草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

反原発などどこ吹く風で新型原子炉をイギリスに提供する中共!

2015年10月23日 | 国際問題

心から反原発を主張するのであれば、中共や韓国、さらには北朝鮮の原発も停止させるべきだろう。日本だけが原発を使わなくなっても、それらの国で事故が発生すれば、すぐに日本にも影響が及んでくる。朝鮮半島の場合は最悪である。中共はイギリスに新型原始炉の売り込みに成功した、両首脳が21日に合意したもので、中共が新型原子炉「華竜1」の技術を提供するのだという。アメリカや日本との関係が疎遠になっている中共は、ヨーロッパ重視に方針を転換しており、フランスやドイツに続いて、イギリスにも急接近をしている。ひっきりなしに安倍首相が外遊をしているのは、そうした外交攻勢に対抗するためであり、日本の国益をのために頑張っているのである。今の時点で国会を開会しろと野党が騒ぐのは、国際情勢に無知な人間のたわごとでしかない。それは日本国内だけの反原発運動とも共通している。原子力が危険な代物であるならば、もっと国際的な運動をすべきだろう。いずれも安倍首相の足を引っ張るだけの嫌がらせでしかない。2011年3月の原発事故によって、現在もなお故郷に戻れない人は約13万人にも達する。しかし、エネルギー政策上の観点から、国は原発の再稼働に踏み切った。この難しい選択に関して、国民の意見が分かれている。これに対して中共は、原発を他国に売り込むことで経済の起死回生を狙っている。反原発などどこ吹く風である。空理空論では何事も先には進まない。私たち日本人は現実を直視しながら手堅く歩むしかないのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥会津の下郷町の観音沼 5首

2015年10月22日 | 短歌

山の霧しんしんと紅葉の沼に静けさ告げるがごとし

さみしさを抱えし人が散策す声も交わさず霧にまぎれて

もろともに初めて来たがいつの日か問うも悲しき歳月なりし

秋深し雪待つだけの日々なればなおさら赤き木々の葉っぱは

白樺の林を越えて山峡の沼の畔に観音様が

 

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本を悪者にするために中共が今度は核武装の可能性を指摘!

2015年10月22日 | 国際問題

唯一日本を悪者にすることで、国民の支持をつなぎとめているのが中共と韓国である。とくに、中共は共産党の一党独裁のこともあって、徹底して日本を攻撃している。国連の軍縮を扱う委員会が20日に開催されたが、そこでも中共は日本に因縁をつけた。日本が使用済みの核燃料から取り出したプルトニュウムを保管していることに対して、核武装を可能性を指摘した。自分たちは核武装をして他国を恫喝しているくせに、それはさておいて、日本を批判するのである。日本が軍事大国化の道を歩むかのような印象付けは、日本を国際社会から締め出そうとすることであり、日本は断じて屈してはならない。今日本が実行すべきは、中共への経済的な援助を一切凍結することだ。もはや中共は新興国ではない。軍事力で日本を脅かす敵として、私たち日本人の前に立ち現れているのである。安倍首相は中共との首脳会談を急ぐべきではないだろう。習近平主席はイギリスにおいても、日本批判を繰り返したからだ。これまで日本人は、同じ有色人種として、漢民族に親近感を抱いてきた。江戸時代までは、日本人にとって文明をもたらす大国であった。しかし、もはや幻想を捨てなければならない。危惧されるべきは、日本国内で中共の走狗とかしている政党やマスコミがあることだ。日本を分断して中共の思いのままにしようとする勢力が、一定の力を持っている。安倍首相は日米同盟を強化して、中共に対抗している。もはやそれ以外に日本の選択肢はない。そして、私たち日本人が団結しなくては、日本の平和と自由守り通すことはできないのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アベノミクスの「第四の矢」はセーフティネットの整備だ!

2015年10月21日 | 思想家

これから安倍政権は経済に全力で取り組むという。生活があっての政治であり、そこに目を向けることは当然だ。日本は金融緩和によってようやくデフレから脱却しつつある。まずは雇用が改善されてきてはいる。しかし、地方や中小零細企業はまだまだ苦しい。もし消費税を10%にするのであれば、浜田宏一エール大学名誉教授が朝日新聞(8月12日付デジタル)のインタビューで答えているように、様々な対策が講じられなくてはならない。浜田は「アベノミクスで景気が良くなって雇用が増えてはいるが、まだ困っている人々もいる。そういう人たちのために、『第四の矢』と言ってもいいが、食料品は非課税にするとか、給付付きの税額控除とか地域振興券の形で配るとか、17年の消費増税時にはセーフティネットの配慮が必要だ」と語っている。消費税を8%にしたために、アベノミクスの成果が帳消しになった経過がある。それを考慮するならば、食料品については全品目非課税にすべきである。贅沢品は別にして、まず生きて行くのに欠かせないのが食べ物である。消費者マインドを冷え込ませないためにも、絶対に必要なことである。何とか職にはありつけても、給料がそれほど高くなっているわけではない。セーフティネットの整備こそが急務なのである。生活保護を受けるという選択肢は残しておかなくてはならないが、そこにまでいかないようにするために、政治はそれ最善の策を講じるべきなのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

維新の党の分裂劇のように無頼がまかり通る権力闘争を嗤う!

2015年10月20日 | 政局

維新の党の分党がうまくいかなかったこともあり、大阪維新の会の橋下徹大阪市長は解党を主張している。残留組を激しく攻撃しており、ヒートアップするばかりである。もともと「維新」という名前は、橋下大阪市長らが命名したものであり、民主党から離れた者たちが合流したことで「廂を貸して母屋を取られる」ことになったために、ついついエキサイトしてしまうのだろう。まさしく「昨日の友は今日の敵」なのである。そうした政治の世界をみていると、いつの世も無頼がまかり通るような気がしてならない。世間では通用しないことでも、権力闘争の場面では何でもありなのである。折口信夫は「武士という言葉は野伏、山伏の、野や山がとれたものであり、いわばもともと流離の民であった」(『無頼の徒の芸術』)と書いていた。そもそも、鎌倉、室町あたりまでは、武士は土地に執着心がなかったのだという。平気でどこまでも移動した。小田原の早川氏は中国地方に行って小早川氏となったのだった。流民であり続けた者たちが浪人となって奴や、歌舞伎者になったのである。折口の説では、元禄時代までは無頼の徒が文学の中心であった。近松も西鶴も芭蕉もその系譜に属する。それとは別に権力闘争に明け暮れる者たちも、また無頼の徒に属するのではないだろうか。何かしら騒ぎを起こして争いを好むからだ。国家がどうのこうのよりも、政治屋に徹するのである。維新の党の分裂劇を見ると、政治の世界で騒いでいる連中が、なぜか野伏の末裔のように思えてならない。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏磐梯中津川渓谷 5句

2015年10月19日 | 俳句

見下ろせば紅葉を縫いし谷の川

橋の上携帯で撮る紅葉川

遊歩道下れば誰もが紅葉顔

レークライン紅葉狩りには中津川

吾妻なる修験の山の川流る

 

 

 

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉ざされた言論空間に安住し真の変革を望まぬ朝日を嗤う!

2015年10月19日 | マスコミ評

朝日新聞の奢りは今も昔も変わらない。自分たちの報道によって、日本国民や日本国家に迷惑をかけても、頬かぶりしてすむと思っている。勝手に日本を動かせると、未だに信じているのだろう。私の知っている幹部社員などは「時の政権など倒せる」とまで高言していた。民主党政権が誕生することが予想されていたときに、その危険性を指摘したところ、「悪ければ交代させればいいじゃないですか」と言っていた。朝日新聞をめぐっては、日本で最大の集団訴訟も起きており、まさしく風前の灯火なのである。それでも居直れると勘違いしているようだ。表向きはジャーナリストとして振る舞ってはいても、その実は閉ざされた言論空間に安住している。憲法をめぐる思考停止もその一例である。憲法を論じることすらできないでのである。この世には絶対はないはずであり、少数意見であっても尊重されなくてはならない。朝日新聞にはその自由すら存在しないのである。上から目線で政治を語る者たちは、大衆を煽ることがあっても、大衆と共に歩んだことなど一度としてなかった。とくに戦後はそうであった。嗤ってしまうのは、今回の安保法案に反対した者たちを持ちあげた言説の中心は、命が失われるからであった。実際に世の中を根底から変える気などサラサラないのである。もしそれがあるのならば、高橋和己の「特攻精神を嘲笑した日本の戦後の知性には、ニヒリストの運動を媒介せねばならぬ革命というものは、遂に理解し得なかったのだ」(『散華』)との言葉と向き合わなければならないからだ。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安保で信念を貫き官僚支配を許さないのが安倍政治だ!

2015年10月18日 | 政局

安倍首相は安保で自らの信念を貫き通したばかりか、TPP交渉も大筋妥結にこぎつけた。決断と実行力は戦後の首相のなかで群を抜いているのではないだろうか。それと同時に忘れてならないのは、安倍首相が官僚支配から、政治を取り戻そうとしている点である。70年の学生紛争の本当の意味での原因は、ハンナ・アレントが指摘するように「官僚制化への反逆」であったことは確かである。アレントは「官僚制とは、すべての人が政治的自由や活動するための権力を奪われている政体である。なぜかといえば、匿名の者による支配は支配の不在ではなく、すべての人が平等に権力をもたないところでは暴君のいない暴政が暴政がおこなわれているからである。世界中の学生反乱における極めて重要な特徴は、それがどこまでも支配する官僚制に向けられていることである」(『暴力について』山田正行訳)と書いている。安倍首相が再度政権に復帰するまでの民主党政権にあっては、期待されたにもかかわらず、官僚の思いのままに操られた。これに対して、安倍首相は官僚支配を打破するために、人事の面で指導力を発揮した。政治が介入できなかった部分に大胆に斬り込んだのである。デフレからの脱却が遅れたのも、財務官僚の抵抗があったからであり、それを排除して金融緩和に踏み切ったのである。外交安保以上に安倍首相は改革を先に進めているのである。もちろん、既得権益に胡坐をかいている官僚からの抵抗もあるわけで、政治を国民のためのものにしようとしている安倍首相を、私たちは孤立させてはならないのである。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

与々木官僚の鶴の一声で安保自衛隊を容認する日共を嗤う!

2015年10月16日 | 政局

あれだけ安倍首相をボロクソに言っていたのに、日本共産党が日米安保条約と自衛隊を認めるのだそうだ。やっぱり万年野党ではいたくないのだろう。それにしても、解せないのは、重大な政策の変更に関して、党内での議論が行われた形跡がないことだ。やっぱり日本共産党には民主主義はないのである。普通であれば、喧々囂々の大論争が起きても良さそうなのに、代々木官僚の鶴の一声で決まってしまうのである。そんなことが許されてよいのだろうか。日本中のいたるところに「9条は世界の宝 」と書かれた看板がある。そこまで言うのであれば、すぐにでも撤去すべきだろう。しかし、よくよく考えてみれば、もともと日本共産党は紆余曲折の繰り返しであった。平和革命を目指したと思ったらば、急に武装闘争を展開したこともあった。それが敵の出方論になって、今では平気で民主党とも組むのである。国際的にも、ソ連の言いなりであったのが、一転して中共寄りとなり、そして自主独立路線を取るようになったのである。現在も実質的には不破哲三の体制が継続しているのだろうが、いくら厚化粧をしても共産主義は共産主義なのである。上からの指令に従う主体性のない者たちは、自分では何事も決められないのであり、全体主義の牢獄を待望しているのだろう。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

氷玉なる峠を越えて会津盆地へ 5首

2015年10月16日 | 短歌

大内の集落過ぎて氷玉なる峠は紅葉雲の切れ間に

戦にて倒れし人の墓標あり戊辰の役の会津藩士の

下野の街道なれど行き交いし人の活気は失せしままなり

大川の渓谷を避け山越えの急なる坂が会津盆地に

遠回りしてまで越えし峠なり喧噪の世は遥か下なり

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ

               ←応援のクリックをお願いいたします。

政治 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする