日本のサヨクが中共や北朝鮮に甘過ぎるのは、マルクス主義の退潮が大きいのではなかろうか。1989年に東西の壁が崩れ、新旧マルクス主義が力を失った。拠り所がなくなった者たちは、菅直人首相のように、マルクス主義を表向き捨てることがなかった中共や北朝鮮に接近することになったのだ。戦後日本を代表する哲学者である広松渉ですら、1994年の死の直前に「日中を基軸とした東亜の新体制を!それを前梯にした世界の新秩序を!これが今では、日本資本主義そのものの抜本的な問い直しを含むかたちで、反体制左翼のスローガンになってもよい時期であろう」と朝日新聞に寄稿した。それはあたかも、新左翼の側から新たな大東亜共栄圏構想を提唱したかのような文面であったが、サヨク特有の大いなる幻想でしかなかった。軍備を増強し国益を優先し、中華帝国として版図を拡大しようとする中共に対しては、日本は国家として対抗する必要性があるからだ。広松の置き土産となった「東亜の新体制」という考え方は、民主党政権になってからは、東アジア共同体としてぶちあげられた。しかし、牙をむいて襲いかかくる中共や北朝鮮には通用しないのであり、ここで身構えなければ、日本もまた第二のチベットになりかねないのである。
民主党というのは、今でも野党のつもりでいるのではなかろうか。統治能力はゼロであり、お粗末にもほどがある。原発を再稼動するにあたってのストレステストについて、政府の統一見解が示されたが、内閣府の原子力安全委員会に丸投げしようというのだから、あいた口がふさがらない。枝野幸男官房長官も、そんなことをよくぞ言えたものである。ストレステストの内容について、政府が決めて、それで良いとか駄目とかを判断するのであれば、何も大げさな言い方をする必要はないのである。政府自身が責任を持てばいいだけのことではないか。しかも、これから協議しようというのだから、あまりにも酷すぎる。関電大飯1号機と北海道電力泊3号機のように、定期検査も経ないで運転中の原発があると思うと、もう片方では厳しくしようというのだから、バラバラではないか。さらに、国の原発政策を国民の多くが信用していないわけだから、第三者機関に任せるとかしなければ、これまでと同じではないか。今回のことも、結局はストレステストという言葉が、独り歩きしただけであり、あくまでもレトリックに過ぎないのである。政府内の意見の一致もできないのに、思わせぶりな作文を書いて、それで逃げ切ろうというのは、他人事に終始する民主党政権らしい。ことここにいたっても民主党を支持する人がいるとすれば、その理由とやらを聞いてみたい。
どうしても福島第一原発が収束に向かっているとは思えない。期待を持たせておいて、結局は空振りに終わることが続いているからだ。報道自体もその繰り返しでは、信用が失墜するのはあたりまえだ。そして、ようやく今日あたりになって、NHKも業を煮やしたのか「東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生してから4か月、原子炉から漏れ続ける汚染水への対応に苦慮する状況が今も続いています」と論評するようになった。しかし、これまでの原発事故についての報道は、NHKは東京電力の見通しや、何々を行いました、というPRをしてきただけだ。あまりにもそれでは酷すぎると感じたときには、課題なるものも付け足すのであった。それはNHKにとどまらず、他の報道機関においても大差がない。いかに東京電力から情報を得るかが中心で、現状がどうなっているかの説明ではない。そして、一昨日に菅直人首相は、原発事故の処理に関して「最終的には数十年の単位の時間がかかる見通しになっている」と述べたのだった。自分たちの不手際を不問に付すようなことを、平気で言ってのけたのである。避難している人たちも、どっと疲れが出たのではなかろうか。もうあきらめてもらうしかない、と言われたのだから、打つ手がないということなのであり、マスコミも含めて厭戦ムードが支配的になってきている。