日本の政治もメルトダウンしている。民主党政権だけでなく、私が唯一支持する自民党も、やることなすこと腰砕けである。谷垣偵一総裁はあまりにも育ちがよくて、誠実さは評価するが、そんなことでは政権の奪還はおぼつかない。立ち上がれ日本も、期待はずれであった。保守民族派については、ネットを通じてスターが誕生しつつはあるが、国を動かすまでにはいたっていない。それでも、今後、尖閣諸島で中共の漁船による衝突事件が起きたようなことがあれば、日の丸デモが首都中枢を席巻するはずだ。国家意識が徐々にながら芽生えつつあるからだ。保守派文化人としては、かつて日本文フォーラムや日本文化会議、さらには民社研があった。心グループだって、オールドリベラリストが集まっていた。そこに参加したオピニオンリーダーが、私たちに思想的な羅針盤を与えてくれた。本物の思想家が沢山いたのである。しかし、今は西尾幹二、櫻田淳といった人たちしかおらず、ほんの数えるほどだ。保守民族派の論客としては、鈴木邦男氏の立ち位置がもう一つ分からない。かえって、歯切れがよい瀬戸弘幸氏の方が注目されているのではなかろうか。そして、大アジア主義ではなくて、日本防衛ということが全面に出てきている。攘夷が叫ばれるようになってきたのは、中共の脅威が高まってきているからだろう。
原発事故の放射性物質で汚染された地帯から一歩出ると、どれだけ自分たちが深刻な状況にあるかが、痛切に感じてならなかった。一昨日の昼間に磐越西線で、喜多方から新潟に出て、それから万代バスセンターから夜行バスに乗って、京都まで出かけてきた。昨日は午前6時に京都駅前に着いたが、京都タワー近くの風呂を浴びてから、目的地の同志社大学に歩いて向かった。御所では草むしりをしている人がいたので、「ここは安全だから、少しくらい土けむりを吸っても大丈夫ですよね」と声をかけてしまった。夕方から雨足が強くなって、折りたたみのコウモリをさしたが、打ち合わせが終わっての帰り道、東本願寺のあたりで土砂降りになった。会津と違うのは、雨にあたっても、平気で歩いている人が多かったことだ。同志社大学では新島八重の説明をしてもらったが、戊辰戦争で会津藩が敗れたことで、八重は、当時京都府顧問で、旧会津藩士であった、兄の山本覚馬のもとに身を寄せたのだ。そこで新島襄と知り合ってその妻となり、クリスチャンとして生涯を終えたのである。新島襄は八重を「八重さん」と敬称をつけて呼んだのに対し、八重は「襄」と呼び捨てにしたという。男尊女卑ではない、仲の良い微笑ましいエピソードではないか。今、福島県に住んでいる人々も、命のことを考慮すれば、重苦しい生活を続けるよりは、第二の八重になるべきだろう。故郷は新しくつくれるわけだから。