社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

8月24日(水) スパイス多め。

2022年08月26日 12時27分08秒 | 2022年

 6時45分起床。

 相変わらず娘の寝起きは悪いが、昨日ほどではない。

 朝食はオートミール。

 妻と娘を見送ってから、身支度を整えて家を出る。

 9時前に出勤。

 昼食は、最近オフィスのすぐ近くにオープンした韓国料理屋「ラッキーソウル」へ行ってみる。

 ランチメニューはスンドゥブと石焼ビビンバのようなので、まずはスンドゥブ定食を食べてみる。韓国料理特有の小皿の多さが嬉しい。

 サムギョプサルもついてくる。おそらく食べるのは初めてだと思うのだが、要するに豚バラの焼肉なのね。

 スンドゥブは思っていたより辛いが、美味しい。昔、スンドゥブにハマって週3とかで食べていた時期を思い出す。

 定時で退社し、保育園へ娘をお迎えに行く。

 帰宅後のおやつに、昨日パントラックで買ったカップケーキを食べる。娘はプレーン、私は塩キャラメル。

 妻も帰宅し、私が宮崎で買ってきた梨をむいてくれた。甘さは控えめで、ちょっとだけえぐみがあるような気がする。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 夕食は、妻がセブンイレブンで買ってきてくれたカレーとナン。今はコンビニでナンも買えるのか。

 来月、JALの「どこかにマイル」で当たった沖縄旅行を予定しているのだが、今沖縄では医療崩壊が起きているというニュースを見て、妻と再検討している。ホテルも良いところが予約できたし、美ら海水族館に行ったら娘は喜ぶだろうと思うのだが、コロナに限らず事故や病気などで何かしらの医療を受ける必要性が生じた時のことを考えると、やはり怖い。今回の沖縄便はキャンセルをして、再度「どこかにマイル」に挑戦するのがいいのではないか。マイルは戻ってこないが、仕事柄放っておいても溜まっていくし、ここで損切りしたほうがいいような気がする。

 おそらく、「どこかにマイル」へ申し込もうとしていた時期でも、既に沖縄の医療崩壊は起きていたのだろう。先にもう少し下調べをしておけば良かった。この件に限らず、最近はニュースに触れる機会がほとんどないので、世の中の情勢に疎くなっている。久しぶりに新聞でも読むようにしようか。

 日付が変わる頃に就寝。


8月23日(火) 徹底的な暴食。

2022年08月25日 18時07分22秒 | 2022年

 6時45分起床。

 今日も娘の寝起きが悪かったので、本格的に叱る。大きな声は出さず、むしろ小さな声で囁くように厳しい言葉を掛けると、普段とは違う私の様子に驚いたのだろう、すぐに起きて居間へ出て行ったが、妻のところで泣いていた。塩梅が難しい。

 妻と娘を見送ってから、在宅勤務を開始する。

 今日の昼食は「崎陽軒」のシウマイ弁当と決めている。理由はこれ。原材料の調達が難しく、先週の水曜から今日まで「鮪の漬け焼」が「鮭の塩焼き」に変更になっているのだ。せっかくだから、今しか食べられない崎陽軒の鮭を食べてみたい。

 駅ビルに入っている「崎陽軒」へ。

 店頭でも周知されている。報道(確か朝日新聞のWebニュースだった)によると、この影響でシウマイ弁当の売上が増加し、早い時間から売り切れてしまう店舗もあるらしい。同じ考えの人がたくさんいるのだ。

 帰りに「本家菓子舗 おおくに」へ寄り、どら焼きとシャーベットも買う。

 帰宅して、さっそくシウマイ弁当を食べる。

 元々の「鮪の漬け焼」が地味なおかずなので、全体で見るとそれほど変化は感じない。

 「鮭の塩焼き」は小さいが、しっとり脂ものっていて美味しい。個人的には、このままずっとこっちのほうがいい。

 デザートは、先ほど「おおくに」で買ってきた抹茶シャーベット。

 3時のおやつは、宮崎(小林市)のシャインマスカットとピオーネ。やはり、ピオーネの甘さがすごい。

 夕方、冷凍のピザを焼いて食べる。このあたりから、今日は明らかに食べ過ぎだという自覚が芽生え始めるが…。

 勤務終了後、保育園へ娘をお迎えに行き、パントラックに寄ってから帰ってくる。

 帰宅してパンを食べるのかと思いきや、娘の興味は「おおくに」のどら焼きへ向かう。

 あんこが苦手なはずなのだが、粒あんのどら焼きを一口かじると笑顔になり、結局そのまま全て平らげた。

 私は胡麻餡のほうを食べる。本当は妻と半分こしようかと思っていたのだが、こうなったらバレる前に食べてしまおう。

 そのままの勢いで、夕食代わりにパントラックで買ってきたマーブルサンドを食べる。

 ほどなくして妻も帰宅。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 夕食第二弾は、納豆卵かけご飯。

 デザートは、「おおくに」のあずきシャーベット。今この日記を書きながら振り返り、あまりの暴食っぷりに恐れおののいている。

 日付が変わる頃に就寝。


8月22日(月) 気温は低いが蒸し暑い。

2022年08月24日 08時02分07秒 | 2022年

 6時45分起床。

 最近は娘の寝起きがどんどん悪くなっている。夜眠るのに時間も掛かるようになっているし、体内時計がずれてきているのかもしれない。

 朝食はオートミール。

 妻と娘を見送ってから、身支度と整えて家を出る。

 9時前に出勤。

 昼食は「石居」へ。通常、月曜日はお休みなのだが、たまたまお店の前を通ったら開いていた。お盆休み明けでイレギュラーなのだろうか。

 今日のお新香はいつもより浅漬けだった。これもお盆休み明けだからだろうか。

 銀だらの粕漬けを注文。お刺身を追加するのは何とか我慢する。

 銀だらがいつも通り美味しいのに加えて、今日の卵焼きの焼き加減は絶妙だった。ここの卵焼きはお寿司屋さんのように比較的しっかりめに焼いてあるのだが、今日は中がふわとろだった。

 定時で退社し、保育園へ娘をお迎えに行く。娘はすこぶるご機嫌である。

 帰宅すると、妻も帰って来ていた。

 出張帰りに鹿児島空港で衝動買いした「じゃがほっこり」をおやつに出す。北海道土産の「じゃがポックル」の模造品かと思ったが、同じカルビーが出している正規品だ。娘は私が出張に行くというと、それが北海道でなくてもお土産は「じゃがポックル」がいいと言うほど好きなので、こういう類似品の存在はありがたい。

 娘に食べた感想を聞いたら、じゃがポックルと同じ味だと言う。妻は、いや、ちゃんとカツオ節の味がするよと言う。私も一口食べてみたが、そもそもじゃがポックルを食べていなかったので、味の違いはよくわからない。ただ、思っていたよりはかなり美味しい。さすがカルビー。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。やはり、今日も寝かしつけに時間が掛かった。かろうじて22時より前には寝かせることが出来たが、明日の寝起きも良くはなさそうだ。

 夕食は、妻が数日前から仕込んでいたチャーシューを中心に。味がよく染みていて、とても美味しい。全部食べてしまいたいくらい。

 デザートは、「本家菓子舗 おおくに」のマンゴーシャーベット。

 23時半前に就寝。


8月21日(日) 南国フルーツ。

2022年08月23日 12時08分27秒 | 2022年

 8時半起床。

 朝食は、卵焼きやウインナーなど。

 午前中に、宅急便で宮崎から送った果物たちが届いた。かなり丁寧に梱包してくださっていた。ありがとうございます。

 昼食は素麺や揚げ物。

 食後のフルーツは、娘に何が一番食べたいかと聞いたら、シャインマスカットが選ばれた。少し前に新横浜の駅ビルで買ったシャインマスカットと比べてみると、味も大きさも全く違う。ちなみに、値段は宮崎で買ったもののほうが安い。

 ニューピオーネも食べてみたら、びっくりするくらい甘かった。果汁も溢れ出てくる。

 娘はシャインマスカット派だが、それはおそらく皮まで食べられるからだろう。

 午後はお昼寝。出張の疲れがまだ残っている。疲れが残る出張とそうでない出張を比べてみると、気温や仕事の内容ももちろんだが、それ以上に車の運転時間との関係があるように思われる。特に、人を乗せながらの運転は気を遣うので、長時間になるとかなり疲れる。

 夕食はシチューと煮物。ホワイトシチューのお肉が豚肉だったのだが、それがとても美味しかった。鶏肉より美味しいのではないだろうか。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 妻と一緒に『鎌倉殿の13人』を見る。仁田殿の最期が彼らしく、それ故に切ない。そして、善児にも人の心があった。いつの間にか、善児より義時のほうが恐ろしい人間になっている。すごいドラマだ。

 妻が買っておいてくれた「本家菓子舗 おおくに」のあずきシャーベットを食べる。昔だったら苺味とかマンゴー味のほうを好んだだろうが、最近はあずきや抹茶味の魅力がわかるようになってきた。なんか寂しい。

 日付が変わる頃に就寝。


8月20日(土) 本物の「必死」。

2022年08月22日 08時08分08秒 | 2022年

 6時半起床。思ったより早く目が覚めた。

 さっそく、温泉に入る。

 昨日に引き続き、貸切状態である。

 湯船全体に覆いかぶさるように紅葉が枝を伸ばしている。秋になったら絶景だろう。

 慣れたのだろうか、昨日ほど熱さは感じず、ゆっくり入っていられる。次は冬に来てみたい。おそらく、また一段と気持ちいい湯浴みができるだろう。

 上がってからも、自分の身体から硫黄の良い香りがする。それは帰宅するまで続いた。

 部屋へ戻って朝食。福岡に本社がある「リョーユーパン」のレモンケーキを食べる。パッケージに書いてあるとおり冷蔵庫で冷やしておいたので、湯上りにちょうどいい。

 1時間ほどゴロゴロしてから身支度を整え、8時半前にチェックアウトする。これだけの素晴らしい温泉と趣のある時間を満喫して、素泊まりで1泊6,600円。破格である。今回は出張行程が読めなかったので素泊まりにしたが、次回は食事付きで泊まってみたい。お世話になりました。

 午前中は予定が空いている(というか意図的に空けた)ので、「知覧特攻平和会館」へ。学生の頃から、ずっと行ってみたいと思っていた場所である。

 ガイドレシーバーを借り、解説を聞きながら館内を巡る。沖縄戦の特攻作戦で戦死したのは1,036名。その大半が10代、20代の若者だった。彼らの遺した手紙や遺書には、母親をはじめとする家族への感謝や、この作戦に参加することへの喜び、意気込みが書かれている。残された家族を悲しませまいという最後の心遣いだろう、何名かの方の遺書の文末に書かれていた「〇〇(自分)は笑って行きます」という言葉が頭にこびりついている。

 特攻隊員のお世話をしていた知覧高等女学校の元生徒や、軍指定食堂だった「富屋食堂」(現・富屋旅館)の鳥浜トメさん、軍指定旅館(特攻隊員が家族と最後の面会を行った旅館)の関係者の方々の証言も映像で見ることが出来る。特攻隊員自身はもちろん、このような関係者もこの作戦が日本を救う、日本を勝利に導くと信じていた。そして、そこに命を懸けることを尊いことだと考えていた。しかしそれでも、出撃前に寝泊まりしていた三角兵舎では、頭から毛布をかぶって泣く声が聞こえたり、翌朝片付けに行くと枕が濡れていたりということがあったらしい。

 出撃を翌日に控えた隊員たちは、壮行会を楽しんだあと、三角兵舎の中で遺書をしたためた。その多くが今、ご遺族からの提供によって展示されている。主な宛先は家族(特に母親)であるが、中には婚約者に向けて「私はもう現実世界からはいなくなるから、あなたは勇気を持って過去(私の存在)を断ち切って、幸せな人生を送って欲しい」と書かれているものもあった。また、「私たちが生きていては未練が残って作戦に臨めないでしょうから、一足先にいきます」と川に身を投げた妻と娘たちに向けて、「これから立派な戦果を挙げて、いよいよそちらへいくよ」と書かれているものもあった。

 最後に、隣接されている特攻平和観音堂にお参りする。この観音様は、法隆寺に安置されている秘仏「夢違観音像」を模造したもので、観音像の中には亡くなった全隊員の名前が書かれた巻物が納められている。悪夢が良い夢に変わりますように、という願いが込められている。

 滞在時間は3時間を超えたが、それでも時間が足りなかった。ありきたりな言葉になってしまうが、戦争の恐ろしさ、平和の大切さ、今目の前にある日常が当たり前ではないということを痛感させられる時間だった。ここにはまた来ます。

 実際に三角兵舎があった跡地にも足を延ばしてみる。敵からの空襲を避けるため、山の中に配置されていた。

 特攻平和会館で再現されていた兵舎の姿と重ね合わせてみる。77年前、この場所で多くの若者たちが最後の夜を過ごしたという事実が、急激に現実味を持って押し寄せてくる。

 ただ手を合わせることしかできない。「かわいそう」も「ありがとう」も、違うような気がする。率直な気持ちは、「忘れません」である。

 特攻機発祥の地、かつての滑走路があった場所へも行ってみる。

 今はその大半が畑になっている。

 ここから飛び立った隊員たちは、薩摩半島の南端にある開聞岳(薩摩富士)を越えて沖縄へ向かっていった。生き残った元隊員の方々のお話によると、開聞岳が見えている間はこの世への未練がぬぐえず何度も振り返っていたが、見えなくなると急に覚悟が決まったそうだ。

 茶畑になっている場所もある。知覧茶は有名で、特攻平和会館でもお土産として売られていた。

 昼食は抜きで訪問先へ伺い、鹿児島空港へ戻ってくる。

 飛行機の時間まで少し余裕がったので、レストラン「キッチンさつま」で遅めの昼食。黒豚の角煮丼を食べる。鹿児島名物の焼酎などで漬け込んでいるらしく、一般的な角煮とは異なる不思議な味がする。美味しい。

 きびなごの唐揚げも食べる。思っていたよりも大きくて、味が濃い。

 手荷物検査を済ませてから、カフェで奄美大島産のグァバジュースを飲む。前回初めて飲んで、その美味しさに衝撃を受けた。鹿児島で最後に口にするのはこれ、というが定番になりそうだ。

 鹿児島16:15発のJAL650便に乗り、羽田へ。乗客が全員乗り終わってからもしばらく駐機場に留まったままで、出発が20分遅れた。機内後方で地上係員が何かをしていたようだが、説明がなかったので原因はわからない。

 出発地の鹿児島は雨、到着地の東京も雨予報だが、移動中だけは晴れ間が見られる。

 思っていたよりかなり早く千葉県上空(外房側)に到達し、これは着陸は定刻通りかなと期待したのだが、木更津から東京湾上空を通るルートではなく、陸地に沿ってぐるっと遠回りして、東京都心を通って着陸した。?マークを逆から書くようなルートである。

 結局、出発時に発生した20分の遅れはそのままだった。

 まあ、珍しい景色が見られたので別にいいのだが。

 バスが満席だった(こんなことは初めてだ)ので、京急線と横浜線を乗り継いで帰ってくる。所要時間はそれほど変わらないが、途中でいくつも駅に止まるし、乗り換えもあるし、快適度合いはかなり低下する。

 19時半前に帰宅。妻と娘はみなとみらいの「ボーネルンド」へ出掛けていたそうだ。

 すぐに荷解きをしてから夕食。昼食がかなり遅かったので、控えめにする。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。しばらく会っていなかった分、娘からのスキンシップが少しだけ多い。もっと多くてもいいんだけれど。

 寝落ちしそうなところから何とか復活し、アイスを食べながら写真の整理とブログの更新。

 1時半過ぎに就寝。