つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

横綱・白鵬の土俵入り(不知火型)

2014年07月26日 | スポーツ
                     横綱・白鵬の土俵入り

大相撲名古屋場所も大詰めを迎え、優勝盃は誰の手になるか興味のあるところ。

横綱・白鵬の土俵入りは「不知火型」です。
雲龍型と違って、せり上がるときに両手を伸ばす土俵入りで、太刀山峯右エ門が16代木村庄之助より習った型とされる。
戦前から戦後にかけて長期間活躍した羽黒山政司がこの型を継承し、主に旧・立浪一門(現・伊勢ケ浜一門)がこの型を選ぶ傾向にあるほか、二所ノ関一門もこの型を選ぶことがある。
堂々とした迫力のあるスタイルで、伝統的に大柄な力士が演じると見栄えの良い型とされている。

一方でこの型を選んだ吉葉山潤之輔が、横綱昇進時33歳と高齢ながら4年務めたにも関わらず、これをある相撲記者が玉の海正洋の昇進時に「不知火型は短命」というジンクスを表現し、その玉の海が在位中に夭折したことで、以後不吉とされることが多くなってしまった。
短命ジンクスはその後も続いた。ただ、そんな中で琴櫻傑將(在位8場所)と隆の里俊英(在位15場所)は、不知火型自体の後継者が少ないことから、型の保存の意味も込めてこの型を継承している。しかし両者とも横綱昇進当時30歳を過ぎていたこともあって長く在位することは叶わず、さらに旭富士正也(在位9場所)・若乃花勝(在位11場所)も横綱昇進後2年足らずの短命で終わっている。
また、一度も優勝せずに廃業した双羽黒光司(在位8場所)の印象も、不知火型のマイナス面を強めた感は否めない。

しかし、2007年に史上3番目の若さで横綱昇進を果たした白鵬翔が旧・立浪一門として不知火型を選択し、この型の横綱としては史上初の幕内優勝20回の大台に乗せている。そして2012年には同門の日馬富士公平もまた不知火型を選び、大相撲史上初めて不知火型の横綱が同時期に2人並び立つなど、この型の悪いイメージは次第に払拭されつつある。
なお、不知火型は輪を二つ作るように綱を締めるため、概して不知火型用の綱は雲龍型用のそれより長く重い。

(7月26日記)
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