日本はアメリカでもなく、もちろん中共や韓国ではない。日本は日本なのである。日本人の多くが、お国のために散華した者たちを、どこにどのように祀ろうとも、それは日本自身の問題であり、どこの国も口出しをすべきではない。日本のマスコミが一部の国を扇動したことで、それすらもできなくなっている。それこそ国家主権の侵害ではないだろうか。安倍首相が秋の例大祭での靖国神社への参拝を断念したことに対して、早速、中共のマスコミは大々的に報道した。そして、安倍首相の決定は、アメリカに配慮したからだと伝えている。東京裁判史観から脱却するのは、並大抵のことではないのだ。口で靖国神社参拝を約束しておきながらも、できないとなると、それは国民も怒るだろう。戦後の日本は資本主義陣営に属し、平和と繁栄を謳歌してきたことは否定できない。しかし、昭和20年9月2日を「対日戦勝利の日」としたアメリカのトルーマン大統領の言葉を、もう一度日本人は噛みしめるべきだろう。西尾幹二の『国民の歴史』にも収録されているが、そこでトルーマンは、日本との戦争は真珠湾への報復であるとして正当化し、「圧政に対する自由の勝利」と位置付けたのである。戦争犯罪として裁かれるべき原爆投下に関しても、「原子爆弾を発明しうる自由な民衆は今後に横たはる一切の困難を征服できる一切の精力と決意を使用することが出来よう」とまで大見得を切った。東京裁判の演出者はアメリカであり、それに追随しているのが中共や韓国なのである。アメリカはまずは自分たちの過ちを認めるべきだろう。日米の同盟関係を強化しようとする思いがあるのであれば。
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