goo blog サービス終了のお知らせ 

いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

うたかた: 小泉バブル(泡沫)の終焉

2009年07月21日 19時28分57秒 | 日本事情
   
2005年の結党50年大会                        今日で雇い止め

■ 「うたかた」に漢字があるとは知らなかった。泡沫。小泉バブルの小泉チルドレンは泡沫候補にさえなれない。

閑に看る、人の世の得意の人を って、4年前書いたけど、完全逆転。 失意と得意、あざなえる縄のごとし。

■太蔵センセ、ぜひ、捲土重来を期してほしい。まずは、筑波山麓の原点に!

そして、ランランで会いたい!

2009年07月20日 11時58分11秒 | 国内出張・旅行

南の島にて


林達夫の軍へのプロパガンダ協力の件;

戦時中の、対外宣伝誌『FRONT』の解明は、当事者の証言も含め、1980年代中頃以降に行われたようだ。これは林達夫の死を合図にはじまったがごとくである。

調べてみると、林達夫の対外宣伝誌『FRONT』を創っていたことは、少なくとも、1955年(昭和30年)には公知であった。本多顕彰、『指導者 ―この人々を見よ』に下記書かれている。 {なお、下記引用は渡部昇一の『続知的生活の方法』(1979年)の'知的独立について'という章の"恒産と変節"という節からのもので、財産を持っていないと非常時に「魂を売る」ことになるぞ!という論旨の展開の中での例示。

ちょうどそのころ、『英語研究』の編集長をやっていた山屋三郎君が・・・参謀本部直営の英字宣伝誌 "The Front" が東方社というところから出ており、そこの理事は林達夫氏と中島健蔵氏であるということをも語った。


『続知的生活の方法』は1979年出版でありこの本は売れたらしいので(『知的生活の方法』は現在も刷っている)、林達夫="The Front"は広く公知となっていたと言える。しかし、林達夫自身が生前"The Front"について語った記録はない、あるいは公開されていない。

▼ :わが目を疑った:  :腰を抜かさんばかりに驚いた: 山口昌男

今となっては、Amazon: 戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々少しは明らかにされてきいる"The Front"に霧中から『林達夫="The Front"』にたどり着いたのが、この『戦争のグラフィズム』の解説も書いている山口昌男。

→→最近、ふるいつきあいのある或る編集者が提供してくれた資料に「東方社業務計画」というのがあって、これを見たとき、僕もわが目を疑った。理事に林達夫、岡正雄、それに岩村忍氏が名を連ねている。わが師岡正雄は東方社のことは生前一度も言ったことがない。岩村忍氏は歴史家、民族学者で中近東の遊牧民社会研究の先駆者です。
 ここで出していた雑誌は英語題名『FRONT』、邦題は『東亜建設』でした。この雑誌は陸軍参謀本部の肝入りで出していたものです。(中略)特にこの雑誌はソ連の『ソ連建設』という宣伝雑誌をモデルとしてつくられたというと、林三郎大佐(林達夫の弟)が参謀本部のソ連関係対策将校であったという線が浮かび上がってきますね  (1986年の山口の発言;『林達夫座談集 世界は舞台』。なお、林達夫は1984年に死去。この1986年の山口の発言は林を偲んでの対談)


→→最近、私が再び林達夫について書いていることを知った古いつきあいのある編集者(講談社出版研のS氏)が、私が永く探し求めていた資料のコピーを提供してくれた。
 それは第二次大戦中、林達夫が関係していた「東方社」についてのものである。(中略)
 私が提供していただいたのは「東方社業務計画」という多少手に入りにくい小冊子である。
 この小冊子を見て、私は文字通り、腰を抜かさんばかりに驚いた。(山口昌男、『「挫折」の昭和史』)


山口は林の葬儀で弔辞を読むほど関係が深かったし、岡正雄は山口の師匠。つまりは、リャンファンついたのであった。というか、林は「東方社」での盟友だった岡の弟子筋ということで山口との縁を深めていったのではないか?ただし、林と岡が「東方社」で一緒だったということを隠して。

なお、山口は林の生前このプロパガンダ雑誌について直接聞こうと水を向けたが、はぐらかされたと書いている(『林達夫座談集 世界は舞台』)。 一方、『戦争のグラフィズム』の中で多川は;

「君が当時のことを調べたいのなら、そのうちゆっくり話をしてあげるから」

と、1979年頃、電話で林からいわれたと書いている(『戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々』)。



座死力

2009年07月19日 18時35分43秒 | 日本事情

南の島にて

■座死力

○○力のように、なんとか力というバカっぽい標題が最近の本には多いとは猫猫センセは言っていたような気がするけど、座死力を提案します。

山本五十六連合艦隊司令長官は前線指揮のため搭乗していた一式陸攻が撃墜され戦死した。今ではその戦死の詳細はいろいろ説があるそうだが、おいらが、がきんちょの時読んだ本では、銃弾が貫通した山本長官は軍刀の柄を、白い手袋をした手で握ったまま席上で乱れることなく戦死していたと書いてあった。

(墜落した山本長官機はのち発見され、遺体は回収された。)

つまり、山本長官は整然/凄然と座死した。


ということは次のような行動はとらなかったことを示す;

米戦闘機、ロッキード・P-38に一式陸功が囲まれた時、起立、抜刀し、「テメー、何やってんだよー!」と操縦している機長に切りつけたり (w!) 、

「こんな機長じゃ戦えないんだよ! 」 (w!) とか、

「機長を変えろよ!機長をよ!」とか逆切れしたり、軍刀を振りまわして....。

「このままじゃ、集団自殺だー!」とか (w!).....。

「そもそもこの機長、先発じゃねーだろー!」とか、(w!)....。


銃撃されている間中、搭乗員も淡々と任務を果たしていたのであろう。

こういう搭乗員はいなかったはずだ;

「おい、副機長、どうなってんだ!? なんで敵機が来襲したんだよ!? 責任を明確にしろよ!」

「いやー、索敵対策は通信兵の責任だ!」と副機長。

「じゃー、責任を取って、辞めます」と通信兵。



山本長官戦死の報に見入るうめちゃん


昭和18年5月22日、朝日新聞





毎週、ぶどうの写真を撮っています。3

2009年07月18日 21時44分38秒 | 筑波山麓


【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。
過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.07.17(金) 372 PV 153 IP 8760 位 / 1261709ブログ
2009.07.16(木) 383 PV 157 IP 8856 位 / 1261292ブログ
2009.07.15(水) 431 PV 178 IP 7201 位 / 1260784ブログ
2009.07.14(火) 773 PV 188 IP 6357 位 / 1260320ブログ
2009.07.13(月) 757 PV 179 IP 7159 位 / 1259910ブログ
2009.07.12(日) 809 PV 154 IP 8376 位 / 1259492ブログ
2009.07.11(土) 979 PV 155 IP 8050 位 / 1259057ブログ
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.07.05 ~ 2009.07.11 4877 PV 1060 IP 9100 位 / 1259057ブログ
2009.06.28 ~ 2009.07.04 4327 PV 1073 IP 8425 位 / 1255844ブログ
2009.06.21 ~ 2009.06.27 3635 PV 1023 IP 9064 位 / 1252636ブログ

栗の実、はじまりました。

2009年07月13日 21時42分02秒 | 筑波山麓

左下のイガイガ=黄緑色のクリノミ



■ 不本意

昨日、NHKの日曜討論で浜矩子さんが、「オバマ大統領は不本意男化するか?」が焦点と表明。

不本意男とは;

不本意男ということで私が言わんとしているのは、「不本意ながら」と言いながら、「私の本意ではございませんが」と言いながら、だんだんだんだん、まずい方向に引っ張られていってしまう人、という意味でございます。(ブログ:key person、浜矩子語録(61) オバマはどこまで不本意男化するか?(090702、青学-2) )

ということ。実際、GMへの公的資金注入について、オバマ大統領は「(政府は)不本意の株主として行動する」と強調。

でも、こういう風に、不本意である!ときちんと表明することは意義があると思われる。

■何のことかというと、昨日の林達夫の軍へのプロパガンダ協力の件。不本意だったんだろう。それなら、戦後すぐにでもきちんと表明すればよかったのに。

▼それにしても、なぜ林達夫が『FRONT』に関与したかを隠蔽したかったかと空想すると、気づいたこと。『FRONT』の第2号の「陸軍号」のプロパガンダの基本的方針はアヘン戦争以来の欧米のアジア侵略に日本が反撃しているというストーリーを画像で示している(縮図が、多川精一『戦争のグラフィズム』で見れる)。そこにアナトール・フランスをタネに白人に反逆する日本人というあのお話。このプロパンがストーリーを林が作成、編集したのではないかとおいらは睨んでいる。少なくとも、多川精一『戦争のグラフィズム』には、「陸軍号」の編集(担当)は林とある。

つまり、林達夫は対米英蘭開戦時に、斉藤茂吉なみの欧米への人種的憎悪を持っていたのかもしれず、すなわち、不本意でなく本気で「大東亜戦争肯定論神話」を奉じてしまったのかもしれず、そのことを戦後知られたくなかったのではないかと、おいらは、空想している。








歴史の暮方の後で

2009年07月12日 12時15分11秒 | 

  ― たとえば「小さな政府」と「大きな国防」をめぐる議論において次第に目立ちはじめているのは、大政翼賛会を強いんとする大衆の愚劣な心性である。―


- 今朝のラズベリー -

■上記の引用は1980年に"大政翼賛会を強いんとする大衆の愚劣な心性"を見た西部邁のもの(西部邁、「林達夫の達観」1980年、初出は雑誌『現代思想』、現在は『大衆への反逆』(1983年、文芸春秋社)に所収)。今週末、20年前に梱包、保管していた段ボールを明けた。タイムカプセルだぜ。西部邁の『大衆への反逆』(1983年、文芸春秋社)も出てきたので、しばし読み耽る。

西部は1980年の時代の気分を開戦前夜の林達夫の絶望になぞらえ嘆き、憤っている。

まずは、林達夫の「歴史の暮方」からの引用;

絶望の唄を歌うのはまだ早い、と人は言うかもしれない。しかし、もう三年も五年も前から何の明るい前途の曙光さえ認めることができないでいる。誰のために仕事をしているのか、何に希望をつなぐべきなのか、それがさっぱりわからなくなってしまっているのだ。この自分の眼にしっかりと何かの光明を掴むために、何かの見透しを持ちたいために、調査室の書棚の前に立ったし、研究会のテーブルの周りにも腰かけてみた。私には、納得の行かぬ、目先の暗くなることだらけである。いや、実はわかりすぎるほどよくわかっているのだ。受け付けられないのだ、無理に呑み込むと嘔吐の発作が起きるのだ。私のペシミズムは聡明さから来るものではなくして、この脾弱い体質から来る。先見の明を誇ろうなどという気は毛頭ない。そんなものがあればあるで、自分の無力さに又しても悩みを重ねなければならないであろう。

この林の文章は1940年6月初出。文章中の研究会とは林達夫が参加していた昭和研究会 (ウイキ) のことに違いない。そして、1940年6月には昭和研究会は解散寸前。解散の理由は大政翼賛会発足 (ウイキ) のためである。そもそも昭和研究会は近衛文麿のブレーンの後藤隆之介が作った組織で、後藤が大政翼賛会の"事務総長"になるので自ら潰した。

さて、西部がこの林の昭和研究会でのグチの回想をよりどころに、「小さな政府」と「大きな国防」をめぐる議論において次第に目立ちはじめているのは、大政翼賛会を強いんとする大衆の愚劣な心性」と、これまた深刻ぶって愚痴っている時期に、西部は大平正芳総理大臣の「ブレイン機構」に参加している。その会での報告書が同書(『大衆への反逆』)に所収されている。おもしろい。例えば;

経済について
経済成長は虚妄であるということについて貴方に同意してもらわなければならない。

Amazon: 大衆への反逆 (今、絶版なんだね)

といきなり経済成長への懐疑。つまり、大平内閣、自民党は経済成長を放棄するはずもないのであるから、そんな会議で経済成長への懐疑を主張したのだろうか?もちろん、西部の主張は一貫していて、経済成長停止・鈍化に伴う失業者の増大についての策を細かく論じている。(今こそ、この西部案を!)まさしく、また逆に、新古典派を批判し、それを超えた社会諸科学の「超学的協同」を提唱する論者すら、そうした知の協同が描き出す円環と脱成長段階の社会(新たな「冷たい社会」?)の円環とが美しく共鳴しあうという宗教的なヴィジョンを語り、エピクロスの園の幸福への希求を口にしてしまうのである。

とまれ、政権中枢?にいた西部は、同じく政権中枢?にいた林の開戦前夜の気分と1980年の気分が同じだと言い、さらに林達夫の身の処し方に憧れに近い共感を示している。たとえば;

そんなことよりも、経済の単方向において大国に膨れ上がった我が国の現状にあっては、林氏のように「こころ暗さ」を感じることすら難しく、また林氏のようにラヴェンダーの栽培によって矜持を保つ機会すら奪われているのではないかと私は思う。


歴史は夜作られる

ラベンダーを栽培しているのだの、マロニエの手入れをしているのだの、あるいは「鶏を飼い始めたよ」というのが挨拶がわりだの、あるいは;

生きる目標を見失うということ、見失わされるということ― これは少なくとも感じ易い人間にとってはたいへんな問題である。我々は何のために生きているのか、生き甲斐ある世の中とはどんなものか― そんな問いを否応なしに突きつけられた人間は、暫くは途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめくものだ。「よろしくやってゆける」人間は仕合せなるかだ。だが、そんな人間の余りに多すぎるというそのことが、私にとってはまた何ともいえぬ苦汁を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。

との林達夫の"プロパガンダ"にマンマと乗せられているのが、1980年の西部邁ではある。「歴史の暮方」は戦後も刊行され、"知識人"に"ファシズムへの抵抗"としてもてはやされていたらしい。

しかしながら、林達夫は戦時中、仕合せにも、「よろしくやって」いたのである。

そして、戦後はそのことについて一切口を拭ったまま死んでいった。


Amazon: 戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々 ↑軍刀、長すぎない!?(軍人と林達夫)

参謀本部発注のプロパガンダ雑誌を作っていた。 FRONT(フロント)とは、国策により東方社から、戦時下の1942年から1945年までに10冊が出版された大日本帝国の対外宣伝(プロパガンダ)グラフ誌(刊行されたのは9冊)。号によるが、創刊号は15か国語で翻訳・刊行された。

すんごい cool! こんなの→幻のグラフィックデザイン誌:FRONT

あるいは、→グラフィックデザインは戦争が作った

■ なぜ、ぬっぽん・いんてりは間抜けなのか?

かんたんに「戦争協力」ということばで片付けることはできない、

そーかい。そな、複雑でもいいから片付けてくれや。でも、戦後ずーっと口をつぐんできたんだから、後ろめたいんだべさ。

皇国庶民の爪のアカでも煎じてのめや;

事件後十九余年を経た後も、少しの悔いもないとの証言を残している。


毎週、ぶどうの写真を撮っています。2

2009年07月11日 12時34分32秒 | 筑波山麓


【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。
過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.07.10(金) 1125 PV 156 IP 9290 位 / 1258615ブログ
2009.07.09(木) 594 PV 162 IP 8473 位 / 1258203ブログ
2009.07.08(水) 437 PV 117 IP - 位 / 1257811ブログ
2009.07.07(火) 475 PV 153 IP 8915 位 / 1257332ブログ
2009.07.06(月) 564 PV 150 IP 9339 位 / 1256803ブログ
2009.07.05(日) 703 PV 167 IP 7184 位 / 1256323ブログ
2009.07.04(土) 1228 PV 176 IP 6317 位 / 1255844ブログ
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.06.28 ~ 2009.07.04 4327 PV 1073 IP 8425 位 / 1255844ブログ
2009.06.21 ~ 2009.06.27 3635 PV 1023 IP 9064 位 / 1252636ブログ
2009.06.14 ~ 2009.06.20 4219 PV 1022 IP 7950 位 / 1248946ブログ


回想の拙記事: ぶどうの前に立って泣くな

この記事は2007年6月。翌月のスペイン出張を予定して、まずは筑波山麓近辺のスペイン料理屋を探したのでありました。 ちなみに、この店には江崎玲於奈センセのメッセージ&サイン色紙が飾ってありました。


ともぐい (臓器移植法改正記念!)

2009年07月09日 20時03分30秒 | その他

イカの表面の"セピア"色は、ギリシア語の"甲イカ"が語源だって。*1(後註あり)
Wiki; イカ


イカに骨あり。 Wiki; イカの骨



■後註


最初、イカを見ると、目がロンパリだったので、画像を撮ってそれをネタにしようとしていた。いざ、料理しようとイカの足とワタを胴から引き抜こうとしたら(最上部画像)、目のロンパリが治った。



斜視じゃないのに、ロンパリを睨む。