つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

本・「寺山修司の時代」より

2009年10月14日 | 芸能
                    本「寺山修司の時代」

友人の山田勝仁さんから一冊の本を贈呈された。
「寺山修司の時代」(河出書房新社)である。
その中に山田勝仁さんが出筆した文章が17頁に亘って記載されてあった。
新高けい子伝序説 寺山修司に“殉じた”女優
以前取材していた内容をまとめたものであるという。

山田勝仁さんは青森県の出身で現在は夕刊紙の編集に係わっている。
寺山修司と新高けい子は青森高校の出身である。
青森県出身者は津軽のじょっぱり精神があり、困難にも打ち勝つ強い精神を持っている。
新高けい子は、終戦直前の45年7月の青森空襲に遭遇している。子供心にはっきり記憶していて、その時のことが平和祈願の原点となっている。
上京して、東京文化学園に入学後、学風の堅苦しさが肌に合わず中退、喫茶店やバーで手伝うようになる。
ミス日活に応募し次点で選考。ミス文化放送からキャバレー歌手などをして、ピンク映画への転身で道を開いた。
その後、寺山修司と出会い、行動を共にする。天井桟敷での公演は主要な役をこなしてきた。しかし稽古はとても厳しいものであった。ステージを重ね、海外公演でもけい子の存在感は絶賛された。役者は存在感があることが重要であることを知る。
天井桟敷の華として君臨した新高けい子も寺山修司の死は心の打撲を負った。
天井桟敷が解散した後は、どんな出演依頼も断ってきた。
「寺山さんと作った舞台の記憶は私の中ではいつもでも永遠の輝きを放っている」
新高けい子が大切にした台本。それは寺山修司と作った人生という名の台本だった。

山田勝仁さんは、一人の女性を取材して、研究して文章にまとめた。
自分もこの本から新高けい子という女優の存在を知ることとなった。

文藝別冊「寺山修司の時代 なぜいつも新しいのか」(河出書房新社 定価1,143円)

(10月14日記)
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