロナウィルスによるstay home週間ということもあり、家にいる時間が大幅に増加した。一言でいうと暇を持て余し、以前にブログに書いた昭和39年9月号に引き続き、復刻版時刻表昭和39年10月号も買い、当時を懐かしむことにした。まあ、不要不急の本ではあるが、私の趣味は全て不要不急なのでお許しを。
昭和39年10月というと私は6歳3か月、まだ幼稚園に行っていた頃でとにかく新幹線は子供達の憧れの的、私が初めて新幹線に乗ったのはたぶん翌年の夏、京都に里帰りした頃だろうと思うが、その時は気分が高揚し、ビュッフェのスピード表示に驚いたことは微かに覚えている。
本題に戻り、新幹線の当時と50年以上経った現在の比較をしてみたい。まずはスピード、新幹線は開業時には東京〜新大阪を3時間10分では走らなかったことはご存知だろうか。最初は慣らし運転ということもあり、東京〜新大阪が4時間、ただ、最高速度は210km/hだった。因みに現在では東京〜新大阪を2時間22分、最高速度は285km/hと100分程度も縮めているのである。
次に本数だが、当時は東京〜新大阪のひかりが14往復、こだまが12往復、区間運転が4往復、計30往復つまり60本で1時間にひかり1本、こだま1本程度であった。因みに今は1日平均373本、1時間あたり最大片道15本であるから単純に6倍以上、想像できないくらい増えている。
新幹線の駅であるが、開業時からあるのは東京、新横浜、小田原、熱海、静岡、浜松、豊橋、名古屋、岐阜羽島、米原、京都、新大阪の12駅、その後5駅が開業して現在は17駅となっている。新駅は全て名古屋以東であり、滋賀県の米原〜京都間に南びわこ駅(仮称)を建設する動きがあったが、これも実現していない。開業時のひかりの停車駅は東京、名古屋、京都、新大阪の4駅のみであり、現在ののぞみの停車駅6駅よりも少なかったのである。
開業当時の時刻表には沿線の主な鉄橋やトンネルが載っていて通過するごとに確認ができるようになっていた。また、その図には東京からの距離も出ていて一目で分かるようになっているのが面白い。
当時は新幹線全列車が全車指定席であった。また、新幹線開業時に作られた新駅は新横浜、岐阜羽島、新大阪の3駅で新横浜は横浜線、新大阪は東海道本線と在来線への乗り換えができたが、岐阜羽島は国鉄の連絡線はなく、周りも閑散としていたのである。因みに今後可能性がある新駅は相模原市寒川付近くらいのものである。
最後にぷち自慢、実は昭和39年10月号の時刻表は実物を持っているのである。(高校生の頃に6000円で買った)それを見ると新幹線開業の記事には『翼のないジェット機』などと書かれていて、しかも当時の第一銀行、富士銀行、日本興業銀行のそれぞれが広告掲載しているのに気づいてとにかく懐かしかった。当時から興銀はキューピーだったのである。
(因みに復刻版には広告はないので悪しからず。)