社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

3月15日(火)

2011年03月15日 22時21分09秒 | 2011年

  6時起床。計画停電の影響で列車の本数が少なく、ホームは人で溢れてるし、そもそも来る電車が既に満員状態で一向に乗ることが出来ない。そこで、一旦南浦和まで北上し、始発電車に乗って出勤する。おかげで最初から座ることが出来たが、それでも相当な圧迫感を感じるほど車内は大混雑だった。しかし、品川を過ぎるといつもとほぼ変わらない様子になり、はじめに乗った電車の終着駅だった蒲田から乗り換えた際にも、すぐに座ることが出来た。ただ、職場には約30分の遅刻。明日からは、もう少し早く家を出なければならない。しかし、被災地の方々の苦労に比べれば、これぐらいは何てことはない。


蒲田駅で東京方面行き電車を待つ人々。

  当然といえば当然なのだが、本日予定されていたセミナーはキャンセルとなり、一日中オフィスで事務処理と書類整理に費やす。一目では地震の影響が何もなさそうに見えるオフィスも、よくよく見ると棚が傾いていたり、パーテーションの一部が破損していたりと、地震の爪痕が残っている。エレベーターも終日点検で止まっているし、上のほうの階では貯水タンク破損による浸水の影響で全く使えないフロアもあるらしい。そう考えると、普通にオフィスで仕事が出来るというのはありがたいことなのかもしれない。

  電車がどうなるかわからないので、定時に退社。しかし、来た電車はガラガラで、座って帰宅することが出来た。ただ、やはり品川から上野辺りまでは異常な混雑となっていた。一部報道によれば、鉄道機関へ優先的に送電することは技術的に可能とのことで、昨日に比べて今日の運行範囲が広がったこともその効果だということらしい。計画停電は着実に実施しつつ、電車は通常通り動かすということが出来れば、これほどありがたいことはないのだが。

  19時半前に帰宅。首都圏に住む我々にとって、計画停電以上に気になるのが原発問題である。今日は、首都圏でも通常の値をはるかに超える放射能が検出されたのこと。しかし、通常より高いといっても人体に影響のあるレベルではない(X線で浴びる放射線量よりもはるかに少ない)わけで、今のところ心配はいらないだろう。今一番恐いのは、放射能そのものよりも、不安が先行することによって生じる無意味な混乱なのではないだろうか。


3月14日(月)

2011年03月14日 23時38分18秒 | 2011年

  6時起床。計画停電の影響で都心部以外の鉄道が運転を見合わせており、京浜東北線も赤羽-蒲田間しか運転しないということで、とりあえず赤羽駅まで1時間半掛けて歩く。しかし、電車の本数は圧倒的に少なく、人が溢れていて駅にも入れない。こりゃどうしたものかと考えているうちに9時前となり、職場に電話を入れたところ、「自宅待機せよ」と指示が出る。神奈川県内の鉄道もほとんどが動いていないため、その時点で事務所には7人しか来ていないとのことだった。仕方なく、1時間半掛けて帰宅。ガソリンスタンドには車が、スーパーのレジには人がそれぞれ列を作っていた。私も、いざという時のための非常食とお茶をそれぞれ購入(水は既に売り切れだった)。

  帰宅後は、計画停電(うちの地域はグループ4:13:50~17:30)に備えて家中のコンセントを抜いてから、テレビだけを生かしてニュースを見る。他国の報道がどのようなものか知らないので比較対象がないのだが、今日の災害関連報道はひどいものだった。特に、原発関連のニュースに関しては悪意があるんじゃないかと邪推したくなるほどで、必要以上にただ不安を煽るようなものが多かったように思う。大体、テレビに出てくる原発の専門家の”先生”方の話は得てしてわかりにくく、中にはほとんど何を言っているのかわからない人もいた。水素爆発の原因は何なのか、燃料棒が露出するとどうなるのか、炉心溶融するとどれだけヤバイのか…。どれも、ネットで検索したほうがはるかにわかりやすかった。

  また、個人的に残念なニュースとしては、明日に予定されていた上野千鶴子先生の最終講義の中止や、3月中のJリーグの全試合中止などが挙げられる。どちらも状況を考えれば妥当な判断といえるが、やっぱり残念だ。一方で、サッカーの代表戦は実施の方向で話が進んでいる。この一大事に不謹慎じゃないかという見方もあるだろうが、こういう時こそスポーツや文化活動が人々に希望を与えるのではないかと思う。また、個人だけでなく、武田薬品工業をはじめとした企業による義援金も続々と集まっているらしい。普段の私であれば「災害義援金は全額損金算入されるし、企業PRとしては費用対効果が高いもんね」などというひねくれた見方をするところだが、このような状況においては、動機の如何に関わらず、とても素晴らしいことだと思う。

  計画停電は、結局一部の地域でしか実施されなかった。それは良かったのだが、茨城県の被災者が大勢いる地域を停電させたことには甚だ疑問が残る。避難所を停電させるぐらいなら、うちの地域を停電させればいいのに。もちろん色々と考えた上での判断だとは思うが、少なくともその理由を説明してくれないと。

  しかし、今回の災害の大きさを考えれば、ある程度の混乱は仕方ない。電力会社にしても、鉄道会社にしても、一生懸命最善の策をとろうとしている。私たちは逆に、これまで電気が当たり前のように使い放題だったり、ダイヤと1分違わず電車が運行されていたことに感謝しなければならないのかもしれない。

  さて、明日も計画停電が実施され、おそらくそれに伴って鉄道も今日と同じような状態になるだろう。仕事は溜まっているし、家にいても仕方ないので、明日は何とか職場まで辿り着けるといいのだが。


3月13日(日)

2011年03月13日 23時48分23秒 | 2011年

  7時起床。何気なく職場用のメールを開いたら、国からの受託事業でお世話になっているコンサルタントさんからメールが入っており、仙台出張中に被災したことを知る。避難所で電源を確保し、メールを送ってきたらしい。「今後の支援や報告書の提出しばらく滞ってしまいそうですが、よろしいですか?」とのこと。良いに決まっている。今はそんなことどうでもいいから、とにかく無事に戻ってきて欲しい。また、連絡のつかなかった仙台に住む友人、福島の同期と共に連絡が取れ、安全が確認された。これで一安心である。

  今日は先輩と友人とゴルフ練習で、約束は10時だったのだが、そもそもの30分遅刻に加えて途中で電車が止まり(架線トラブル)、結局1時間遅刻してしまう。ごめんなさい。イオンのフードコートで腹ごしらえをしてから、打ちっ放しで練習。私の打つボールは大抵右側に飛んでしまい、その原因はわかっているのだが、頭でわかっていてもなかなか修正することが出来ない。しかし、そんな中でもレクチャーを受けながら色々なことをひとつずつ意識していくことで、少しずつ良い方向に向かっているような気がする。一方で、友人はいつの間にか(と言っては失礼だろうが)相当上達していた。彼の打つボールは、素直に真っ直ぐ飛んでいくのだ。ゴルフの弾道には性格が出るのだろうか。

  その後、ファミレスで休憩して第2弾のつもりが、そのままお喋りを続けて夕食に移る。たまにはこういうのも楽しい。夕食は、「ステーキのどん」にて。初めてゴルフに連れて行った頂いた時の夕飯がここのステーキで、それ以来私はこのお店が大好きなのだが、何だかんだで来るのは1年以上振りだった。相変わらず、ここのお肉は美味しい。お2人とも、今日はありがとうございました。次回は是非、青山一丁目のステーキを食べに行きましょう。

  22時過ぎに帰宅。日中に上司から連絡が入り、「明日はオフィスの片付けをやるので動きやすい服を持ってくるように」という指示が出たので、ジャージを準備。明日は先輩へのホワイトデーのプレゼントも持っていくので、結構な荷物の量になりそうだ。それにしても、片付けにはどれほどの時間が掛かるのだろう。散乱している書類などはすぐに片付くだろうが、割れたガラスや倒れた棚の修復は大変そうだし、まだ見ぬ倉庫がどうなっているかを考えると気が滅入る。


コンビニのパンが完全に売り切れている。


物流機能が麻痺しているようだ。


3月12日(土)

2011年03月13日 01時44分21秒 | 2011年

  テレビで見る被災地の映像は衝撃的であり、被災者の方々の置かれている状況を思うと心が痛い。おそらく、自分自身もわずかながらに被害を受けたことから、余計に彼らの境遇に同情の気持ちを抱くのだろう。今回の地震は、全くの人事というわけではない。昨夜のNさんのお通夜には出席できず(そもそも行われたのかどうかもわかっていない)、帰宅難民になり、週明けにはメチャクチャになっているオフィスの片付けが待ち受けている。どれも東北地方の方々の受けた災難に比べれば微々たるものだが、それでも私自身にとっても今回の地震は衝撃的な出来事だった。ちなみに、本日開催予定だったJリーグの試合は中止。ホーム開幕戦を素晴らしい席で観戦できると楽しみにしていたので残念な気持ちはあるが、こればかりは致し方ない。状況を考えれば、この判断は妥当なものであろう。

  大学時代の友人が2人、仙台で働いている。1人の安全はすぐに確認出来たのだが、もう1人と連絡がつかない。彼の職場は仙台駅よりも内陸側だから津波被害の心配はないだろうが、震源地に近かっただけに不安が残る。とにかく、無事を祈るしかない。また、つい先日お墓参りで行った石巻地域、及びそこへ行くために利用した仙石線沿線が壊滅状態になっている。お寺は小高い山の上にあるので津波がやってくるということはなかっただろうが、皆さん大丈夫だろうか。

  昨日の徹夜が祟り、生活リズムが完全に乱れてしまった。日中に強烈な睡魔に襲われ、深夜になった今になって目がさえてきた。


3月11日(金)

2011年03月12日 09時48分15秒 | 2011年

  6時起床。今日の日記は、もはや地震発生時からのことを書けば事足りるだろう。その時、私はオフィスで上司と立って話をしていた。当初の揺れはそれほどでもなく、「あ、地震ですね~」ぐらいの感覚だったのだが、すぐに本格的な揺れとなり、立っていることも出来なくなる。棚から書類が落ち、机の引き出しは全て開き、ガラスケースは粉々になり、パソコンも横倒しになり、ついには私の背丈より高い棚が倒れてきた。関内は元々埋立地であることに加えて、オフィスが9階にあるので、ピーク時には本当に「死」という文字が頭をよぎったほどである。更に、屋上の給水タンクが破裂したせいで非常階段やエレベーターから水が溢れ、ビルの外へ避難するのにも随分苦労させられた。しかし、人的な被害が一切なかったので、本当に良かったと思う。また、ほどなくして家族の安全も確認することが出来た。


地震直後のオフィス。


エレベーターに水が流れ込んでいる。

  避難完了後、ほどなくして解散となるが、当然ながら電車は動いていない。とりあえず、先輩方と一緒に横浜駅まで歩く。横浜駅に近づくにつれて人の波が増え、駅構内は人でごった返していた。しかし、電車が動く気配は全くなかった(結果的に、今日のうちの運転再開はなかった)。


災害時には、トイレの確保が重要になる(@横浜駅前)。


場所によっては、地面に亀裂が入っている。

  駅前で待っていても仕方ないので、先輩方と一緒にちょっとお高い焼肉店に入る。17時前からビールを飲み(私はジンジャエール)、ワイワイと美味しいお肉に舌鼓を打つ。まるで、地震があったことなど忘れたかのように。しかし、20時過ぎになるとさすがに現実を直視せざるを得なくなったのだが、この頃には既にJRの終日運休がアナウンスされていたため、近隣のホテルは全て満室となっており、何とかマンガ喫茶の席を確保できたものの、狭い狭いオープン席(×個室)で一夜を過ごすこととなる。しかも、緊急地震速報が入るたびに屋外へ避難させられるので、結局一睡も出来なかった。

  JR以外の路線が運転を再開しているということで、5時前にマンガ喫茶を出る。みなとみらい線に乗って横浜まで出て、そこで先輩と別れた後、そのまま東横線で渋谷、地下鉄銀座線で溜池山王、南北線で川口元郷と移動し、そこからバスを2本乗り継いで7時過ぎに帰宅。室内はほぼ何事もなかったかのように片付けられており、私の机周りも本棚の本が落ちたぐらいだった。家族の無事も自分の目で確認し、友人たちの無事もmixiやツイッター、メール等で大方確認出来たので、これで一安心である。

  ちなみに、この日記を書いている今は12日の9時過ぎだが、一睡もしていないにも関わらず全く眠くない。まだ、神経が高ぶっているのだろうか。今回の地震では、東北地方を中心に数多くの死傷者が出た。亡くなった方々のご冥福、負傷された方々の1日も早い回復を祈るばかりである。とりあえず、11日の日記はここまでで終了する。