-おんもに出たうめちゃん- (本文とは全然関係なし)
■中川八洋、『地政学の論理』より;
一八六八年の明治維新は、功罪半ばする。日本近代を迅速に成功させた「功」のみが、歴史教科書で強調され、数々の弊害と「罪」の方はまったく言及されない。(略)
日本という国家を骨の髄まで病ませた、明治維新が生んだ最悪の癌細胞とは、身分卑しき出自の維新の志士を「貴族」にし爵位を与えた暴挙の上に、生涯に亙り「元勲」として栄耀栄華と政治特権を付与した、腐敗を究極に深化させ私利私欲を正当化する制度の創設にあった。
翻って米国を見よ。(略)「建国の父たち」(略)の極度の清廉性と国家への奉仕の精神の高貴さは、英国貴族の無償の生き方を範とした。
一方、明治維新の元勲の一人であった山縣有朋の家は超豪華で、今も有名なホテル(椿山荘、フォーシーゾンズ)として東京都文京区関口町に残っている。40,000坪である。ここに山縣は、高級茶室を三つもつくった。庭師が常時百名ほど必要な大庭園もつくった。京都の別荘「無鄰庵」も見事な庭園で、山縣の贅を尽くした生活を今に伝えている。
これに比して米国の「建国の父たち」は、......(以下略)。
(中川は、日露戦争の後の日露協商を指して、日米戦争の第一歩と解釈し)スーパー耄碌の山縣有朋らは、日本外交を奈落の底へと誤導した。
(山縣が白人と黄色人種の間の人種間戦争を心配していたことについて)山縣の頭はすでに狂っていた。
以上、引用、さわりだけ。
▼参考拙記事:
じゅげむ・じゅげむの弁当箱
無鄰庵 -京都参り⑦-
軍服を着て討伐したくなる気持ち
●それにしても、反動家の真髄を行く中川センセも、「明治維新こそは、日本のなかにアナーキズムの大マグマを作った左翼革命でもあった。」と言っていただけあって、明治維新を逆行して過去へと「現状否定」の旅を続けている。目を離してはいけない。なぜなら、目を離しているとそのうち大化の改新まで遡り、中大兄皇子にも的をかけ、乱射しはじめるであろうから。