昨日の参議院予算委員会の質疑を見ていると、野党の不甲斐なさが改めて浮き彫りになった。これまで同様に、野党の質問は桜を見る会などに多くの時間を割いていた。立憲民主党の江田憲司や黒岩宇洋は同じことの繰り返しであった。コロナウイルスによる新型肺炎で、世界中が大変なことになっているのに、それにはほとんど触れずじまいである▼口が裂けても中共のことを批判したくないのだろう。なぜ入国制限の議論をしないのだろうか。国民の命などどうでもいいのである。水際で食い止められず、このままでは日本でも大変なことになるのは確実だ。安倍内閣に対して不信感が高まっているのである。徹底的に追い詰めることができる材料はそろっているはずだ▼産経新聞の記事によると、香港大の梁卓偉・医学院長は「25日現在、武漢市だけで2万5000人を超え、潜伏期の感染者も含めると約4万4000人に上る可能性があるとする試算結果を発表した。今後、感染者は重慶や北京、上海、広州などで急増した後、4、5月ごろにピークを迎える」との見方を示した。日本もパンデミックになる危険性が高まっているのだ。厚生省は未だに楽観的な見通しをホームページに掲載しており、あまりにも対応が生ぬるい。それを追及しない野党などもはや必要ないのである。
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「まったり」といっても、例えば、自称「知識人」リベラルの法政大学教授・山口二郎氏のように、立憲民主党の新年交歓会から帰宅するや暖炉の前でブランデーを飲みながらマーラーの交響曲を聴くような「まったり」ではない(妄想・・・でもない)。
黒猫の宅配バイトから帰って来て、コタツでココアを飲みながらフレンチロックを聴くのが関の山なのである。「俺の 戦いは 夜明けまで終わらない 自由に目覚め 歩みだせ! スリルに満ちる 人生へ!♪」
すると、早くに死んだ友、イノシシ男を思い出すのである。わたしと彼は、友人だが、似ていなかった。『仁義なき戦い』の金子信雄と菅原文太ほども違っていたかも。彼は、正義漢でパッションがあった(パッションには、2つの意味がある。1つ目は「情熱」という意味。2つ目は「キリストの受難」)。
昭和の時代には、低学歴で、アタマがよくなくて、正義漢でパッションがあれば、ある日突然、啓示を授けられたものである。「君こそスターだ」ではない。「この疎外された否定的現実と、君は、なぜ闘わないのか」という啓示である(別の用語では、オルグされたという)。
なにしろイノシシ男であるから、あっという間に、「パルタイこそが、わたしが、そこに生き、そこに死す場所」となり、「革命にたいする献身性、その忍耐、自己犠牲、英雄主義は限りない」となったのである。わたしも、色々と聞かされ、誘われもし、手伝いをさせられた。
小出版社の争議・会社占拠の応援泊まり込み、深夜に電柱にステッカーを貼りに行き、釜ヶ崎の越冬支援に行く。不眠不休の活動、ギリギリの生活。それでも、個人の奮闘とは無縁に、時代は回り、パルタイは(指導部は)、彼のような人間を利用主義的に使い捨てるような路線を進んでいった。
ある日、彼はいなくなり、後に、田舎町で死んだと聞いた。当時、街には、中島みゆきの「ファイト」が流れていた。
――― パッションには、2つの意味がある。1つ目は「情熱」という意味。2つ目は「キリストの受難」。