PART1はこちら。
縁切寺、駆け込み寺のお話は、これまで何度も映画化、ドラマ化されてきた。でも多くは寺にたどりつくまでのドラマが中心。女性が虐げられ、しかし離婚できないシステムからの救済の物語。
この映画でももちろんその部分はきっちり描かれている。
たたら場(もののけ姫に出てくる、やはり女性も働く製鉄所)で鉄をつくるじょご(戸田恵梨香)は、ふいご(たたら)を吹く作業のために顔に火ぶくれができており、放蕩三昧で稼業に背を向ける夫(武田真治)は彼女を人三化七(にんさんばけしち)と罵倒する。
大店の主人(堤真一)の妾であるお吟(満島ひかり)は、過去のよくわからない主人に恐れをいだき、周到に準備して寺に駆け込む。
道場主の娘、ゆう(内山理名)は、婚約者を道場破りに殺され、なおかつ強引に妻にさせられてしまい、復讐の機会をねらっている。
……縁切寺で二年すごせば、男は離縁状を書かなければならなくなる決まり。この映画では、女たちが二年のうちに成長していく過程がきちんと描かれるが、捨てられた亭主たちの二年の描き方がスマートなのだ。
ここから、ちょっとネタバレになります。
「負けたよ」と言いながらじょごの亭主は離縁状を差し出す。しかしその手には火ぶくれがあることを一瞬だけ映し出す。つまり、彼は心を入れかえたわけ。落語の「芝浜」ですね。しかしこの映画はあの人情噺をもう一回ひっくり返して見せる。うまい。
お吟は労咳を病み、寺から出る。主人は大泉洋が演じる戯作者志望の信次郎を拉致し、吟が何を求めているかを聞き出す。信次郎は仰天するような理由を語り、主人は涙を流す。しかしはたして信次郎が語ったことが真実であるかはわからない。信次郎が口からでまかせで吉原からの使い(橋本じゅん!)をあしらうエピソードが前に挿入してあるので。ここもうまい。
信次郎とじょごが寺を出るとき、これまた一瞬だけ院代のさびしげな表情がインサートされる。彼女は信次郎に恋していたのか?それとも、優秀な生徒だったじょごとの別れがつらいのか。ここも、観客の判断にまかせられる。
つまりは、たしなみのある大人の映画だったのだ。シーンとシーンのつなぎが絶妙なので、渋い話なのに間(ま)だけで大笑いできます。「ソロモンの偽証」につづき、今年の松竹は充実してるなあ。
井上ひさし原作の縁切り寺のお話。監督の原田眞人は、前にもお伝えしたと思うけれども
「どうしたらこんなに面白く書けるのか」
とまで言われた伝説の映画評論家だった。彼の著作「ハリウッド映画特急」は、三十年も前の本なのに、いまだにわたしの本棚で現役です。
評論家出身であることで、むしろ評論家受けが悪かった原田だけれど「盗写1/250秒」(日テレの火曜サスペンス劇場で放映されたもの。すばらしいドラマだった。どっかでソフト化してくれないか)、「バウンスkoGALS」「クライマーズ・ハイ」など、わたし好みのラインナップ。
彼の映画原体験は、子どものころに母親に連れられて観た「七人の侍」の撮影現場。だから、初めて本格的な時代劇を撮る歓びに満ち溢れている。特に、舞台となった寺の美しさと、奢侈禁止令によって駆逐されていく江戸の耽美さは圧倒的だ。
役者たちがまたすばらしい。縁切り志望の大勢の女性たちに囲まれ、しかし微塵もセックスを感じさせない戯作者志望の男、こんな役は大泉洋しかできないに決まっている。あまたある彼の作品の中で、今回が最高の演技だと確言できる。
戸田恵梨香(彼女がお寺でお習字をしているのを見ると、いきなり半紙をひきちぎるのではないかとハラハラします)、眉毛をそり落としてクールな満島ひかりがいいのは当然として、彼らを囲む役者たちが渋い。心に傷を負った女性たちに、時に冷たく、時に優しく対応する御用宿のキムラ緑子、木場勝己、そして樹木希林。味のかたまりって感じですかね。
わたしはまったく知らない女優だったのだけれど、宝塚出身の陽月華が寺の院台を演じていて、これがいいんですよ。薄幸な女性たちを救う存在なのに、高貴な生まれなものだから、ちょいとわがままな感じが随所に出てくるという複雑な役(それ以上に彼女は大きな秘密を抱えている)、陽月華はそのあたりを絶妙に。
くわえて、庶民から楽しみを奪うことでしか改革を遂行できない水野忠邦と鳥居耀蔵という悪役を、中村育二と北村有紀哉が憎々しげに演じていてこれもいい。ああもうきりがないな。実はこの映画が傑作たりえたのは、別の部分もあったからだ。以下次号。
キャラの人&キャラのメディアPART7「大阪都」はこちら。
「日教組はどうなんだ」
「早く質問しろよ」
現在の首相が、高潔な人格の持ち主だと考える人はまずいないだろう。それでも内閣の支持率が高いのは、
・前の政権の運営が拙劣にすぎた
・経済さえよければなんでもいいという人がけっこういる
・保守メディアが支持率を下支えしている
・反論に対していちいち恫喝してくるのでリベラル側のメディアが委縮している
・菅義偉が侮れない
……こんなところだろうか。それにしても第一次の安倍内閣が散々だったのに、第二次になって驚くほど彼の運がいいことに気づく。
・はてしない財政出動(アベノミクスと称するそうです)によって株価が上昇し、日本円に対する信頼が揺らいだこともあって円安が進んだ(簡単すぎますか)
・リーマンショックからの米経済の回復基調と軌を一にした時期に就任した
・天敵の朝日新聞がつまずいたため、安倍批判の矛先が鈍った
・かなり無理筋だった東京オリンピック誘致に成功した
・目の上のたんこぶだった清和会の先輩の町村が文字どおり退場してくれた
……よく考えてみよう。お友だちを数多く起用した第一次内閣は、そのお友だちたちが不祥事で辞任、自殺。小沢一郎に引導を渡されて自身も辞任に追い込まれた。誰もがそのとき、胃腸系の病気なる建前を信じてなどいなかった。要するに自ら総理の椅子を放り出したと。だから地元では昭恵夫人に議員の座をゆずる動きもあったほど。
ふたたび自民党総裁選に打って出たときも、人気は石破茂の方にあったではないか。それなのに、いつのまにか長期政権になろうとしている。いったいなぜ?
わたしはこう考える。集団的自衛権の行使が、憲法改正を伴わないのはおかしいと、実はゴリゴリのタカ派だって内心ではわかっているはず。短気なうえに国会を軽視している首相がトップにいることで、戦争のリスクが高まっていることも誰だって気づいている。それでもなおかつ彼の人気が高いのは、是非はともかく、長い不況に世間が飽き飽きしている現状を打破してくれそうな雰囲気があること(年金資金まで次々にマーケットに注ぎこんでいるって知ってました?)、不作法な中国に一発ガツンとかましてくれそうと期待する層が大きいことなどによるのだろう。
つくづく思う。彼の治世で、わたしたちの国から美しさが消え失せようとしていることだけは確実。あの臆面もない美辞麗句の多用は、並の神経ではできませんよ。
PSY・S/Wondering up and down ~水のマージナル~
PART13「最上(もがみ)」はこちら。
さて、最上地域の市町村合併話の前段に、飛び地問題がある。境界線があいまいなのだ。鮭川村のなかに新庄市の飛び地があり、金山町のなかに真室川の、新庄市のなかに金山町の、大蔵村のなかには舟形町の飛び地がある。新庄と大蔵村にいたっては全国でも珍しい二重飛び地まで存在する。
二重飛び地?
こういうことだそうだ。新庄市本合海大坪付近に大蔵村合海の飛び地があり、さらにその中に新庄市本合海の飛び地があるんですって。うわあ。
そういえば、わたしが旧松山町の学校に勤務していたとき、戸沢村と隣接している柏谷沢という地区と、水路ひとつ隔てた戸沢村柏沢という地区の関係は微妙なんだときいたことがある。同一集落に見えるのに、かたや庄内ナンバーでかたや山形ナンバーなんですって。いまはどうなっているんだろう。
それはともかく、これだけ入り組んだ状況だし、各市町村の財政状態がよろしくないのだから、当然平成の大合併のときに機運は高まる。ところが、さまざまな組み合わせが検討されたものの、すべて破談。原因は新庄市の財政にあると噂されている。
しかし、学校事務職員にはおなじみの、基準財政需要額で基準財政収入額を割った財政力指数でみると、新庄が断トツに健康なのである。ネットからひっぱると……
・新庄市……0.46(県内6位)
・最上町……0.21(県内26位)
・舟形町……0.20(県内28位)
・金山町……0.19(県内30位)
・真室川町……0.18(県内31位)
・鮭川村……0.16(県内33位)
・大蔵村、戸沢村……0.15(県内34位。つまり最下位)
数字が1に近い方が余力があるわけだから、数字の上ではどうみても新庄がまわりの町村を救済に近い形で合併に持ち込みたかったのだと読める。ところが、合併話が佳境に入ると次々にまわりの町村は離反していくのだ。合併特例債というアメと、交付税の削減というムチがあったにもかかわらず。
なぜだ。
まあ、無責任なことは言えないけれど、たとえば新庄市立の小中学校の配当予算などを聞くと絶句してしまうし、どうも数字以上に新庄はきつい状況にあるのでは、という気もする。かろうじて、ここまでのコメントです。
本日の一曲は、サイズの「水のマージナル」。松浦雅也がやっていたサウンドストリートは途中から凄みが。毎月いろんなアーティスト(シオンとかバービーボーイズとか溝口肇とか)とコラボして新曲を発表していくのだ。これがもうハイレベルの極み。いやあびっくりした。
PART15「庄内」につづく。