事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「泳ぐ者」青山文平著 新潮社

2021-06-23 | 本と雑誌

かつて「泳ぐひと」という映画があって、バート・ランカスターが高級住宅街の邸宅のプールを裸で次々に泳いでいく……泳者である彼の行動には、実は隠された混乱と哀しみがあったというストーリー。

青山文平の新作「泳ぐ者」は、あの傑作「半席」の続篇。勘定方としての立身出世より、徒目付(かちめつけ)として世の「なぜ」を「見抜く者」として生きる決断をした片岡直人のその後……

出たら必ず読むと決めている青山文平の新作なので、読まないという選択肢はない。そのうえ、片岡はどうしているだろうと「半席」を読んだ人なら絶対に気になるはずだし。

片岡はまたしても(多くを語らないながらも)いくつかの謎に挑んでいく。

死病にとりつかれた、隠居の元勘定方が、すでに離縁していた妻に刺されたのはなぜか。初冬の冷たい大川を、毎日泳いで往復する男の意図はなにか。

……老いてなお不気味なほど美しい殺人者の哀しみ。殺される直前に喜悦の表情をうかべる泳ぐ者の来し方、二重にも三重にも埋め込まれた「なぜ」を描いて青山文平はやはりすばらしい。おそらく年末のミステリランキングをまたにぎわすことと思います。でもそれ以上に人間の複雑さを描いた物語として極上。ぜひ。ぜひぜひ。

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ガリレオを全部観る20 「攪乱す(みだす)」

2021-06-23 | テレビ番組

その19「演技る(えんずる)」はこちら

今回は“食えない科学者”のお話。性格的に度し難い(それは湯川も同様だが)のと同時に、文字通り貧乏暮らしを強いられている科学者が湯川に挑戦する。

湯川が警察の捜査に協力しているとの記事が週刊誌に載る。Y准教授となっているけれども帝都大としては面白くない記事だったかも。そしてその記事に、かつて湯川に煮え湯を飲まされた(と本人は思い込んでいる)人物の邪悪さに火をつける。

犯人が使ったトリックはきわめてシンプルでオリジナリティが感じられない。ロングレンジ・アコースティック・デバイスという音響兵器。科学者としてのレベルがこれで理解できる。

湯川が犯人を特定する方法がミステリ的には面白い。

犯行予告はネットで行われるのに、犯行声明が郵便で送られてくるのはなぜかに注目し、彼は大学のマンパワーをフル活用して犯人の手口を推理する。そして……。これって昔からある「鉛筆書きで地震予兆ハガキを用意する」パターンだ。やっぱり、オリジナリティのかけらもない。

生瀬勝久がカルチャースクールの講師などで糊口をしのぐ中年を演じてすばらしい。同じように屈託を抱える助手の栗林(渡辺いっけい)とのからみは味わい深かったなあ。

すべてを他人のせいにしかできない、弱い人間がここにいる。彼は自分の現状がすべて湯川に論破されたことにあると曲解している。カルチャースクールの講師だってきちんと勤めていれば喜びもあるはずなのに。おじいちゃんたちは興味を示さないけれども、わたしは興味津々でしたよ。

「この歩数計にも科学があります。こうやって手で振ってもカウントされないのに、歩くとカウントされる。不思議でしょう?これは加速度センサーというものが……」

ちょうどわたしが知りたかったこと。ためになりますガリレオ。

その21「聖女の救済」につづく

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ガリレオを全部観る21 聖女の救済

2021-06-23 | テレビ番組

その20「攪乱す(みだす)」はこちら

前後編の最終回スペシャル。わたしは東野圭吾のガリレオシリーズはすべて読んでいるけれども、「聖女の救済」がいちばんすばらしいと思う。あの「容疑者Xの献身よりも。あ、よく考えたらこの二作はタイトルが連関している。

朝、リモートで会議に出ている社長(堀部圭亮)はコーヒーを飲んでいる。そして夕刻に次の一杯を飲み、絶命する。使用された毒は砒素。そのとき、社長の妻、綾音(天海祐希)は遠く離れた北海道にいて、事件には絶対に関与していないと警察はもちろん判断した。

毒はコーヒー、カップ、ケトルに残されていて、警備保障完備の自宅に侵入者がいたとしか考えられない状況。実際に、その日の午後、紫の傘の女性が訪れていたのだが……

綾音は湯川の中学時代の同級生。だから彼女は“湯川くん”と呼びかけ、岸谷刑事は絶句する。

犯人が湯川の個人的な知り合いであるという設定もまた、「容疑者Xの献身」と対を成している。湯川は北海道の中学から東京に引っ越し、そしてあの石神に出会うことになるわけだ。

この殺人のトリックはネタバレになるので明かせないけれども、よほど強靭な精神力がないと成立しない。その象徴が殺人現場にのこされたタペストリーであり、湯川がそれを引っぺがして壁面に数式を書き始めるのも象徴的。

原作でおとなしいイメージがあった綾音を、強さを感じさせる天海祐希に演じさせたのは、意外性が減じて残念でもあり、薔薇に水をやるときに一瞬だけ邪悪な表情をうかべるあたり、説得力があっておみごとでもあった。うん、やっぱり天海祐希しかない(でも原作の特集でやったように、椎名林檎はありだよね)。

ガリレオXX「内海薫最後の事件」につづく

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「落語家」という生き方 広瀬和生著 講談社 

2021-06-23 | 芸能ネタ

柳家三三、春風亭一之輔、桃月庵白酒、三遊亭兼好、三遊亭白鳥 という、新進気鋭の、というか中堅どころの噺家へのインタビュー集。聞き手はヘビーメタルロック雑誌「BURRN!」の編集長だった広瀬和生

わたしは彼が賞揚してやまない立川談志が苦手な人なので、広瀬氏の数多い落語本がしんどいこともあったのだけれど、この聞き書き(というか広瀬氏がプロデュースした落語会の板の上で行われている対談集)はすばらしかった。寄席通いの回数と文章の芸は比例するのかなあ。ずんずん調査の堀井憲一郎も鬼のように寄席に通っているしねえ。

さて、わたしの世代の噺家といえば昇太や喬太郎ということになるわけだけど、その少し下の世代の彼らは、落語というメディア、落語家という職業について、少なからず醒めているように思える。

もちろん昇太や喬太郎だって落語を客体化していたわけだけど、もう一歩それを進めているというか。とりあえずこの人たちの落語を意識して聞くようにしよう。

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