つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

体気九法の上丹について

2009年10月10日 | 躰道
             上丹(頭部)の氣の使い方で相手も投げ飛ばせる

志木市躰道協会の練習日に、谷鐡太郎八段範士が来られて指導を担当した。
体氣九法のうち、上丹についての理論と実習でした。
首から上の頭部を後ろから羽交い絞めにされて首を横に回されたときに、上丹部の氣をゆっくりと反対側に移動させると、後ろの者が斜め前方に投げ飛ばすことができるというもの。
実際にやってみると、氣の使い方により、いとも簡単に後方の相手を転がすことができた。

氣というのもは、眼の見えない後方の者の動きも察知することができる。
後方から襲い掛かる者の動きを集中した氣により、対処することができる。
技を出すなら海老蹴りが効果がある。
氣については、多少人により差が出てくる。
しかし、訓練次第では集中することにより氣の動きが出せるということを教わった。

谷鐡太郎範士は70歳を超えても毎日道着を着用して稽古に励んでいる。
同じ八段範士の中には、谷範士の行動を見習う必要のある人がいるようだ。

(10月10日記)
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山手線命名100年

2009年10月09日 | 報道
                   山手線命名100周年記念電車

高田馬場駅のホームで、茶色の山手線に遭遇した。
山手線命名100周年の記念電車として一編成が運行されている。
山手線は一周一時間で走るので、何処かで一時間待っていれば必ず見ることができる。
今は緑色の山の手線として定着しているが、以前は国電の多くは茶色の車両で走っていた。その後、路線ごとに色分けをして走らせている。
広告は明治チョコレートで、車両を茶色にラッピングした模様。

(NHKニュースより)
JR山手線が命名されてから、ちょうど100年になるのを前に、旧国鉄時代の昭和30年代まで山手線を走っていた列車の濃い茶色を復元した記念列車の運転が始まりました。
山手線は明治42年、国が全国各地の鉄道路線に地域の名前をつけた際、東京の山の手の地域を中心に走っていた3路線の総称として名付けられました。
命名から、ちょうど100年になるのを記念して、JR東日本は、旧国鉄時代の昭和30年代まで山手線を走っていた列車の濃い茶色を復元した記念列車の運転を始めました。
記念列車が東京駅のホームに到着すると、早速、通勤客などが利用していました。
記念列車は1編成が12月4日まで運転されます。

(10月9日記)
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映画「火天の城」

2009年10月08日 | 芸能
                   映画「火天の城」より

映画「火天の城」を鑑賞した。
安土城建設の模様を表した大スペクタルの秀逸作品となった。
原作は山本兼一。2004年『火天の城』にて第11回松本清張賞を受賞し、2009年1月 『利休にたずねよ』にて第140回直木賞受賞。
監督は田中光敏。2002年東京国際映画祭コンペ作品『化粧師』で映画監督としてデビュー。その後、『精霊流し』(03)では、さだまさし原作の小説を映画化し、第21回日本映画復興奨励賞を受賞。

長篠の戦いで甲斐の武田勢を破った織田信長(椎名桔平)は、その天下統一事業を象徴するかのごとき巨城を、琵琶湖を臨む安土の地に建築することを決意した。
それも五重の天主、西洋の大聖堂のような吹き抜けの構造を持った大城郭の建立を、である。
設計及び現場の総棟梁として信長が見込んだ男こそ、熱田の宮大工・岡部又右衛門(西田敏行)であった。
「3年で建てろ! 又右衛門が総棟梁じゃ!」と叫ぶのだった。こうして、大和六十六州全ての職人、そして名もなき百万の民の命運が又右衛門に託されることになる…。

又右衛門には次なる試練が待ち受けていた。それは七重の天主を支える親柱の材料となる檜の探索だった。必要なのは、二尺五寸(約75cm)角の檜であった。
それほど巨大な檜は樹齢にして2000年以上。
木曾上松にしかないと思われた。
信長は再び又右衛門の並みならぬ気概を感じて、木曾行きを快諾するのだった。

杣頭(そまがしら)の甚兵衛(緒形直人)に導かれてなんとか檜探しを始める。
甚兵衛はある夜「七重の城か、オラも見てみてえ」とつぶやく。
又右衛門はついに親柱に見合った檜を見つける。
だが、それは伊勢神宮の式年遷宮のために用意されていたお備木だった。
「大雨が降るまで待て。お主の夢にオラも賭けてみる」甚兵衛もまた命を賭して又右衛門と固い約束を交わすのだった。
工期はあと2年。しかし、檜はなかなか届かなかった。雨も降らない。
苛立つ作事場の人間たち、信長の家臣たち。

木曾の檜が琵琶湖の湖面を秀吉の先導で引き連れられてきた。
いよいよ、親柱を建てる作業が始まった!白装束をまとった又右衛門の号令で、親柱が何万もの人間の手で引き上げられていく。徐々に天へ向かって垂直に立ち上がっていく親柱。歓声を上げる民衆、大工たち。

大雨の夜、地下蔵では親柱の周りの敷石が沈み、親柱が天主を突き上げていた。
このままでは梁が折れるか、親柱が裂けるかのどちらかである。
又右衛門は意を決し、親柱の根元を4寸ほど切ることにする。
そのためには梁と親柱が支える城全体の信じられない重さを人力で持ち上げなければならない。
覚悟を決めた又右衛門の下に、全ての職人たち、女たちが静かに集結した!

(10月8日記)
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映画「バラッド 名もなき恋のうた」

2009年10月07日 | 芸能
                   映画「バラッド 名もなき恋のうた」より

映画「バラッド 名もなき恋のうた」を鑑賞した。
02年にヒットしたアニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」の実写化。
「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎貴監督作品。
戦国時代と現代をコラボレーションした映画となった。

姫を愛するが身分の違いから想いを寄せて守る家臣。
家臣に草なぎ剛。姫に新垣結衣。
姫も想いながら戦国時代の悲恋を描いた切なく哀しい恋愛ストーリー。

戦国時代の戦場に四駆の自動車が疾走する。
戦闘場面は黒澤明監督の「乱」や「影武者」を思い出させてくれた。

(10月7日記)
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映画「カムイ外伝」

2009年10月06日 | 芸能
                   映画「カムイ外伝」より

映画「カムイ外伝」を鑑賞した。
白土三平原作の傑作コミックを崔洋一監督が実写化したアクション娯楽大作。
忍びのおきてに背き、たった一人で追っ手から身をかわす不屈の主人公の苦悩と孤独を浮きぼりにする。
孤高のヒーローをその抜群のセンスで演じるのは、松山ケンイチ。ヒロインを小雪が演じている。
人気脚本家、宮藤官九郎と崔洋一監督が共同で手掛けた脚本からあふれ出す人間味に満ちた物語に圧倒される。

鉄の意志を持ち、見事な剣の腕前を持つ忍者カムイ(松山ケンイチ)は、おきてにがんじがらめにされた忍びの世界に閉口してそこから抜け出す。
かつての仲間、大頭やミクモはそんな彼を裏切り者とみなし、執拗にその後を追う。漁師の半兵衛を助けたことでカムイはその家族に歓迎されるが……。

忍者の掟を破って抜忍になったカムイは、かつての仲間と死闘を繰り広げる。
緊張感が最後まで息を抜かせない迫力なドラマが展開。
忍者独特の動きを演出として、CGを随所に盛り込んでいる。
サメ退治をするシーンなどは迫力満点である。
激しい動きで身体を張った演技をした松山ケンイチ(カムイ)の活躍が光る。
忍者の組織を抜け出した者(抜忍)の厳しい状況を上手く表現している。

沖縄のオープンセットでの撮影と海のきれいなところが印象に残った。

(10月6日記)
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野口英世博士像

2009年10月03日 | 日記
              野口英世博士像の前で千円札を広げる

国立科学博物館の前の公園の中に野口英世博士の銅像が建立されている。
大樹君は、千円札を出して見比べていた。
写真を撮るときに千円札を広げて見せていた。

野口英世(のぐち ひでよ、明治9年(1876年)11月9日 - 昭和3年(1928年)5月21日)は日本の細菌学者。
学位は医学博士(京都大学)、理学博士(東京大学)。
その他、ブラウン大学、イェール大学より理学博士を授与されている。
称号はエクアドル共和国陸軍軍医監、名誉大佐。
キリスト者。

黄熱病や梅毒等の研究で知られる。
また、コッホから始まる細菌学的医学権威の最後の一人ともいわれる。
ガーナのアクラで黄熱病原を研究中に自身も感染して51歳で死去。

(10月3日記)
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大地を駆ける生命

2009年10月02日 | 日記
                 動物を写生する大樹君と凌也君

国立科学博物館の地球館は、地球生命史と人類のコーナーである。
地球の多様な生き物がお互いに深く関わりあって生きている姿、地球環境の変動の中で生命が誕生と絶滅を繰り返しながら進化してきた道のり、そして、人類の知恵の歴史が展示されている。

3階は大地を駆ける生命のコーナーで、地球環境の豊かさの証として、さまざまな哺乳類と鳥類の存在がある。
ここでは、力強く生きていたときの多くの動物の姿が、剥製となって今もその魅力をたたえている。
サバンナの哺乳類のところで、孫の大樹君と凌也君は動物たちの写生を始めた。
6種類の動物の顔の絵を描いていた。

科学博物館は、一日いても飽きない。
シアター360は、360度全方位に映像が映し出され、独特の浮遊感や迫力が味わえる映像施設だ。
球体の施設の中に入り中央の橋のところからスクリーンを観る。
川の上空を飛んでいき、滝の流れに入っていくところや、恐竜が迫ってくるシーンなどは迫力がある。

(10月2日記)
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国立科学博物館

2009年10月01日 | 日記
               アンモナイトを観る大樹君と凌也君

上野公園の国立科学博物館に孫の大樹君(小5年)と凌也君(小3年)を連れて行った。
ここは入館料が高校生までは無料となっている。
常設展は、日本館と地球館に分かれて展示してある。
日本館は、飛行機の形をしており、両翼の展示室には、自然をみる技、日本人と自然、生き物たちの日本列島、日本列島の生い立ち、日本列島の素顔のコーナーがある。

孫たちは最初に「アンモナイトの海」のところに興味を持ったようだ。
説明文によると、
北海道の中央部には、砂岩や泥岩を主体とする白亜紀の地層(蝦夷層群)が分布する。
これは大陸と海溝の間の盆地状になった部分で形成されたもので、アンモナイトを多産する。
1mを超える巨大なものやニッポニテスを含む異常巻きアンモナイトなど、これまで500種以上が見つかっている。
白亜紀、大陸の近海はアンモナイトの格好の生息域であった。

(10月1日記)
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