ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2012.4.4 心が傷つくとき・・・医療者の場合

2012-04-04 20:40:01 | 日記
 先日、岡本左和子さんのコラム、「患者の心が傷つく時」を転載させて頂いた。今日は「医療者の場合」が掲載されていたので、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

診察室のワルツ:/22 医療者の心が傷つく時=岡本左和子

 患者・家族との関係で、医療者の心が傷つく時を考えます。患者・家族が、ためらわず質問し、気にかかることや不安、不満を医療者に伝えることは大切ですが、言い方には一工夫が必要です。

 医療者は、患者のためを思って伝えている内容が受け入れてもらえず治療が進まない、または症状が悪化してしまったときや治療結果への期待が異なるとき、さらに改善に結びつく対話ではないとき、患者・家族の言葉によって心が傷つくことが多いようです。

 例えば、はっきりと自覚症状がない段階で病気が見つかり、医師が悪化を防ぐために投薬の大切さを繰り返し伝えても、患者が真剣に受け止めないケース。治療の結果、症状が良くなり、普段の生活ができるようになったが、少し残った身体の不具合に患者が不満を持つケース。患者の苦情に一生懸命耳を傾けている看護師に、「あなたと話しているとイライラしてくる」と突然席を立った患者のケースや、「あなたはパートの看護師だから私に針を刺さないで」と患者に言われたケースなど、例を挙げるときりがありません。

 医療者に聞くと、苦情を受けること自体に「心が傷つく」のではないと話します。患者の視点に立てば、「思ったように治療成果が出ない」「病気を受け入れられない」など、闘病による不安や不満が爆発して感情的な表現になった、と考えられます。医療者がこのことを対話によって確認し、プロフェッショナリズムに見合った対応や援助ができれば、心は傷つかないでしょう。たとえ患者の暴言であっても、一時的なことであり、対話の継続によって互いに誤解を解くなど、医療者と患者の関係や病院の改善に結びつけば、心が傷つくことはないはずです。

 しかし、前述の例では、医療者は患者の感情のはけ口になっただけで、患者を思う医療者の気持ちや努力は理解されないままです。「医療者の視点を考える」「個を尊重した言い方をする」「病を受け入れて生活を楽しむ工夫をする」など、患者ができることも多くあります。さらに、患者が仕方なく不満や怒りを抑えられなかったとしても、その後に、対話を継続する姿勢は心がけてください。(おかもと・さわこ=医療コミュニケーション研究者):毎日新聞 2012年4月4日 東京朝刊

(転載終了)※  ※  ※

 なるほどな、と思った。毎週お世話になっている看護師さんに「(患者さんから)いろいろ言われて嫌な思いをされることも多いでしょう?」と問いかけた時のこと。少し考えて「職業病なのか(嫌だな、というよりも)”どうしてそう思うのかな”と考えてしまうんですよ。」とおっしゃっていた。

 つまり、常に患者の視点に立って考えてくださっている、ということなのだ。上に書かれているとおり、プロとして働く医療者を尊重し、決して自分の感情のはけ口にしてはいけない、対話を断ち切ってはいけない、と改めて思う。私たち患者を思ってくれる気持ちや努力をまず、理解し、尊重したい。人間同士だ、お互いにお互いを認め合い、尊重しあい、解り合おうと思って解りあえないはずはない、と信じたい。

 突き詰めれば、心が傷つくとは、こういうことなのではないか。お互い対等の立場で、個としてリスペクトしたうえで、相手を思いやっての発言であれば、それが、たとえ厳しい言葉であっても結果として傷つかない。これは医療者だの患者だの、に限らず、人対人の関係全てに通じることのように思う。

 さて、昨日の強風はいまだその名残があるが、台風一過のような青空が広がった。今日は休薬日。今週1週間は体調がどんどん上向きになってくる。食欲も旺盛、便秘も解消。いわゆる3週間に1度の躁状態がやってきた。前向きに生活を楽しんでいきたい、と思う。

 ようやく学内の桜が咲き始めた。週末は5分咲きまでいくかどうか。無情な雨さえ降らなければ来週末まで楽しめそう。楽しみだ。

 帰宅すると今月のお花が届いていた。オレンジ、ピンク、赤のラナンキュラスが2本ずつ、白、赤、紫のアネモネが1本ずつ、そしてマーガレットが3本。花言葉はそれぞれ「輝く魅力」、「はかない恋」、「真実の愛」だそうだ。

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2012.4.3 あと10年遅かったら・・

2012-04-03 20:54:42 | 日記
 今朝の朝食時のこと。朝刊を見ながら夫が「乳がん再発が完全に防止出来るようになるって!」と言った。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

乳がん再発、完全防止の可能性・・・「幹細胞」解明

 乳がん細胞のもととなる「幹細胞」が、体内で増殖する仕組みを、東京大学の後藤典子・特任准教授と日野原邦彦・特任助教らが明らかにした。
 幹細胞を狙って根絶することで、乳がんの再発を完全に防げる可能性がある。米科学アカデミー紀要に発表する。
 がん治療は一般的に、抗がん剤や放射線治療でがん細胞を死滅させるが、がん細胞を生み出す幹細胞が残ってしまい、再発の危険性がある。
 研究チームは、乳がんの組織に含まれる幹細胞が、塊を作って増殖することに注目。細胞表面に「HRG」というたんぱく質が結合することが、引き金になり、複数のたんぱく質が作られて、増殖に必要な環境を維持することを突き止めた。(2012年4月3日12時40分 読売新聞)

(転載終了)※  ※  ※

 そして、ため息交じりに「あと10年(罹患するのが)遅かったら、良かったのにね・・・」と言われた。
 まあ、確かにそうなのだが、なってしまった以上、今更そう言われても仕方ない。

 けれど、乳がん患者さんは本当に数多いから、いざ、当たればこんなに大きな市場はない。研究費も潤沢にかけられるし、一度いい薬が出れば・・・たとえば分子標的薬のハーセプチンは1回の点滴が数万円、年間にすれば一人数百万単位。至極美味しい分野だろうとも思う。
 そして、ごく稀な癌腫で、患者さんが少なく治療薬の進歩が遅々としてみられないものと比較すれば、格段に恵まれていて、希望がある病気ではないか、とつくづく思う。

 一旦、再発・遠隔転移してしまえば、完治は望めない、ということは厳然たる事実かもしれないけれど、諦めずに粘り続けて治療を続けていれば、遠くない日にきっと恩恵を被ることは出来る。だから、希望は捨てない。そして、その日までは心穏やかに精一杯生きる。これに尽きる、と思う。

 夜中、気圧のせいか頭痛で目覚め、その後眠れなかった。やむなくロキソニンを飲んで出勤した。
 今日は新入生へ配布物一式を渡す日。午前1回、午後2回に分けての、これまた人海戦術。例年は屋外での配布だったが、今日は悪天候のため、急遽教室での配布となった。
 予報どおりどんどん雨風が酷くなり、僅か数メートル先が真っ白に見えるほどになった。3回目の配布が終わって事務室に戻る時には、傘がさせる状態ではなく、まるでシャワーを浴びたようになってしまった。
 新入生の学生証を見ると、息子とどんどん生年月日が近くなっていることを改めて実感する。さて、2年後、彼は無事に大学生となっているのかどうか・・・。

 私は決死の覚悟で徒歩で帰宅したが、とにかく猛烈な風で、何度も立ち止まり飛ばされそうになった。帰宅した時には、上から下までグッショリの濡れ鼠。息子から風速40m近くあったと聞いて、さもありなんと恐ろしくなった。
 都心まで通勤している夫は、案の定途中で電車が止まってしまい、いつもより1時間以上遅い帰宅となったが、雨はそれほどでもなく、風はあっても空は既に星空だったそうだ。

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2012.4.2 北陸旅行に想い出すこと

2012-04-02 21:01:24 | 日記
 週末、夫と息子が北陸旅行から帰宅した。沢山の写真を見せてもらいつつ、もう30年近く前の学生時代に友人たちと出かけた旅行を懐かしく思い出した。

 30年近く前に旅行の計画を立てるといえば、現在のようにもネット検索等が手軽に出来なかったから、ガイドブックを買いこんで、まだ見ぬいろいろなお店の料理を思い浮かべつつ、時刻表と睨めっこをしながら、というものだった。

 この旅行は、昨年、四半世紀ぶりに四半期ごとの会合が復活した「つぼみの会」のメンバー4人で出かけた旅だった。
 バブル期前の貧乏女子学生の旅行だったから、行きは普通列車「大垣行き」の夜行列車で、ボックスシートに座ったままの夜明かしだったし、宿泊はユースホステル、という切り詰めようだった。夜遅く到着したユースホステルのお風呂のお湯が減り、砂でザラついていたのを見て、驚いた私たちは入浴出来ずじまいだったことも覚えている。
 それにしても、よくあんな蚕棚のような2段ベッドで寝られたものだ。

 それでも、金沢の武家屋敷、忍者屋敷を巡り、兼六園を愛で、名物の治部煮をリーズナブルな食堂で食べたり、お干菓子をお土産に買ったり。東尋坊や永平寺、輪島の朝市にも足を伸ばした。フリー切符を駆使しつつ観光ポイントは外さず、てんこ盛りの旅行だったように思う。
 季節は確か試験休みの春の初め。生まれて初めて訪れた豪雪地帯だったから、雪深さにびっくりしたのを覚えている。

 旅の途中、忘れられない出来事があった。
 永平寺でのこと。凄い雪だった。しんと静まり返った廊下の冷たかったこと。タイツを履いていても足先が痺れるほどの。それでも女子大生、お気楽に皆でポーズをとりながら写真撮影等をしていた。

 さて、帰ろうかと思った頃、一人の若いお坊さんから必死の形相で声をかけられた。
 「手紙を出してもらえませんか」と。
 息を呑んだ。
 「母にどうしても手紙を出したいのですが、修行中は家へ連絡を取ることは禁じられています。この辺りのポストに投函すれば必ず見つかって届かなくなってしまう。だから、どうかここを離れてからポストに入れてほしいのです。」と。
 能天気な女子大生に、そんな大役・・・、と思ったが、あまりの真剣さに受け取りを拒むことが出来なかった私だった。

 そして、そのまま封書をお預かりして、次の宿泊先かその次(だったと思う。)のポストから投函した。
 あの手紙は、無事にお母様の手元に着いたのだろうか。
 あの若いお坊さんは今、どうしておられるのだろう。立派な僧侶になっているのだろうか。
 思えば、あのお坊さんは私たちとそれほど歳が違わなかったのではないか、とも思う。

 ただそれだけのことなのに、今も思い出すとドキドキするほど私の心を打った出来事であった。

 さて、新年度初日。朝から異動してきた職員の挨拶やら何やらで落ち着かない雰囲気。特別何をしているわけでもないのに人疲れで疲労困憊といった感じ。
 陽射しは明るいので、思い切ってスプリングコートを着て出かけたけれど、風はまだ冷たい。桜の蕾も膨らんできているが、まだ花開く感じではない。こちらは都心に比べて気温が低いので、あと10日ほどしたら満開になるだろうか。残念ながら週末に行われる入学式には間に合いそうにない。
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2012.4.1 トリプルヘッダー・コンプリート!

2012-04-01 21:21:20 | 日記
 今日は毎月楽しみにしているリフレクソロジーの日だ。通っているサロンの周辺は、地名に「桜」が入っているくらい桜の名所なのだが、さすがに都心で昨日開花宣言したばかりで、こちらでは花一輪を見ることも出来ず。至極残念だ。来月来るときには八重桜が残っていますように、と願う。

 レモングラスの香りに癒されつつ施術が始まると、もったいなくもあっという間にうとうとしてしまった。終了後、左の鼠蹊部が滞っていること、目が疲れていることを指摘された。来月の予約を入れて、最寄駅まで送って頂く。
 オーナーのお孫さんも3か月を超えて、すっかり顔つきが変わりしっかりとしてきた。スマートフォンにぎっしり写真が詰まっているようで、あれこれと可愛いショットを見せて頂いた。

 一方、息子は夫に付き添ってもらって、学生証の写真撮影のためにいつもの写真館へ出かけていた。その後、3人で自宅最寄駅で合流し、夫の定期や新学期の学用品や提出品等、気になっていたものを一気に準備することが出来て気分はすっきり。

 さらには、12月に個別塾を辞めて以来、その後のことは本人に任せていたものの、それっきりになっていた自宅学習。このままではいけないよね、とこれから通うことになるかもしれない塾の面談に行ってきた。とりあえず明日、体験授業を受けることになった。勉強は分かれば間違いなく面白いものだ。教え方が上手な先生に当たれば、“目から鱗”のことも沢山ある。良いきっかけになってくれるとよいのだけれど・・・。

 久々に3人でランチ。2人の旅行中はナベルビン投与後で食欲もなかったし、一人だったのですっかり適当な食生活をしていたが、今日は我ながら驚くほど空腹で、なんでも食べられる!と思ってしまうほど。これまでの食欲不振の反動とはいえ、満腹中枢が壊れてしまったのか・・・と不安になるほどの食欲。我ながら怖い。それにしても、美味しく食べられることがなんと幸せなことか。

 ランチの後は、昨日に引き続きリンパプラスヨガに参加。さすがに調子に乗って食べ過ぎたのが祟ったか、途中でお腹がもたれて気持ちが悪くなり、リタイアしそうになってしまった。その間、夫と息子は鉄ちゃん映画を楽しんだ。帰路も何となく一緒の時間になってしまった。

 そんなこんなで、とても久しぶりの充実した日曜日だった。風は強かったが、陽射しはすっかり春だった。大量の洗濯物もすっかり乾いてくれて、ほっとした。

 いよいよ明日からは文字通り新年度始動だ。


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