6時半起床。
朝食は、玄米ご飯ともずくスープ。
妻と娘を見送ってから、身支度を整えて家を出る。
9時前に出勤。
昼食は、「Kitchen Van」(キッチンバン)へ食べに行く。
今日のメニューは一瞬で決まった。
コンフィーが低温の脂で加熱する調理法だということは理解しているが、具体的な味のイメージはよくわかっていなかった。見た目は普通の素揚げのようである。
良い意味で、想像とは全く違う味だった。外はパリッとしているが、中は柔らかくてジューシー。感動するレベルの美味しさである。鶏肉の一番美味しい食べ方はこれなのではないだろうか。
いつものドトールでアイスカフェラテを買ってから、午後の仕事に戻る。
定時で退社し、最短経路で帰って来る。
保育園へ娘をお迎えに行く。今日の娘は元気に「さようなら」の挨拶をしていた。昨日私に叱られたからということもあるのだろうが、特に私の様子を気にしている様子も見られず、自然な挨拶だったようにも見受けられた。
パントラックに寄ってから帰宅。娘はいつものチョコレートデニッシュ、私はあんドーナツをおやつにする。
妻と娘が入浴中、こっそりもうひとつ買っておいたチョコレートデニッシュを食べる。私だけ2つ食べたことがバレると「ずるい!」と怒られるので、後始末も完璧にしておく。
入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。
夕食は、焼きコマイや鶏手羽など。
妻が明日の夕食用に作っていたカレーも少し食べさせてもらう。
食後のデザートは、パントラックで期間限定発売されていたかぼちゃプリン。ハロウィン仕様である。
ふとしたことから、妻と同和教育の話になる。私は小学校の道徳の授業で同和教育の時間があり、その内容は今でも比較的はっきりと覚えているのだが、妻はそのような授業を受けた記憶はないらしい。私たちは同い年で小学校も同じ埼玉県内の公立に通っていたのだが、調べてみると同和教育は画一的に行われていたものではなく、地域によってその有無や内容に違いがあったようだ。妻の記憶(同和教育を受けた覚えがないという記憶)が正しいとすれば、彼女の通っていた学校では所謂「寝た子を起こすな」という発想で敢えて同和教育を実施しなかったということも考えられる。
私は小学校で同和教育を受け、被差別部落の存在やその歴史を学び、その後自分でもちょこちょこ関連する本を読んだりした。それによって不当な差別への憤りを感じたり、自分は差別をするような人間にはなるまいと律するきっかけになったので、同和教育を受けたのは貴重な経験だったと思っている。しかし、今の時代はもう「寝た子を起こすな」という発想のほうが現実に合っているような気もする。我が家では娘が来年から小学校に上がるが、おそらく同和教育がなければ被差別部落の存在を認識することもないだろう。それでいいような気もする。一方で、理由をうまく言語化できないのだが、本当にそれでいいのか?という感覚もあって、考えがまとまらない。
実際のところ、今の小学校でも同和教育は行われているのだろうか。
日付が変わる頃に就寝。