一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1230   叱らるる親でありけり逝く春を   佳津

2014年05月20日 | 

 「親が子に叱られる」これは決して悲しむべきことではない。むしろ、喜ぶべきことだろう。わが子を立派に育てれば、きっとこういう事態が生じるだろう。つまり、作者はわが子を自慢しているのではないのか。

 と思いつつも、親である作者は、子供の成長を喜ぶ一方、自分の老いに少なからず淋しさを感じている。季語の「逝く春」がそれを物語っている。

ジャスミン

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1229   穀象虫も死語となりけり無洗米   とよ子

2014年05月20日 | 

 歳時記には、死語となりつつある季語が結構ある。穀象(虫)もその一つ。私は、もう何年も穀象虫を見たことがない。ということは、現在の日本人の半分は穀象虫を知らないだろう。

 さて、無洗米がどのくらい売れているか知らないが、私も一度は買って炊いてみた。バカバカしくてそれっきり止めたが、「無洗米」が「研(磨)がなくても焚ける米」という意味ならば、「無研米(無磨米)」が正しいはずなのだが。

私の推測では、将来「無洗米=米」の時代が来るような気がする。いや、きっと来る。ななっなんと、あなたのところには、もうとっくに来てるって???

ナルコユリ(鳴子百合)

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