思いがけなく後ろの我が陣より火が上がり、前線にいる上杉の諸将は「何事!」と驚く間もなく、後より柿崎勢が裏切りの兵を挙げて襲い掛かって来たので上杉勢は大混乱となった。
しかも前からは長尾為景、長尾房景、栃尾信濃守、直江酒椿の大軍が引き返して勇んで攻め寄せて来た
上杉勢は四方八面に敵を受け、必死に押し返そうとするが取り込められて討死する者が相次いだ
風間河内守は深入りしすぎて為景に討ち取られ、五十嵐一斉は奮戦して多くの敵を斬りまくったが手傷は数か所に及び、人も馬も朱にまみれ、なおも奮戦するところに長尾房景の士、栗林肥前守と一騎打ちとなり死闘の末、両者相打ちとなって死す。
柿崎の一党、柿崎七左衛門、須磨靱負(ゆきえ)、団久蔵、牟礼覚之進は柿崎兄弟の逆心を憎み、弥三郎景家勢の中に切り込み、同族同士の恥をそそぐ同士討ちとなり、互いに一歩も退かず、討ち合い七左衛門以下全員が討ち死にした
その後、下郡、中郡、上郡の上杉方諸兵もあるいは討たれ、あるいは逃げ出し、右往左往に散乱した
上杉播磨守定憲もすでに危うくなり、八条左衛門大夫が追い来る敵に一歩、も引かず立ち向かい討死する
その隙に頚城郡(くびき)江三部一ケ原まで落ちていったところ柿崎弥二郎の手勢が早くも追いつき、なおも逃げるところに後ろから射手知らずの矢が、定憲の内兜を貫き、たまらず馬から落ちて絶命した。
これを見た家臣らは「主失くして生き延びんとするまじ」と引き返し柿崎勢の中に奮戦して一人残らず主のあとを追った。
宇佐美駿河守は長尾為景と火花を散らして戦っていたが、大将が打たれたと聞くと「もはやこれまで」と思い、この場を抜け出るために兵を集合させて、密集の陣で長尾勢を東西、南北に走っては切りまくって、難なく一方を切り抜けて山家柏崎に引き退いた。
長尾勢は勝ち戦とはいえ宇佐美勢の猛威に恐怖して誰一人あとを追う者がなかった。 長尾勢は上田の城に引き返した。
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