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体験記(5)・疑い晴れて退院しました。

2015-03-17 14:20:57 | manndarage2(膵炎体験記)

如何ともしようがない術後1週間を何とか切り抜けましたたが、私にとってまだ問題が残っていました。先生方や看護師さん達から毎日「お通じは?」って聞かれました・・・・・腸管通過障害は開腹手術を受けたもの全員に降りかかる問題なんだそうです。「運動せよ、運動せよ」との看護師さん達の叱咤激励(?)もむなしく、とうとう夕食後下剤を飲む羽目になりました。お粥になった時に玄米がゆをどれほど食べたいと思ったことか・・・・・病院食に『玄米がゆ』の選択肢があったら、この問題も解決策があるのではと強く思います。

なかなか下剤の効果は無いように見えましたが、午後になって物凄い腹痛に襲われました。ちょうど夫がお昼休みに紅茶を持ってきてくれて、その香りにつられて久しぶりに飲みました。そしたらお腹の中で10センチくらいの棒が大腸の中でつっかえているような、こんなこともあるのかというような痛みに襲われたんです。10分くらい痛んで夫を散々心配させた挙句、私の大腸は機能を回復しました。そして最近はたいていの外科で、開腹手術を受けた患者に大建中湯という漢方薬を処方するのだそうです。腸管通過障害の予防だそうですが、私にも出ることになりました。(大建中湯は、今でも夫の指示で飲み続けています。最低一年は飲むようにと言われています。) 

 

夫は入院中毎日やってきました。夫の診療時間は一応午前中と午後4時から6時まで。まあ開業医と同じですから四六時中なのですが、それでもお昼休みと一日の診療後、ほとんど30分も居ないんですけれど、とにかくやってくる・・・・・医師にもいろいろいますが、メスを握るかどうかで大まかに内科系と外科系とに分けられており、産婦人科は外科系に属しています。私の観察から言えば、内科系は『会話説明型』で外科系は『事実(結果)がすべて型』・・・・・産婦人科は平常時両者にまたがっていますが、必要上外科系に傾いており、時として外科系『事実がすべて型』の極端なタイプに陥るんです。最初から救急の患者さんがやってくるのではなく、一瞬で瀕死の急患を抱えることになってしまう・・・・・それで夫のような完璧主義の産婦人科医は常に最悪の準備をすることになります。いつもそのことが頭を去らずイラついている・・・・・人の言うことは聞こえず自分の言いたいことだけを言う(性格にもよると思いますが)・・・・・傍で暮らすものにとってそれは妄想で迷惑かもしれませんが、そうやって患者さん共々夫は何度も九死に一生を得てきました。私の生活はそういう夫の生活の中に埋没して、夫のクッションの役目を果たしてきたと思っています。

それで私の病室に毎日通ってリズムを作っていたんだと思います。見慣れた顔と聞きなれた声での慣れた反応が必要だったのだろうと思います。このことが近くの病院を選んだ大きな要因ですし、それが出来ることを私達は本当にありがたく感じました。来なくてもいいと言う私に来ないかもしれないと言いながら、日課のようにちょっと来ては帰っていきました。段々日が短くなって暗くなるのが心配で、入院生活が早く終わるようにと念じてばかりいました。手術前の外来で「2週間くらいで帰ることが出来るでしょうか?」とお尋ねしたところ、最低でも3週間と言われました。「経過によっては2,3か月・・・・・」とも言われました。真冬の寒い時でなくてよかったと思いました。

 

術後10日目の日曜日、久しぶりに駅伝を見ました。何だか以前の生活を取り戻したような感じがして、とてもうれしかったのを覚えています。この頃にはずいぶん体も軽くなってきましたが、お腹の異常さ・・・・・そうですね、『七ひきの子ヤギ』という童話をご存知ですか。あの狼がお母さんヤギと子ヤギ達に、お腹に石を詰められて縫い合わされるでしょう。『あの狼と同じ気分では?????』と、自分で思いました。重たくて前にお腹が落っこちるような・・・・・それで前屈みがちになるし、腹帯でお腹を抑えていないと動くのが不安でした。この頃聞いた衝撃的な話・・・・・手術を受ける高齢者が多いので看護師さんに聞きました。「かなりの痛みにみんな耐えているのよね?」と。そしたら答えはなんと、「高齢者ほど鈍感になって、あまり痛まないらしい」・・・・?????ホント?????そうなんですか?????

『お腹を縫われた狼』の気分になってしまった私は、今回失ってしまったお腹の力について考えさせられました。お腹の力については昔から『臍下丹田に力を・・・・』と言ってきました。久司先生の『パームヒーリング』や『導引』を翻訳した時にも、『気海』と呼ぶ気力の貯蔵所が出てきました。要するにお腹の力というものが、私というまとまりを維持する力というべきか、そもそも私というものに纏まる力というべきか、それで私の出す力の当座預金のようなものであることを強く実感しました。それで気力をためなければ・・・・・と、気力発生の行に努めることにしました。

』というものについては賛否両論あると思いますが、誰でも気力が無くなったり湧いてきたり・・・・・沈んでみたり浮き浮きして来たり、どうしてだとお思いですか?????何がどう違って、同じ体でそうなるんですか?????・・・・・そういうわけで、私は気力を再びお腹に封じ込めなければ・・・・・と思いまして、私なりの行に励むことにしました。何とかこの『お腹を縫われた狼』の気分から抜け出したい・・・・・これが抜けるまで私は所謂ところの『病人』だと思いました。病人とは病気の人という意味ですから、気が病んでいるんです!!!!!気が病むということは、気の不足という意味だと思います。

そして一番大切な実感は、『気力発生』というか、『気力増幅』というか、そういったものは外部との『感応力』によるというものでした。そしてこれが『生命力』というものだと実感しました。生命力の回復・・・・・これが病気の治癒であり気力の充実であり、お腹の中から私の腹壁を引き込む力・・・・・『お腹を縫われた狼』からの解放だろうと実感しました。

 

月曜日朝一番で血液検査の採血がありました。この結果で退院の予定が決まるんです。膵臓の病理検査の結果もそろそろ出ます・・・・・そして、私は無罪放免となりました。『膵臓癌ではなかった』んです。(よりによって4センチ大の)嚢胞が出来ていて爆弾を抱えているようなものでしたから、まあよかったんだと思います。何より夫は『抗癌治療をしなくてよい』というお墨付きを喜んだようです。何しろ疑われたのが、膵臓癌でしたから。そして膵臓の切除術の半分は膵液が漏れたりするとか・・・・・何かと合併症の問題が多いらしいのです。それも全くありませんでした。10月末の2週間目に晴れて退院しました。希望通りたった二週間で退院しました。夫は驚異的な回復だと、私のマクロビオティックを評価してくれました。病気を発現はしたけれど、医学的処置を受けて、その後驚異的(?)に回復しました。これは食生活のたまものだと信じています。そして私は何物にも代え難い経験をしました。この世のおかげ様に感謝の気持ちでいっぱいです。

 


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