つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

躰道と祝嶺正献最高師範について(1)

2019年07月13日 | 躰道

                     山下 巖先生

◎山下 巖先生(医療法人社団法山会 山下診療所理事長)は、山下一郎先生の長男であります。山下一郎先生は東京医科歯科大学在学中に祝嶺正献最高師範から玄制流空手道の指導を直接受けておりました。日本躰道協会設立後、祝嶺正献会長の下、副会長として躰道の発展に尽力してくださった方です。世界躰道連盟の理事長として活躍されていました。山下一郎先生が逝去後は、息子である山下 巖先生が躰道の発展に貢献してくれました。1996年、アメリカのアトランタで開催された世界躰道親善大会の時には、日本選手団とともに医師の立場で同行をされました。その山下 巖先生に「祝嶺正献先生の憶い」を綴って頂きました。3回シリーズで掲載します。
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山下 巌「祝嶺正献先生の憶い」(その1)

 私が祝嶺先生と初めてお会いしたのは、千駄ヶ谷の東京体育館で全日本躰道選手権大会が開かれていた時に遡ります。中学で空手部に入り、父からチケットをもらい、友人を連れて観戦に伺いました。その折に、沢山の観衆の中で笑顔をたたえた祝嶺先生が現れ、大きな手と握手した感覚は、40年経った今でもはっきりと覚えています。祝嶺先生について語るにあたり、私の直接の体験のみならず、私の父である山下一郎から伝え聞いたことを、私なりの解釈を加えてお伝えしたいと思います。祝嶺先生がご逝去されて18年、山下一郎が急逝してから24年経ちました。「若いみんなの時代が来たら、伝えておくれ真技の姿」という祝嶺先生のメッセージをかみしめたいと思います。 

 山下一郎は祝嶺先生とは長く深い縁で結ばれていたようです。山下が東京医科歯科大学の学生だった1950年代に、空手部の師範と部員という関係から始まりました。その後山下は東京大学に籍を移し、舌がんをはじめとした口腔外科分野で外科手術を道として究めつつ、医学の中での口腔外科学のあり方を思索し、理念の体系化等に取り組んでいました。おりしも祝嶺先生は空手の達人・指導者という域にとどまらず、ご自身が抱かれた武道の極意を理念として体系化され、思想的にも昇華し、ひるがえって現世に躰道として世に問い始めたころでもあります。全く分野は異なりますが、医学の中で口腔外科という一分野が理念を創る道程は、躰道創造の理念と感応道交して創り上げられていったものということもできます。(続く)

(7月13日記)

 

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