筑波研究学園都市鎮座 *1(ちんざ!、w!) 一の矢神社に詣でた。
この一の矢神社はニンニク祭りで有名。厄除けのお守りは、御蒜守。 蒜=にんにく、です。
■ どうでもいいけど、リンク先を見て気付いた;
リンク先、一の矢神社の文章にある「老樹天を摩す境内には、加藤弘之博士の追遠碑等もみられます」の加藤弘之(1836-1916)は、出石藩(外様)という超マイナーの藩の藩士で、しかしその頭脳で成り上がり、新政府では「東京学士会院会長、東京大学綜理、帝国大学総長、貴族院議員、帝国学士院院長、枢密顧問官」になった人。維新の志士と同世代の人。山県有朋より2歳年上。学術で出世。出石藩とは今の兵庫県の日本海側。城崎温泉があるところ。
加藤は、筑波山麓とは関係ないはずで、かつ「加藤の思想は現実的で、終世唯物論者だった」にもかかわらず、祖先が筑波山麓の出自である(小田家家臣?)とし、筑波山麓に碑を建てた(出典は忘れたがつくばの郷土史の本だったとおもう)。
▼評判;
初代の東大総長で自由民権の旗手でもあった加藤弘之は、国家主義者の圧力に屈し(殺されてもおかしくないのだから)、自らの著書「国体新論」を絶版にして、その変節を新聞にまで広告として出した。加藤は学者の間での誹謗、中傷をものともせず、媚びへつらって大出世街道を邁進し、次々と勲章をもらい、さらにはその勲章を長々と自慢する。その俗物ぶりを立花隆は批判する(引用先)
●よんじゅう過ぎでバイトの放浪!人のおいらが"鎮座"について註を付けちゃいます;
*1 筑波研究学園都市鎮座
って、変な日本語、変な論理的認識だよね。なぜって、「筑波研究学園都市」なんて昨日・今日の(きのうきょうの)うたかたの事象。(中央研究所の時代の終焉!、あるいは愚者の楽園。)
片や、一の矢神社は「その昔清和帝の朝、貞観年間山城国愛宕郡より、御祭神素戔嗚尊を、病厄難・海上安全の守護神、振武文教の祖神として崇め勧請鎮め奉った由緒ある御社であり、創祀以来悠久実に千百有余年の星霜を閲して」いる歴史の試練と淘汰を受けた由緒あるものであるから、うたかたの筑波研究学園都市に鎮座するという言い方はおかしい。正しくは、大日本は神国なりの『神皇正統記』が発せられたあの筑波山麓に鎮座するって言えばいいのに。それとも、この御名御璽の威光なのであろうか!? ひろひと大帝の時代;大日本帝国の終焉!&中央研究所の時代の終焉!、そして何より、愚者の楽園!