日本人の原型はどこにあるのか。それを無視しては国柄を語ることはできない。日沼麟太郎の『病める時代』は、その核心部分について触れている。三島由紀夫の天皇論を擁護する文章は、日本人の胸に響くものがある。『英霊の声』における「などてすめろぎは人間となりたまひし」のリフレインに関して、民族派団体のなかに誤解する者たちがいた。これに対して、日沼は持論を述べたのである▼「三島氏は決して天皇制を批判したり否定しよとしているのではない。むしろ純化し絶対化しようとつとめている。それは三島氏が一時代の上御一人よりは皇祖皇宗の神霊を信じていることによっても知られる。保田氏も指摘しているように天皇陛下は、その存在の本質から、わが国ではつねにただ一人の人であって、代々の天皇はみな一様に皇孫という御存在であらせられる。天皇陛下は百姓の労苦を体験されるために農事をされているのでも、勤労奨励のために天上の水田を耕しておられるのでもない。わが民族の原因となった神話を悠久に実現しているのであり、天降りのとき皇孫が天神からうけてこられたおつとめをはたしておられるのだ。だから天皇にとって一番大切なのは祭祀である」▼大嘗祭において天皇は最初の天照大神にかえられるのである。絶えず再生が繰り返されるのである。三島が天皇を変革の原理の中心に据えたのは、それを踏まえての主張であったのだ。あるうべきゾルレンとしての天皇は、日本の歴史と伝統にもとづいているのである。
←応援のクリックをお願いいたします。
![]() |
白虎隊探究 世紀を超える精神風土 会津教学と藤樹学への招待 |
ラピュータ |