大人の休日クラブパスを利用して、青森県の三内丸山遺跡に行ってきた。とくに印象に残ったのは、海に続く420メートルの道の両側の路肩の部分に、20基以上の大人の環状配石墓があることだ。道幅も最大で17メートルある。死者は生者と共にあったのである。歴代の指導者の可能性が高い。縄文人のその信仰は今も、私たち日本人に息づいているのではないか▼三内丸山遺跡の集落が形成されたのは、約5000年前とみられている。そして、約5000年前に急激に拡大し、約4500年前にはピークを迎えたのだった。復元されたその場所に立ってみると、人の気配が感じられてならなかった。世界の四大文明が誕生した頃に、我が国にもそれに負けない文明があったのである。しかも、出土した北海道の黒曜石、糸魚川のヒスイから、海路を通じて遠方と交流していたことが明かになった▼日本人の基層は縄文であるといわれる。天にそびえる大型堀立柱建物は、物見櫓か神殿かはっきりはしない。海の彼方からやって来るのは、平和の使者とは限らない。警戒を怠らなかったはずだ。死者たちは、襲撃者を打ち破った勇者を迎えたこともあっただろう。今以上に死者との絆が強かったのであり、その末裔が私たち日本人なのである。
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