フィリピン最後の夜はマニラのホテルです。
ここ最近の海外旅行はホテル泊りばかりでしたが、今回のフィリピン旅行では20日程を久しぶりにヨットで寝泊まりしました。
今回台風で2日間陸上に避難した時も感じた事ですが、ヨットで寝泊まりする方がホテルより遥かに寛げます。
特に今回はオーナーである近藤氏がアパート暮らしをしていたのでヨットを自分のヨットの様に使わせて貰えました。
これはキャンピングカーの旅も同様ですが、外食しか出来ないのと自炊も出来る事の他にいちいち出かけ無くてもお茶も飲める事。
その分水を運んだりしなければなりませんが適度な運動になります。
今回の旅の目的、目標と言う面では、フィリピンの島々をクルージングやダイビングする他に長くフィリピンの島々をクルージングした経験から近藤氏に泊地の選び方や水や食材の入手方法を実際に体験し、今後のヨット生活をより充実出来る様になって貰いたいと考えていたんですが殆ど思い通りにはなりませんでした。
これは一番に季節の選択ミスで新築予定の家の事もあり、私の焦り過ぎで季節の変わり時をギリギリした事に始まります。
地球全体の季節の変化を考慮してたら、、、もしも再度計画を建てるならフィリピン旅行は1月初めから3月中旬にします。
去年近藤氏が12月にフィリピンに着いた時も雨の日が続いたそうですから乾季の訪れが遅れてるようなのです。
今年も北東モンスーンが始まったのは台風が過ぎた12月6日で安定したのはそれから3日ほど後でしたから以前私達がフィリピンに居た頃より1ヶ月位季節が変わるのが遅れています。
そんな事を温暖化と考えると、雨季が始まるのも早まっている可能性がありますから3月中旬を目途にした方が安心です。
フィリピンの乾季は北東モンスーンが吹いて涼しく、海水の透明度も上がり雨は殆ど無く病気の発生も少なく何をするにも適しています。
旅を成功させる第一は天気だと言う事を改めて思い知らされました。
さて今日はヨットマハリン3で最後の朝食を食べて出発準備。
準備が終わった頃に近藤氏がいつもより早い出勤。
一緒に毎日の様に世話になったサービスボートで上陸
近藤氏に見送って貰って九時15分発の高速船は一人300ペソ、75分でバタンガス到着。
マニラ行きバスは一人200ペソ足らずでしたからプエルトガレラからマニラは500ペソ足らず。
行く時はシーカットで1000ペソ払ったので半額で戻れた事になります。
バスの終着駅で降りたら前にフィリピンのハンバーガーチェーン[ジョリビー]があったので、休憩を兼ねて簡単な昼食。
タクシーを交渉してシティステートタワーホテルまで3.5キロを150ペソでした。(400ペソと言ったドライバーも居た)
ホテルに荷物を置いて近くの大きな公園へ野鳥を探しに行ったけど、物凄い人出でスズメしか見ませんでした。
フィリピンはサトウキビ位しか産業が無い国ですが、子供や若い人達の割合はめちゃくちゃ多いから、これから先は人を輸出出来ると思います。
日本の老人が見ると羨ましい光景でした。
夕食を食べるレストランを探し回って、ホテルに戻ってシャワーを浴びて夕食に。
昨日、一昨日と食べ過ぎたからか二人とも昼飯も軽食だったのに余り空腹を感じないので、ホテルから近いロビンソンショッピングセンターへ。
そこのフードコートで天丼を食べてスーパーで少し余ったお金を使い切って買い物。
もう残りのフィリピンペソはホテルに預けてる保証金の千ペソだけです。
これで空港までのタクシー代を払い、空港で朝食を食べると、丁度無くなる金額です。
先程スーパーで写した写真ですがフィリピンは本当に物価が高く、フィリピン人は可哀相です。
例えば日本では殆ど売って無い昔の単三や単4の乾電池が4本で172ペソですから380円程します。
アルカリ乾電池だと日本なら100円ショップで売ってるのは4本か6本入ってますが、フィリピンは二本入が151ペソですから335円もしてる事になります。
給料が日本の1割も無い国なのに、どうしたら生活出来るのか心配になります。
久しぶりにフィリピンに来て物価が高い高いと何度も書きましたが、今フィリピンを離れる時になって気付いたのは、、、
今回フィリピンに来て両替したお金は二人分で7万円だけでした。
特にお金が掛かる様な事はしませんでしたが、ヨットで住んで前半は殆ど自炊だったからこの様な結果になったと思います。
私達がホロホロ三世で長くフィリピンに居た頃も1ヶ月10万円位でしたから、日数から考えると同じ位になったのが不思議でなりません。
なんでかなぁ、、、
ここ最近の海外旅行はホテル泊りばかりでしたが、今回のフィリピン旅行では20日程を久しぶりにヨットで寝泊まりしました。
今回台風で2日間陸上に避難した時も感じた事ですが、ヨットで寝泊まりする方がホテルより遥かに寛げます。
特に今回はオーナーである近藤氏がアパート暮らしをしていたのでヨットを自分のヨットの様に使わせて貰えました。
これはキャンピングカーの旅も同様ですが、外食しか出来ないのと自炊も出来る事の他にいちいち出かけ無くてもお茶も飲める事。
その分水を運んだりしなければなりませんが適度な運動になります。
今回の旅の目的、目標と言う面では、フィリピンの島々をクルージングやダイビングする他に長くフィリピンの島々をクルージングした経験から近藤氏に泊地の選び方や水や食材の入手方法を実際に体験し、今後のヨット生活をより充実出来る様になって貰いたいと考えていたんですが殆ど思い通りにはなりませんでした。
これは一番に季節の選択ミスで新築予定の家の事もあり、私の焦り過ぎで季節の変わり時をギリギリした事に始まります。
地球全体の季節の変化を考慮してたら、、、もしも再度計画を建てるならフィリピン旅行は1月初めから3月中旬にします。
去年近藤氏が12月にフィリピンに着いた時も雨の日が続いたそうですから乾季の訪れが遅れてるようなのです。
今年も北東モンスーンが始まったのは台風が過ぎた12月6日で安定したのはそれから3日ほど後でしたから以前私達がフィリピンに居た頃より1ヶ月位季節が変わるのが遅れています。
そんな事を温暖化と考えると、雨季が始まるのも早まっている可能性がありますから3月中旬を目途にした方が安心です。
フィリピンの乾季は北東モンスーンが吹いて涼しく、海水の透明度も上がり雨は殆ど無く病気の発生も少なく何をするにも適しています。
旅を成功させる第一は天気だと言う事を改めて思い知らされました。
さて今日はヨットマハリン3で最後の朝食を食べて出発準備。
準備が終わった頃に近藤氏がいつもより早い出勤。
一緒に毎日の様に世話になったサービスボートで上陸
近藤氏に見送って貰って九時15分発の高速船は一人300ペソ、75分でバタンガス到着。
マニラ行きバスは一人200ペソ足らずでしたからプエルトガレラからマニラは500ペソ足らず。
行く時はシーカットで1000ペソ払ったので半額で戻れた事になります。
バスの終着駅で降りたら前にフィリピンのハンバーガーチェーン[ジョリビー]があったので、休憩を兼ねて簡単な昼食。
タクシーを交渉してシティステートタワーホテルまで3.5キロを150ペソでした。(400ペソと言ったドライバーも居た)
ホテルに荷物を置いて近くの大きな公園へ野鳥を探しに行ったけど、物凄い人出でスズメしか見ませんでした。
フィリピンはサトウキビ位しか産業が無い国ですが、子供や若い人達の割合はめちゃくちゃ多いから、これから先は人を輸出出来ると思います。
日本の老人が見ると羨ましい光景でした。
夕食を食べるレストランを探し回って、ホテルに戻ってシャワーを浴びて夕食に。
昨日、一昨日と食べ過ぎたからか二人とも昼飯も軽食だったのに余り空腹を感じないので、ホテルから近いロビンソンショッピングセンターへ。
そこのフードコートで天丼を食べてスーパーで少し余ったお金を使い切って買い物。
もう残りのフィリピンペソはホテルに預けてる保証金の千ペソだけです。
これで空港までのタクシー代を払い、空港で朝食を食べると、丁度無くなる金額です。
先程スーパーで写した写真ですがフィリピンは本当に物価が高く、フィリピン人は可哀相です。
例えば日本では殆ど売って無い昔の単三や単4の乾電池が4本で172ペソですから380円程します。
アルカリ乾電池だと日本なら100円ショップで売ってるのは4本か6本入ってますが、フィリピンは二本入が151ペソですから335円もしてる事になります。
給料が日本の1割も無い国なのに、どうしたら生活出来るのか心配になります。
久しぶりにフィリピンに来て物価が高い高いと何度も書きましたが、今フィリピンを離れる時になって気付いたのは、、、
今回フィリピンに来て両替したお金は二人分で7万円だけでした。
特にお金が掛かる様な事はしませんでしたが、ヨットで住んで前半は殆ど自炊だったからこの様な結果になったと思います。
私達がホロホロ三世で長くフィリピンに居た頃も1ヶ月10万円位でしたから、日数から考えると同じ位になったのが不思議でなりません。
なんでかなぁ、、、