躰道創始者・祝嶺正献最高師範
土井慈功氏は建設省在勤中に躰道の「命の法形」を修練しておりました。勇退後は住職となり仏門に入っております。躰道壮年倶楽部においても講演を担当してくれました。躰道と祝嶺正献最高師範について寄稿して頂きましたので公表します。(3回シリーズ)
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土井慈功「躰道はベンチャースポーツだった」(2)
2 躰道の誕生に思うこと
祝嶺先生は玄制流空手から新しい運動を昭和40年に旗揚げして躰道を創立した。
現在外国まで躰道が広まっていること感無量である。戦後わが国で新しい運動が創立されたのは躰道のみである。私が指導を受けた40年前この事を知らなかった。今日この事実を知り祝嶺先生の偉大さを再認識している。先生は大正15年(1926年)に沖縄の名護に生まれ、幼少の頃から空手を習い始めた。英才教育を受けていて生涯にわたって空手と躰道の研鑽にささげた。先生は何故に躰道を生み出したのか、先生の資質と当時の社会経済の背景によるものと思われる。護身術の空手は一次元の平面的な動きであったが、これでは多数の相手と戦うには行動が限定され、もっと躍動的でなければならない。そのために平面的から空間面を対称にしてもっと多角的な運動でなければならないと想像した。行動範囲を広くすることにして多次元運動でなければならない。法形の一つ一つは連続体をもたせるように考えたのではないのか。すなわち既存の拳法、空手の一次元の動作でなく三次元的な動作にする。空手の一流派でなく新しい運動の創立となった。
先生の発言はときどき仏教哲学の思考による発言があった。大宇宙から生まれた人間を小宇宙であると思っていたに違いない。だから多次元の運動が行われる。万物が五要素から成り立っていると解釈した五行説や陰陽説にも造詣が深い。最近の物理学では万物がすべて素粒子によって形成され、ミクロの世界をあつかう量子論、今まで粒子と考えていたモデルからひも状なっているというひも理論とアインシュタインの時間と空間と重力を扱う一般性相対理論を総合すると宇宙は4次元(縦、長、高、時間)でなく10次元の時空になっている。それぞれ次元の性質は分からないが、心象という現象も一つの次元になっているかもしれない。戦う場合の心象形成は大切な要素である。躰道は多次元の運動でなければならないと考えていた。これが今までの武道と違うところである。従って新しい武道である。躰道が誕生した終戦20年後の1960年から1970年代にかけて経済活動が活発になった。、1960年池田首相となり高度経済政策、所得倍増、1964年東京オリンピック、名神高速道路、新幹線開通、1970年日本万国博覧会開催、岡本太郎が太陽の塔を建立して国民の心情をあらわした希望の灯になった。 1972年沖縄返還、日中国交正常化、1975年沖縄海洋博覧会開催、次から次へと巨大プロジェクトが完成した。中国が1966年文化大革命、紅衛兵旋風から、知識階級の自己批判が行われて多数の人民が殺戮された。儒教の孔子の末裔75代孔健が国を追われて日本へ現在も在住している。一方1970年代ベンチャー企業が促進されGAFAが巨大な企業となっている。これらのオーナーはすべて移民の血が流れている。祝嶺先生も沖縄復帰前に本土に移民した。グローバル時代になると移民の人達が開発精神にもえて企業を創立、日本でもソフトバンク、エチ・アイ・エス、パソナのオーナーも移民の血が流れている。こういう社会経済の動きで事業や運動が生まれやすい状況であった。ベンチャー企業は金の総取りをおこなっているが、ベンチャースポーツである躰道は金を目当てにした運動でなく人間育生のためのスポーツであり、欧米で生まれたスポーツは商業主義化され巨大なスポーツ企業になっているが、躰道は純粋なスポーツであり、武士道そのものの運動である。祝嶺先生はウチナンチュウで復帰前にヤマトンチュウの本土に移民してきた躰道はベンチャースポーツなのだ。(続く)
(7月22日記)