安倍首相がこの頃少し変である。国民大衆から浮き上がっている感じがする。周辺にいる学者や官僚に振り回され過ぎなのだろう。私の愛読書に中村菊男の『政治家の群像』がある。明治から昭和にかけての政治家を論じながら、何をしたかを取り上げている。「『政は正なり』という立場に疑問をもち、政治家が正義の士であったり、野党が正義派であるといった評価を意識的にさけて、政治の現実を正当に評価する立場に立って執筆した」のである。勧善懲悪では判断できないのである。そして、私がアンダーラインを引いたのは、国民大衆の政治感覚を高く評価した箇所である。日本大使を務めたことがあるライシャワーの「日本ではインテリが感情的で、大衆の判断の方が合理的です。アメリカはその逆です」と述べていたの取り上げながら、中村は「声なき声は健全なのである。そこで政治家たるものは、たえず大衆の声なき声を聞く英知をもたなければならない。ところが、数字と取り組み、法規ばかり扱っているものはどうしても冷たくなり、この声なき声が聞こえなくなるのである。零細な庶民の姿が目に映らなくなったら政治家として落第である」と書いている。安倍首相は国民大衆の声に耳を傾けるべきだろう。靖国神社の秋の例大祭にしても、外圧に屈するのではなく、あくまでも庶民感覚を大事にすべきだ。エリートである学者やマスコミ、官僚の多くは中共や韓国、さらにアメリカに配慮することを主張している。しかし、大衆の声なき声は参拝を望んでいるのである。安倍首相は謙虚にその声に耳を傾けるべきだろう。
←学者より大衆の方が政治感覚が優れていると思う方はクリックを