土井慈功氏
土井慈功氏は建設省在勤中に躰道の「命の法形」を修練しておりました。勇退後は住職となり仏門に入っております。躰道壮年倶楽部においても講演を担当してくれました。躰道と祝嶺正献最高師範について寄稿して頂きましたので公表します。(3回シリーズ)
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土井慈功「躰道はベンチャースポーツだった」(3)
3 躰道の命名の意義
宇宙に存在する数かぎりない森羅万象に名前のついていないものはない。新しい物質や現象が現れると必ず命名する。命名の規程はないが、そのものの形態や性質が表現される名がつけられている場合が多い。躰道は日本で生まれた武道なので、古来から武道や芸事には剣道、弓道、柔道、茶道、華道など実践道徳が基本になっているので道がつけられている。道は礼仁義の儒教の思想と結びついている。我が国では武士道が重んじられ、武士の基本道徳になっている。欧米のスポーツは競争、遊戯、激しい肉体活動や訓練であり、あまり精神面を重視していない。強ければよいという観念である。米国の四大スポーツ、アメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケー、野球は商業主義が導入され、スポーツが企業になり、優秀な選手は生涯に数百億も稼ぐことが出来る。ベンチャー企業のGAFAは金総どり合戦を行ない巨大な企業になっている。ベンチャースポーツとして躰道は青少年に肉体と精神の強化をはかり人間として身心の充実を本音としている。スポーツの商業化はどうしても純粋なスポーツ精神がゆがめられてしまう。新渡戸稲造は英文で武士道を著し世界にこの言葉を広めた。彼は明治の終わりに野球害毒論を主張した。野球という遊戯は悪くいえば巾着切り遊戯、相手をペテンにかけようとする球技であると非難した。要するに武士道の徳に反する競技である。この論議は反害毒派の圧勝に終わったが、最近の日本の社会では偽装、虚言、忖度が蔓延しているので武士道が重視されなければならない。武道を忘れた日本人はこれからのグローバル時代に対応できなくなるのではないのか。最近のスポーツでカーリングはいじわるスポーツ、いじの悪い方が勝利する。さらに仮想ゲームが℮スポーツになり科学戦争時代になったらその戦士を育成しているのではないのかと老人の私にはなかなか理解できない。昭和40年(1965年)に祝嶺先生が躰道を創立した。1960年から1970年代にかけて社会経済状況が急激に変化した。終戦20年後に戦争の疲弊からどうにか脱出してきた。沖縄の復帰、東京オリンピックの開催、沖縄海洋博覧会の開催など巨大プロジェクトが実行されていた。祝嶺先生はこういう状況の中で躰道を創立した。体制の転換期で新しい考え方や行動がとられ新しい機運が世界的に風が吹いていた。先生は躰道の開設にあたり種々の困難をのりこえてきた。先生の資質と社会の背景によるものであろう。躰道の命名にも熟慮に熟慮をかさねた名前である。〇道の二字でわかりやすい字を考えたのであろう。躰道は中国の拳法から沖縄で空手に変貌した。拳と徒手の武道である。護身法での武道で拳や手を含めて身体全体を使う多次元の護身法を組み立てたので身体という字を当てるのが当然であり、體、躰、体のからだの字を当てることにしたのであろう。からだの原語は體であり体は體の旧字体、躰は體の異体字(漢字の成り立ちから判断して原形に近いもの以外のもの)であり身体を合成した形で躰となるが、この字形がなんとなく躰道の技形を想定される。體は23画数なので難しい字なので、体道となるとあまりにも平凡であり多次元の武道を想定できないので躰を選んだと思う。先生が生存の時に躰道を誕生させた経緯、命名の理由を聞きたかった。躰道の運動をして昔のことを思い出してこの拙文を書いていると先生の偉大さをふつふつと実感している。躰道は心技体の武道を具現していると思っている。躰道の継承者は多次元の躰道をさらに発展させていただきたい。思うままに勝手に躰道について書いてしまい失礼な点、多々あると思っている。(完)
(7月23日記)