横浜・町田:多摩丘陵散歩 こどもの国⇒玉川学園⇒七国山⇒野津田公園⇒鶴川駅(その1) の続き
1;東急・こともの国駅、2;奈良北団地南端、3;東玉川学園4丁目、4;小田急線・玉川学園駅、5;玉川学園4丁目、6;日向山公園、7;本町田東小入口交叉点、8;今井谷戸交叉点、9;七国山、10;鶴見川・丸山橋、11;野津田公園、12;小野路交叉点、13;大蔵、14;小田急・鶴川駅
横浜・町田:多摩丘陵散歩 こどもの国⇒玉川学園⇒七国山⇒野津田公園⇒鶴川駅 (その2)
■ 5;玉川学園4丁目、6;日向山公園、7;本町田東小入口交叉点、8;今井谷戸交叉点、9;七国山、10;鶴見川・丸山橋、
▼ 町田市立第5小学校 ⇒ 5;玉川学園4丁目 ⇒ 6;日向山公園 ⇒ 7;本町田東小入口 ⇒ 8;今井谷戸交叉点
α;町田市立第5小学校、5;玉川学園4丁目、β;「白い家」、γ;本町田遺跡公園、6;日向山公園、7;鎌倉街道 本町田東小入口、8;今井谷戸交叉点(鎌倉街道、団地いちょう線交叉)
◆ 玉川学園駅西側斜面 ⇒ α;町田市立第5小学校 ⇒ 5;玉川学園4丁目 ⇒ β;「白い家」
α;町田市立第5小学校
このあたりが丘の最高地点。この先、北西方面に向かい丘を緩やかに下ってゆく。
β;「白い家」
住宅地を散歩する楽しみはこういう家を見つけること。何か、すごいよね。
◆ β;「白い家」 ⇒ γ;本町田遺跡公園 ⇒ 6;日向山公園
鶴川街道、市立博物館入口
右手が本町田真之山ふるさとの森。道の奥が市立博物館。
1967年から1968年、藤の台団地造成にともなって発掘調査が行われ、縄文時代前期の住居跡4軒と、弥生時代中期の住居跡7軒が見つかりました。その一部が史跡として保存されています。現在は縄文、弥生時代の住居各1軒が復元され、内部も見学することができます。(町田市web site 縄文時代と弥生時代の住居を復元―本町田遺跡公園)
昭和に住居である団地を造ろうとしたら、縄文・弥生時代の住居が発見されたという話。
本町田遺跡公園から、下る。
▼ 6;日向山公園
◆ 6;日向山公園 ⇒ 7;鎌倉街道 本町田東小入口 ⇒ 8;今井谷戸交叉点(鎌倉街道、団地いちょう線交叉)
藤の台団地(ふじのだいだんち)は、東京都町田市藤の台にある住宅団地(集合住宅)。日本住宅公団(現:都市再生機構)により公団住宅の大量供給期に建設された、一般賃貸・普通分譲型の団地である。
首都圏の人口が爆発的に広がる中、すぐ近隣の町田山崎団地と共に日本住宅公団により建設され、1970年(昭和45年)に入居を開始した。町田駅からの交通の便も良いことや、新宿まで1時間以内で行けることなどから、すぐに全室が埋まり約1万6千人が入居した。
町田市に多くある谷戸と台地が繰り返される土地に作られたため、団地内は急な坂や階段が非常に多くなっている。 (wikipedia)
▼ 7;鎌倉街道 本町田東小入口
▼ 8;今井谷戸交叉点(鎌倉街道、団地いちょう線交叉)
◆ ⇒ 9;七国山 ⇒ 10;鶴見川・丸山橋
自然の概要
昔、この山頂から7つの国が見えたので七国山と呼ばれる、なだらかな起伏の続く丘陵地の中でも一段と小高い地域である。数条の尾根と谷戸が入り組んで、変化に富んだ地形をなし、区域内の西部には鎌倉古道の遺構が南北に縦貫している。ほぼ全域にコナラ-クヌギ林が分布し、中央部及び周辺部の緩斜面の一部に耕作畑、果樹園、竹林等が散在する変化の多い植生である。(東京都環境局web site 2 七国山緑地保全地域)
鶴見川
◆ ⇒ 11;野津田公園
1990年(平成2年)に陸上競技場を中心とした公園西側の第1期区域(面積約15.4ha)が開園。その後は公園東側の拡張整備を行い、2001年(平成13年)に第2期区域が開園し、現在に近い形となる[3]。広さは約39.8haで、町田市立の公園としては最大規模を誇る。園内には町田GIONスタジアム(町田市立陸上競技場)、野津田球場、上の原グラウンド、野津田公園テニスコートなどのスポーツ施設がある。 (wikipedia)
1960年代の航空写真
図中の「+」の右の低地=谷筋を鎌倉古道が走っていた。
1960年代と比べて現在の方が「森」が増えている。増えた分は造られた「森」とわかる。
◆ ⇒ 12;小野路交叉点
◆ ⇒ 13;大蔵
◆ ⇒ 14;小田急・鶴川駅
まとめ
その2の通過町
東京都町田市 玉川学園、本町田、藤の台、山崎町、野津田町、大蔵町、能ヶ谷