『大正、昭和の建築物を訪ねて』その8。今回は神田編。神田も戦災で焼け残った一角がある。まずは地下鉄銀座線神田駅で降りて須田町方面に歩く。
この辺りはかつて国電万世橋駅があった辺りで昭和40年代までは都電の数多くの系統が乗り入れており、栄えた場所である。
6番出口を出て左斜め方向に大通りを渡ると『鷹岡株式会社東京支店』のビルが見えてくる。鷹岡株式会社は本社が大阪にある羅紗問屋でこの建物は昭和10年に建築された。一階部分は御影石で作られていて洒落た建物である。
一本裏には『山本歯科医院』の建物がある。元々近くで開業していたが、関東大震災で被災、震災復興として昭和3年この地に作られたもの。右から左に名前が入っているだけでなく、菱形のタイルが埋め込まれるなど時代を感じさせる。そばによると『神田區須田町一丁目三番地三』というホーローの住居表示板があった。
路地を抜けるとまず『ぼたん』(鶏すきやき料理店、昭和5年)、お隣は『いせ源』(アンコウ料理店、昭和7年)がとなり合わせに立つ。
向かい側には『竹むら』(甘味処、昭和5年)。竹むらの六角のつり燈籠に『志るこ』の文字は素晴らしい。看板も墨で書かれていた。
他にも『山田歯科医院』や『けむり』など懐かしい建物が並び、新しいビルも幾つかはあるが、レトロな建物の存在感に威圧されている不思議な一角。惜しむらくは『かんだ藪蕎麦』の建物が火災でなくなったことだろうか。(前の店のことは以前のブログに書いたことがある)
しかし、やはりこの地区の建物で最も風格があるのは表通りに面した『神田まつや』だろう。大正14年築の木造2階造りで玄関の看板や吊り燈籠も素晴らしいものである。もちろん、蕎麦も美味い。(以下、次回)