つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

躰道と祝嶺正献最高師範について(2)

2019年07月14日 | 躰道

                    祝嶺正献最高師範

◎山下 巖先生(医療法人社団法山会 山下診療所理事長)は、山下一郎先生の長男であります。山下一郎先生は東京医科歯科大学在学中に祝嶺正献最高師範から玄制流空手道の指導を直接受けておりました。日本躰道協会設立後、祝嶺正献会長の下、副会長として躰道の発展に尽力してくださった方です。世界躰道連盟の理事長として活躍されていました。山下一郎先生が逝去後は、息子である山下 巖先生が躰道の発展に貢献してくれました。1996年、アメリカのアトランタで開催された世界躰道親善大会の時には、日本選手団とともに医師の立場で同行をされました。その山下 巖先生に「祝嶺正献先生の憶い」を綴って頂きました。3回シリーズで掲載します。
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山下 巌「祝嶺正献先生の憶い」(その2)

祝嶺先生は躰道の創造にあたり、単なる技術の集積ではなく、背景となる思想を求めておられました。先生はニーチェをはじめとした西洋哲学にも造詣が深く、様々な古典を紐解いては折に触れて語られていました。山下は禅と武士道をこよなく愛しており、「それ仏法遥かにあらず、心中にして則ち近し」ということで、祝嶺先生の中に流れる東洋・日本・沖縄の魂の中に宝があるということをよく語っておりました。こうした、ディスカッションは二人の間で折に触れて長時間にわたってされていたようです。

祝嶺先生が躰道を編み出した背景には人間魚雷による特攻隊の一撃必殺の探求があったと言われています。また二代目宗家を務められた奥様もひめゆり部隊として国のために一命を捧げる覚悟で奮闘されていたと伺ったことがあります。終戦を迎え、必殺の武力を平和に貢献する武道にしたいという思いはまさに日本の時代精神でもありました。そうした思いの中で先生は、大学や自衛隊・会社の部活動を通して若い世代の指導に精力的に取り組まれたのだろうと思います。

空手と袂を別って躰道が創設された1960年代は戦後の学生運動が盛んな時代です。若者は様々な世界思想の渦の中で必死に理想の未来を議論する時代だったと思われます。未来を担う若者に渾身の思索で体系化を進め、新しい武道を創造することで世界を導き照らすことを目指したことは想像に難くありません。躰道本体の発展にとどまらず、躰道に接した人がそれぞれの分野で活躍し、社会貢献することを望まれていたことでしょう。躰道の創造には形而上学的な思想や時代の背景が大いにかかわっていたと想像されます。(続く)

(7月14日記)

 

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