あれだけ騒ぎたてたのに、平和安全関連法案が国会を通過すると、マスコミはその話題を口にしなくなった。明日にも戦争が起こるかのように言っていた人たちは、次は反原発に向かうようだ。どんな法案でも瑕疵がないわけではなく、できるだけベターなものにするのが議会政治のメリットであるはずなのに、民主党、共産党などは憲法をめぐる神学論争に終始した。安倍首相を「ファシスト」呼ばわりするにいたっては、最悪のレッテル貼りであった。「日本はかつて『ファシズム体制』の国家であり、再びそこに向かいつつある」との見方がある。しかし、中村菊男は『天皇性ファシズム論』において「日本には『ファシズム体制』はなかった」と言い切っている。共産主義の影響下にある人たちにとっては「自分たちが志向する政治体制以外のものはすべてファシズム」なのである。中村に言わせれば、それは単なる「革命戦略上」の用語でしかない。学問上の定義とはまったく無縁なのである。中村は自らの主張を説明するにあたって、立憲主義や議会制が否認されなかった事実に言及している。「立憲手続きをもっとも厳格にまもっていたのは『統治権の総攬者』である天皇であり、『独裁者』といわれた東条英機といえども『帝国軍人』として最後まで『憲法の枠』を超えることはできなかった。東条は立憲的手続きによって首相に奏請され、同じ手続きによって退陣をしたのである。東条はクーデターによって政権を獲得したものでもなく、また退陣にあたって軍事力を行使して自己の政権をまもろうとしたものでもない」。日本に「ファシズム体制」があったかどうかをめぐってすら学問の世界では議論が分かれており、「ファシズム」「ファシスト」は安易に使われるべき言葉ではないのである。
←応援のクリックをお願いいたします。