草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安倍首相の靖国参拝が戦後レジームからの脱却の第一歩だ!

2013年10月12日 | 政局

 安倍首相は靖国神社の秋の例大祭に参拝をすべきだろう。中共や韓国などからの圧力によって、それできないようでは、日本は国家ではない。靖国神社を国家護持にしようとする運動は、戦後早くから行われてきたが、政権党であった自民党の不甲斐なさもあって、今なお実現していない。そればかりか、小泉純一郎首相の後の総理大臣は、誰一人として靖国神社を参拝していない。昭和47年11月3日発行の『大東塾30年史』によると、昭和44年時点で日本遺族会が中心になって集めた靖国神社国家護持賛成署名は、1300万にも達していた。これに対して、日教組などが集めた反対の署名の数は19万あまりにとどまった。靖国の杜で再会することを誓って国のために散華した者たちのために、その当時の日本国民の多くが国の関与を望んでいたのである。戦後68年が経過して、戦争体験者が次々と世を去ってしまい、靖国神社への思いも希薄になりつつある。しかし、その一方では東京裁判史観への疑問が若い人を中心に芽生えてきている。大東塾は純粋な保守民族派と言われているだけあって、国家護持にあたっても、その当時の日本遺族会会長の賀屋興宣に提出した要望書で「伝統祭祀の保持を前提とすべく、英霊の神格を否定するがごときは、千載に禍根を残すことになります」と主張していた。それは当面かなわずとも、安倍首相は勇気を持って靖国神社参拝を決断すべきだろう。それが戦後レジームから脱却する第一歩となるわけだから。

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日本の純粋性をくもらすものを敵とした三島由紀夫!

2013年10月12日 | 思想家

 政治は一筋縄ではいかないから、時として保守民族派が混乱するのは仕方がない。しかし、一番大事なことは日本人であり続けることだろう。それでもって孤立することがあっても、それを恐れてはならないのである。三島由紀夫は月刊誌「流動」昭和44年12月号に掲載された林房雄との対談「現代における右翼と左翼」において、「僕は反共というのは、実は嫌いなんですよ。共産主義だろうがなんだろうが外国思想はみんな反対というのが国粋主義であって、共産党だから反対じゃなくて、日本の純粋性をくもらすものは、共産主義であろうが、資本主義であろうが、資本主義であろうが、民主主義であろうが、なんでもいかん。だから日本人でいいんです。そのためには右翼といわれたって、なにをいわれたってそんなことかまわない。そこから出発してほしいと思いますね」と言い切った。文化人を批判する話のなかで、その言葉が出てきたのである。「講演料がたくさん出ているところへ行く。文化人なんというのは頼らないほうがいいですよ」と述べてからの発言である。それが極端な意見であることは三島自身も知っていた。日米安保条約の意義を認めていたことも確かであり、ある意味では精神論のレベルであった。だが、それを忘れてしまっては日本は日本でなくなるのである。三島が「右翼が左翼に戦後取られたものは三つあるんですよね。一つはナショナリズム、もう一つは反体制、もう一つは反資本主義、三つとられたでしょう。右翼がみんな持ってたんですよ」とも指摘していたが、保守民族派がそれを取り戻すべきではないだろうか。政府が外交的に弱腰になったりすれば、対談相手の林房雄が力説していたように、その尻をひっぱたくべきなのである。

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