映画「火天の城」より
映画「火天の城」を鑑賞した。
安土城建設の模様を表した大スペクタルの秀逸作品となった。
原作は山本兼一。2004年『火天の城』にて第11回松本清張賞を受賞し、2009年1月 『利休にたずねよ』にて第140回直木賞受賞。
監督は田中光敏。2002年東京国際映画祭コンペ作品『化粧師』で映画監督としてデビュー。その後、『精霊流し』(03)では、さだまさし原作の小説を映画化し、第21回日本映画復興奨励賞を受賞。
長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長(椎名桔平)は、その天下統一事業を象徴するかのごとき巨城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意した。
それも五重の天主、西洋の大聖堂のような吹き抜けの構造を持った大城郭の建立を、である。
設計及び現場の総棟梁として信長が見込んだ男こそ、熱田の宮大工・岡部又右衛門(西田敏行)であった。
「3年で建てろ! 又右衛門が総棟梁じゃ!」と叫ぶのだった。こうして、大和六十六州全ての職人、そして名もなき百万の民の命運が又右衛門に託されることになる…。
又右衛門には次なる試練が待ち受けていた。それは七重の天主を支える親柱の材料となる檜の探索だった。必要なのは、二尺五寸(約75cm)角の檜であった。
それほど巨大な檜は樹齢にして2000年以上。
木曾上松にしかないと思われた。
信長は再び又右衛門の並みならぬ気概を感じて、木曾行きを快諾するのだった。
杣頭(そまがしら)の甚兵衛(緒形直人)に導かれてなんとか檜探しを始める。
甚兵衛はある夜「七重の城か、オラも見てみてえ」とつぶやく。
又右衛門はついに親柱に見合った檜を見つける。
だが、それは伊勢神宮の式年遷宮のために用意されていたお備木だった。
「大雨が降るまで待て。お主の夢にオラも賭けてみる」甚兵衛もまた命を賭して又右衛門と固い約束を交わすのだった。
工期はあと2年。しかし、檜はなかなか届かなかった。雨も降らない。
苛立つ作事場の人間たち、信長の家臣たち。
木曾の檜が琵琶湖の湖面を秀吉の先導で引き連れられてきた。
いよいよ、親柱を建てる作業が始まった!白装束をまとった又右衛門の号令で、親柱が何万もの人間の手で引き上げられていく。徐々に天へ向かって垂直に立ち上がっていく親柱。歓声を上げる民衆、大工たち。
大雨の夜、地下蔵では親柱の周りの敷石が沈み、親柱が天主を突き上げていた。
このままでは梁が折れるか、親柱が裂けるかのどちらかである。
又右衛門は意を決し、親柱の根元を4寸ほど切ることにする。
そのためには梁と親柱が支える城全体の信じられない重さを人力で持ち上げなければならない。
覚悟を決めた又右衛門の下に、全ての職人たち、女たちが静かに集結した!
(10月8日記)
映画「火天の城」を鑑賞した。
安土城建設の模様を表した大スペクタルの秀逸作品となった。
原作は山本兼一。2004年『火天の城』にて第11回松本清張賞を受賞し、2009年1月 『利休にたずねよ』にて第140回直木賞受賞。
監督は田中光敏。2002年東京国際映画祭コンペ作品『化粧師』で映画監督としてデビュー。その後、『精霊流し』(03)では、さだまさし原作の小説を映画化し、第21回日本映画復興奨励賞を受賞。
長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長(椎名桔平)は、その天下統一事業を象徴するかのごとき巨城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意した。
それも五重の天主、西洋の大聖堂のような吹き抜けの構造を持った大城郭の建立を、である。
設計及び現場の総棟梁として信長が見込んだ男こそ、熱田の宮大工・岡部又右衛門(西田敏行)であった。
「3年で建てろ! 又右衛門が総棟梁じゃ!」と叫ぶのだった。こうして、大和六十六州全ての職人、そして名もなき百万の民の命運が又右衛門に託されることになる…。
又右衛門には次なる試練が待ち受けていた。それは七重の天主を支える親柱の材料となる檜の探索だった。必要なのは、二尺五寸(約75cm)角の檜であった。
それほど巨大な檜は樹齢にして2000年以上。
木曾上松にしかないと思われた。
信長は再び又右衛門の並みならぬ気概を感じて、木曾行きを快諾するのだった。
杣頭(そまがしら)の甚兵衛(緒形直人)に導かれてなんとか檜探しを始める。
甚兵衛はある夜「七重の城か、オラも見てみてえ」とつぶやく。
又右衛門はついに親柱に見合った檜を見つける。
だが、それは伊勢神宮の式年遷宮のために用意されていたお備木だった。
「大雨が降るまで待て。お主の夢にオラも賭けてみる」甚兵衛もまた命を賭して又右衛門と固い約束を交わすのだった。
工期はあと2年。しかし、檜はなかなか届かなかった。雨も降らない。
苛立つ作事場の人間たち、信長の家臣たち。
木曾の檜が琵琶湖の湖面を秀吉の先導で引き連れられてきた。
いよいよ、親柱を建てる作業が始まった!白装束をまとった又右衛門の号令で、親柱が何万もの人間の手で引き上げられていく。徐々に天へ向かって垂直に立ち上がっていく親柱。歓声を上げる民衆、大工たち。
大雨の夜、地下蔵では親柱の周りの敷石が沈み、親柱が天主を突き上げていた。
このままでは梁が折れるか、親柱が裂けるかのどちらかである。
又右衛門は意を決し、親柱の根元を4寸ほど切ることにする。
そのためには梁と親柱が支える城全体の信じられない重さを人力で持ち上げなければならない。
覚悟を決めた又右衛門の下に、全ての職人たち、女たちが静かに集結した!
(10月8日記)