先日愚記事で、- 日帝的鬼子、父との再会 - (でも、ぬっぽん父は役者不足ではないか!)と言った。
真打登場の可能性があったと昨日知った;
1978年、伊藤隆が岸信介にインタビューをして、その速記録を公開前にチェックしてもらった時の話が、伊藤隆、『歴史と私』に書いてあった。そこで、こうある;
速記ができて整理した上で岸氏にみていただきましたが、削除されることはほとんどありませんでした。ただ一回だけ、台湾独立を支持する発言をされた時に、あとから「これはまずいから少し変えさせてもらいます」という申し入れがありました。中国から岸氏にアプローチがあって、場合によっては中国に出掛けるという状況にあったからです。 伊藤隆、『歴史と私』 p 172
中国から岸氏にアプローチがあって、場合によっては中国に出掛けるという状況にあったからです。
なんと、岸信介が中共を訪問する可能性があったのだ。中南海にしてみれば、中華民国派/台湾派の頭目を「味方」につければ、敵を味方にするのであるから、その戦略的効果は絶大である。そして、岸もそういう意図を見越して、岸も何かを得られれば、中共訪問も辞さなっかったのだ。岸は現実(権勢)主義者なのである。
ちなみに、1978年なので、周恩来も毛沢東も死んでいる。会いたかったのは小平らしい。
● まとめ
六月は残酷極まる月だ; やはり、歴史と日支は、糾える縄の如し。
死者1名 死者の数そして何より名前、未だ不明