ゴジラ の初代スーツアクターが酒田市出身であることは、市民としてまことに誇らしい。中島の生まれたお肉屋さんのすき焼きは本当においしいのでぜひ。戦中に青年期を過ごしたわりに強靱な体力はきっとあのお肉と、日本海の豊かな海産物に支えられてたんでしょうし。でまた酒田出身の奥さんがキュートなんだ。
東宝怪獣映画を酒田港座で観て育ったファンとして誇らしいのは、中島がオヤジと呼んだ円谷英二への圧倒的な信頼(なぜか田中友幸プロデューサーへの言及はほとんどない)と、それゆえに過酷な撮影もなんなくこなしたあたり。マタンゴにまで入っていたとは知りませんでした。
彼の人生はまさしく東宝の、日本映画の盛衰とともにあったのであり、彼がその人生に充足していることは、はるかに年少ではあるにしろ、同じ酒田の映画ファンとしてうれしい。
それにしてもすごい本だ。写真だけでも圧倒的な資料価値。ここで語られているのは、「ゴジラ」という作品単体だけでなく、怪獣映画という愛すべきジャンルだけでもない。そしてもちろん東宝という、奇妙なジャンルの作品を生み出し続けてくれた会社のことだけでもないのだ。戦争をはさんで、ひとりの青年が職業人としてどれだけ誇り高くあったかという記録。ちょっと感動してしまいました。
にしても、中島(酒田)+本多猪四郎(鶴岡)+円谷(須賀川)という東北連合軍がゴジラをつくっていたとは……ん?旧幕府軍がなぜか江戸を攻めたってこと?(笑)