社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

3月25日(金)

2011年03月27日 12時21分26秒 | 2011年

  6時起床。多くのコンサルタントさんから提出されてくる報告書を読んでいると、それぞれの性格や特徴が見えてくる。各項目1、2行しか書いてこない方や他の報告書のコピペで済まそうとしている方もいれば、支援状況が目に浮かぶほど詳細に渡って書いてくださったり、豊富な添付資料で報告してくださる方もいる。それらをまとめる側としては、当然後者の報告書のほうがありがたい。報告書の充実度がそのまま支援の充実度を表しているわけではないとはいえ、きちんとしたものを出してくる方のほうが安心して支援をお願い出来る。こちら側の手間を考えても、粗末な報告書は再度の確認や訂正が必要となって面倒だから、あまりにそういう報告書ばかりが出てくるとイラッとすることもある。「家に帰るまでが遠足」と同じように、「報告書の提出までが支援」だと考えて頂ければありがたいのだが…。

  18時過ぎに退社し、桜木町にあるエステサロンへ。エステというと聞こえはいいが、目的はヒゲ脱毛である。以前から興味があったのだが、これまではどうにも最初の1歩を踏み出すことが出来ないでいた。しかし、年齢を重ねるにつれて少しずつヒゲが濃くなってきているような気がするし、毎日のヒゲ剃りは面倒だし肌にも良くない(金属アレルギーなのでカミソリの刃で肌が赤く腫れる)ので、今回思い切ってチャレンジしてみることにした。ヒゲ脱毛には大きく分けて「針」、「レーザー」、「フラッシュ」の3種類があるが、私は痛みや肌への負担が最も少ないフラッシュ脱毛を選択した。痛みや肌への負担が少ない分効果もすぐには出ないが、別にツルツルにしたいわけではないし、少しずつ効果が出てくれればそれでいい。しかも、このお店はその都度お金を払えばいいシステムなので、気も楽だ。

  脱毛方法について説明を受けた後、テスト照射を経て本番へ移る。これが、思っていた以上に痛い。これが最も痛みの少ない方法だなんて、他の方法は一体どれだけ痛いんだ…。ただ、痛いのは光を照射する一瞬だけで、後に残るということはない。だから、何とか平然を装って我慢することが出来た。施術自体は30分弱で終了。その他の処理を含めても、入店から退店まで1時間も掛からなかった。若干顔が熱を持っている感じはするが、赤みもほとんど出ない。これなら、翌日が平日でも全く問題なさそうだ。帰宅は21時前。

 


3月24日(木)

2011年03月25日 00時15分42秒 | 2011年

  6時起床。いつの間にか、電車の混雑の程度が通常に戻っている。多くの路線が運行本数を減らしている中で、京浜東北線が100%運行しているということに感謝しなければならない。

  今日も、来会対応が1件あった以外は、1日中事務処理に費やす。今年度の事業が佳境を迎え、全体の予算管理も目処がついた。最終調整に四苦八苦していた上司だが、やはり最終的には適切な落としどころにまとめてきた。さすがである。あとはとにかく書類を揃え、集大成を迎えるのみ。まさに、ラストスパートが始まろうとしている。

  夕方、別のチームの先輩から怒られた…らしい。「らしい」という表現を使ったのは、私自身に「怒られた」という自覚がなかったからである(厳密にいえば、今もその自覚はない)。確かに事業の進め方について行き違いがあり、少々厳しい口調で指摘を頂いたが、原因は認識のズレであって、話の中でそのズレを修正することが出来たので、問題はないと思う。だから、後になって周りから「思いっきり怒られてたね」と言われるまで、そういう認識はなかった。そうか、あれは怒られたことになるのか。しかし、仮にそうだとしても、その先輩はそれを根に持つようなタイプの方ではないから、改善方法も理解できたし、何より事業の進め方にいくつかのパターンがあるということを教えて頂くことが出来たので、私としては良かったと思う。

  一方で、私の最近の仕事振りは怒られて然るべきものである。仕事を怠っているわけではないのだが、年度末の処理に頭が行き過ぎていて、周りへの配慮、特に隣に座っている先輩に対する配慮に欠けた言動を取ってしまうことが多くなった。その先輩は優しいから何も言わないが、通常であればそれこそ思いっきり怒られてもおかしくない。これは、入社以来最大の反省事項である。どこかのタイミングで、きちんと謝らなければ。

  20時前に退社し、上司と先輩と近所のファミレスで夕食。驚いたことに、地震による影響で、ファミレスでも提供できるメニューに制限が出ている。しかもその制限の範囲がかなり広く、メイン料理に至っては7種類ぐらいしか選択肢がないのだ。しかしまあ、何十種類もの中から選ぶ手間がなくなったと思えば、それもそれほど気にすることではない。ただ、店舗を運営する側としては、これは大きな痛手であろう。大手ファミレスですらこういう状況なのだから、中小はいわずもがなである。

  22時半前に帰宅。この時間になると、電車が異様に空いている。地震以降、多くの人が早く家に帰るようにしているのだろう。某経済アナリストによると、就業時間後(俗にいうアフター5)の消費活動が経済に与える影響は私たちが想定しているよりも大きなもので、その減退は本当に大きな打撃となるそうだ。そういう話を聞くと、せめて自分ぐらいは消費活動を控えることなく、今までどおりのお金の使い方をしようという気になる。今ならどんなに無駄遣いをしても、「日本経済のため」という大義名分をかざすことで罪悪感を感じずに済むかもしれない。


3月23日(水)

2011年03月23日 23時24分25秒 | 2011年

  6時起床。午前中は事務処理。私はただただ報告書を作っていればいいので気楽なものだが、上司は予算と実際の執行額の調整に追われている。要するに、このままいくと執行額が予算額を超えてしまう可能性があるのだ。去年の秋まで、「本当に予算を使い切ることが出来るのだろうか」という不安を抱えていたのが嘘のようである。私たちのチームでは今年、国からの受託事業を担当し、県から私たちの組織全体に割り当てられた予算額に匹敵する金額を受け持った。単純にいえば、本来40人で活用する分のお金を4人で使ったのだ。私はこの1年間新人として伸び伸びと仕事をさせて頂いたが、上司や先輩方は本当に大変だっただろう。一般的な感覚からすると、「ただ予算を消化すれば良いというものではない」と思うだろうし、その感覚は至極真っ当なものであるが、良くも悪くも予算主義で成り立っているお役所仕事において、割り当てられた予算を(正当な方法で)きちんと消化するというのは非常に重要なことなのである。様々な紆余曲折がありながらも、最終的には予算通りに事業を執行するに至ったことは、私が言うのもおかしな話ではあるが、評価に値するものなのではないだろうか。

  午後からは、上司と平塚へ出張。最近はオフィス内にいることが圧倒的に多いので、やけに楽しく感じられた。外へ出ること自体も好きなのだが、何より上司や先輩を1人占めに出来るというのが良い。普段のオフィスでは、彼らは様々なところからお声が掛かるので、ゆっくり話を聞くことが出来るのはこういう出張の時に限られる。しかも、オフィスを離れているからこそ聞ける話というのも少なからず存在する。来年以降は1人で出張する機会が増えるだろうから、ことさら今日のような機会は貴重なものである。

  16時過ぎにオフィスへ戻り、18時半前まで事務処理に取り組んでから退社。帰宅は20時過ぎ。先週に引き続き、「池上彰の学べるニュース3時間スペシャル」を見てから、夕食と入浴を済ませる。ここ数週間は、入浴後に簡単なストレッチと筋トレを行っている。おかげで前者の効果は少しずつ感じられるようになってきた(体が柔らかくなってきた)が、後者の効果はあまり感じられない。お腹についた贅肉は、思った以上に強敵である。


3月22日(火)

2011年03月23日 00時03分18秒 | 2011年

  6時起床。京浜東北線は100%運行に戻っているということで、久しぶりに通常通りの電車に乗ったところ、それでも若干混雑が激しかった。私は埼玉から神奈川まで通勤しているので、通勤ラッシュの始まりかけぐらいのタイミングで電車に乗るのだが、電車の遅延を想定して早めの電車に乗るという人が一定数残っているのだろう。その気持ちはわからなくもない。

  今日からは、とにかく事業の報告起案の作成に没頭することになる。しかし、作業量こそそれなりに多いが、それが遅れたりミスが出たからといって外部(支援先やコンサルタントさん方)に迷惑を掛けることはないので、気分的にはかなり楽な作業である。要するに、国の最終監査に引っかからないように書類を整えればいいのだ。

  18時過ぎに退社し、19時半過ぎに地元へ戻ってくる。我が地元では今夜、計画停電が実施されていた。地域としては2度目の夜間停電だが、1度目の際には私は関内に泊まったので、今日が初体験である。当たり前なのだが、駅を出ると外は本当に真っ暗で、人とすれ違うだけで気を遣うし、道路を渡る時などはかなりの注意が必要となる。ただ、普段はまず体験できないことなので、不謹慎かもしれないが少しワクワクした。また、一部の店舗(ラーメン屋や居酒屋)が店内にローソクを灯して営業していたのが印象的だった。ローソクの灯りの下でラーメンを食べるなどという経験も、通常ではまず出来ないだろう。ただ、店舗側としては苦肉の策であるわけで、この停電が飲食店にとっていかに大きな打撃であるかということを、この光景は如実に示しているのだ。


本当に真っ暗だ。


大きな交差点では、警察官が手信号で交通整理をしている。

  帰宅したからといって何が出来るわけでもなく、懐中電灯を駆使して着替えをし、ローソクの灯りの下で夕食(焼きそば)を食べる。仏壇用に買い込んであったローソクが、ここぞとばかりに大活躍だ。しかし、電気がないというのは本当に大変なことである。健康や恋人と同様に、電気もまた失って初めてその大切さに気付くものだった。


ローソクの灯りの下で、父が仕事をしている。


夕食の焼きそばに後光が差している(嘘)

  不便さの一方で、思わぬ収穫もあった。ローソクを挟んで1時間ほど父とゆっくり話をし、幼少時の話や母との馴れ初めなど、今まで聞いた事のなかった話をたくさん聞くことが出来たのだ。私にとっては父はずっと父だし、母はずっと母だが、当然ながら2人はそれ以外の役割も持っているわけで、そういう一面、特に私が生まれる前の話を聞くというのは非常に新鮮な体験だった。停電が思わぬプレゼントを持ってきてくれたのだ。

  21時に電気が復旧。入浴を済ませ、いつでも寝られる用意をしてこの日記を書いている。先にも述べたように、一般家庭はともかく、企業や店舗にとって、この停電は死活問題である。実際今日も、停電の影響で客足が一気に遠のき、運転資金の確保が難しくなりそうだという飲食店の経営者から相談の電話があった。そういった影響は飲食店や小売業に留まらず、産業界全体が大きなダメージを受けることは必至である。特に、経営基盤の弱い中小企業にとっては、それが十分致命傷となりうる。そして、現時点ではこれといった対策も見当たらない。一体、どうしたものだろうか。

 


3月21日(月)

2011年03月21日 22時38分15秒 | 2011年

  7時起床。身支度を整え、9時前に家を出る。東京駅で友人とその彼女と合流し、3人で東海道線に乗って小田原を目指す。友人の彼女と会うのはこれが3回目だが、ゆっくりと話すのは初めてだったので、最初は少し緊張した。そもそもなぜこのメンバーになったかというと、以前から地元の友人2人を小田原の天史朗寿司へ案内することになっていて、今日決行しようかと思っていたのだが、1人が4月からの転勤先である青森へ物件探しに行っているということで、代わりにもう1人の友人の彼女が加わったのである。何とも面白い組み合わせで、先にも述べたように最初は少し緊張したが、案外すぐに打ち解けるものである。

  11時半前に小田原駅に到着し、開店と同時にお店に入る。過去2回と同様に、注文は「地魚握り」。相変わらず、ここのお寿司は素晴らしい。友人と彼女も絶賛してくれて、連れてきた側としては一安心である。また、途中で常連さんが釣ったばかりのイサキを差し入れに来る場面に出くわし、なんと大将がそれをその場でさばいて握ってくれた。「天気の悪い中わざわざ来てくれたので、サービスです」とのこと。大将曰く、イサキはこれから旬に入る魚らしく、今はまだ脂の乗りが弱いらしいが、それでも十分美味しかったし、何よりさばきたての魚を食べさせてくれるという心遣いが嬉しかった。本当にごちそうさまでした。


常連さんから差し入れられたイサキ(ビフォー)


さばきたてのイサキの握り(アフター)

  大満足で店を出て、小田原駅前からバスに乗って箱根湯本へ。せっかくなので温泉に入ろうということになり、先日宿泊した「天成園」で日帰り入浴。短い時間だったし、あいにくの天気で景色はあまり良くなかったが、冷たい体が温まり、随分体が軽くなった。その後、湯本駅前のお土産屋を見たり、珈琲ソフトクリームを食べたりと温泉街を満喫する。


珈琲ソフトクリーム。珈琲牛乳のような味。

  箱根湯本から小田急線に乗り、下北沢で京王線に乗り換えて渋谷、渋谷から東横線で代官山へ。ここで青森から戻りたての友人と合流し、4人で「SHUTTERS」へ。久しぶりに食べたアップルパイ・アラモードは、相変わらず絶品だった。今回はソースをラズベリーにしたのだが、酸味と甘みの調和が実にうまくとれていて、濃厚かつさっぱりとした感じになっていた。


小田急線では、節電のため車内の照明が切られていた。


店内が暗いので、あまりうまく写真が撮れない。

  池袋で友人とその彼女と別れ、もう1人の友人と2人で赤羽のカレー屋で夕食をとってから、21時過ぎに帰宅。青森へ転勤する友人とは出発前にもう1度会う予定でいるのだが、それはあくまで予定であって、もしかしたらこれで当分会えなくなるのではないかと思ったら、別れ際にとても寂しくなった。彼も同じことを考えていたのか、「じゃあね」という言葉のトーンがいつもと完全に異なっていた。会えなくなるわけではないとはいえ、大切な友達が遠くへ行ってしまうのはつらい。