最近記事でご紹介した高校の同級生の翻訳著書『ガリア戦記』であらためて考えさせられたことがあります。それは以前から引っ掛かっていたのですが、カエサルの言う『友人』『友情』なる言葉です。カエサルの言葉であるからには、それは今の『friend』であり『friendship』であることは間違いありません。だけれどそれが私達の使う言葉『友人』『友情』と同じなのか・・・・・日本人にとって『友』でない人は誰か、と言えばまあ語弊はあるにしても、『知らない人』なのではないかと・・・・・・
だけれど英語では『enemy』なんです!!!これは私達が誤解している証拠なのではないでしょうか。昨年のアメリカ合衆国の軍隊によって繰り広げられた『ともだち作戦』・・・・・そのフィルムを見た時、もしかして参加して働いてくれている兵隊さん達は、私達日本人と同じ『友達』を感じているのでは・・・・・・ととても嬉しかったのを思い出します。アメリカの人達はどんな思いで『ともだち作戦』と名付けたのでしょう。
でも日本人の心情と少なくとも英語(その兄弟語)を使っている人々の心情とは違っている・・・・・その事を理解して外国語を使わなければ非常に危うい気がします。昨今日本の小学校での英語教育の気運が高まっています。ここには非常に難しい問題が潜んでいると思います。私達が日本人でなくなるかもしれない・・・・・・私達はもっと国語である日本語を考えなくてはならないと思います。
それでは今日も:
私達は横田めぐみさん達を取り戻さなければならない!!!