
『東京の坂、日本の坂』その158。小金井市の坂②、滄浪泉園を出て右に曲がる。細長く、ジグザグの坂道が『弁車の坂』。

元々は滄浪泉園の池の流出口にあった水車小屋に通じる坂道で水車の所有者が弁次郎という者であったため、水車を弁車、坂を弁車の坂と呼んだと言われている。

坂の下の方は細くなり車は通れない。坂下の薬師通りと呼ばれる道を右に曲がり、新小金井街道を立体交差で越える。くぐったところで数段登り、新小金井街道から左に登る坂道が『荒牧坂』。実にわかりにくく何回も周辺を探す。名前の由来は近くに荒牧橋や荒牧遺跡などもあり、この地区が呼ばれていたものどあろう。


再び坂を降りて薬師通りを行くと右手の方に登る坂道がある。20mほど先は直角に左にまがるが、この坂が『さわらび坂』、新しい坂道で近くの保育園がさわらび保育園と付けられたことが由来。


薬師通に戻り、ジリジリ照りつける太陽の下、汗を掻きながらも歩く。
右手に真明寺と貫井神社が現れる。由緒のあるお寺のようだが、本堂は新しく、手前の池はハケの下に作られ、湧水が満たされている。隣には貫井神社、さらに坂の上にはもう一つ神社がある。


ふと気づくと道端の綺麗な紅いアジサイが美しい。

少し行くと左右に交叉する坂道が現れるが、『くらぼね坂』。


国分寺市と小金井市の境になる道でかつては赤土の急坂、鞍(馬)でも骨を折るところから付いた名前。くらぼねには断崖が連続した段丘崖を意味するという別の説もある。


くらぼね坂を降りると野川が流れていて、国分寺側はここで大きく左に曲がっている。私は鞍骨橋を渡り、川沿いにしばらく橋巡りをすることにした。(以下、次回)