ラディカルだと思われようが、ナショナリズムの暴走だと言われようが、それ以外に手がないのが日本の現実なのである。「行動する保守」を批判し、こきおろすのは自由であるが、日本人の大半が恐れをなす集団に向かって抗議の声を上げたのは、彼らしかいないのである。その点は認めてやるべきだろう。極左の末端にいたことのある私ですら、それらの勢力にはビビってしまった。「行動する保守」はそうではない。怖いもの知らずなのである。わずかな人数であろうと、勇気を持って立ちあがったからこそ、裏社会は表に出ざるを得なかった。そして、国家たりえない日本が自己主張すれば、明治維新のように攘夷となるのだ。理性を突きぬけて、情念を爆発させなければ、どこの国も日本を振り向いてはくれない。かつてはナショナリズムは、極左の専売特許であった。アメリカ帝国主義打倒を叫ぶときには、決まって「赤トンボ」が歌われた。それが平成の世になって、状況は変わってきた。覇権国家である中共が、日本を呑みこもうとしているからだ。韓国はその属国になろうとしている。これに対して、国を憂うる者たちが街頭に繰り出したのだ。最初は少数であったが、徐々に勢力を拡大している。彼らを「排外主義者」とレッテルを張るのは簡単だ。しかし、已むに已まれない者たちの行動なくしては、日本は日本でなくなってしまう。政治は理性では動かない。やられてばかりいたのでは、立つ瀬がなくなるのである。
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