還暦を目の前にすると、やっぱり人生ということを考えてしまう。今まで生きてきたことがどうだったか、これから何ができるかということを自問自答するようになる。70年安保騒動のときは、まだ高校三年生であった。会津地方で新民族派の高校生組織を立ち上げたことが、懐かしく思い出される。三島由紀夫と森田必勝の両烈士が自刃したのも、その年であった。数名の同士とともに血判をし、勇んで後に続こうとしたが、それはかなわなかった。大学に入ってからは、ノンセクトラディカルのグループに親近感を抱いた。新左翼の諸党派とは肌合いが合わなかったが、アナーキーな黒ヘルグループに、土俗的な情念を見出そうとしたのだった。通っていた大学のプレハブの学生会館に、スプレーで昭和維新の歌が書かれていたのも、場違いだとは思わなかった。行動するものの美意識は、絶えず死と背中合わせであり、イデオロギーは違っていても、情念においては相通じるものがあった。しかし、今はそうではない。これまでであれば、新新右翼と呼ばれる人たちがそうであったように、国家たりえなかったことへの反発からの行動であったが、もはやそれは過去のこととなった。日本が滅びるかどうかの瀬戸際であるからだ。平成の世にあって、幕末のときのように、攘夷を決行することで、国を救おうとする気概があるかどうかなのである。
少年の眼に映りたる美(う)まし国取り戻さんと雄たけび上げん
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