城中に紛れ込んだ勘助の手の者たちは用意した火薬に火をつけて回ったのであった。
折悪しく、小田井の兄弟は東西の櫓にあがり兵を指揮していて、この狼藉に気づかなかった
城兵はわけもわからず騒ぎ立てた、「裏切り者だ」と言えば「敵が紛れ込んだ」という者もあり、守りに乱れが生じた。
小田井又六は味方に向かい「直ちに二の門内に引き揚げよ」と下知して自らも二の丸へと入った
勘助は、これを見て「謀ごと成って、もはや外曲輪の敵は去ったぞよ、城戸を破って突入せよと馬上から立ち上がって采配を振れば、諸兵たちまち城戸を打ち破り二の門に押し寄せた
これに元気をもらった板垣勢も押し出し、その中より広瀬、馬淵の二人も勇み出て早、山本勢の後ろから二の門に取りついた。
これを見て小田井兄弟は二の城戸にあって、散々に矢を射かける
しかし既に二の丸の内にも勘助が放った兵が潜り込み、またしても火を放ったので、その日は十二月十八日、燃え盛り煙に巻かれた曲輪に見切りをつけて、「もはやこれまで、城外に出て討ち死にして思い出の戦とせよ」と言えば
一番に小田井次郎左衛門、忠臣五十名余を引き連れてまっしぐらに討ち出でる
勘助はこれを見て、城将小田井の内と見て「討ち取りて今日の功名とせよ者ども」と下知すれば武田の勇士、次郎左衛門目指して一斉にかけ寄せる
次郎左衛門は四尺ばかりの太刀を抜いて、当たる先から散々に切りまわれば、流石の武田の勇士も近寄りがたく道を開く有様
この時、小幡虎盛の嫡子、同名孫次郎が名乗って、次郎左衛門の馬の前に駆け寄り太刀を抜き、次郎左衛門の馬の前足を薙ぎ払えば、いかなる名馬、いかなる豪傑と言えどもひとたまりもなく、馬はどっと前のめりに倒れ込み、次郎左衛門も馬から真っ逆さまに落ちて来た
すかさず孫次郎、次郎左衛門の首を切り取った
これを見た小田井の家老、上原市之助は目前にて主君の首を渡されようかと孫次郎めがけて飛び掛かって組み付けば、剛毅な孫次郎は次郎左衛門の首を投げ捨てて上原に組み付いた
上原と孫次郎はくんずほぐれつ、上になり下になり組み合っていたが、いつの間にか孫次郎は上原の鎧の隙間より短刀を深々と突き刺し、上原は抜群の豪傑と言えども、たまらずうつ伏せに倒れるところを首を掻き切った。
「小田井次郎左衛門、同老臣上原市之助を小幡孫次郎虎俊、当年十九歳、主従を討ち取ったり」と大音声を発した。
この時、小田井城落城の知らせが晴信の耳にも届いた
晴信は自ら床几を陣幕の外に持ち出して、我が勢の活躍を見物する脇から、春日源五郎も駆け出し、城の外曲輪より二の門を目指したところへ、城中より鯰尾の兜、白壇塗りの鎧を着た武者が一騎駆け出て来た、これは上和田孫次郎なり。
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