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人生そのものがフィールドワーク。

8月20日(土) 本物の「必死」。

2022年08月22日 08時08分08秒 | 2022年

 6時半起床。思ったより早く目が覚めた。

 さっそく、温泉に入る。

 昨日に引き続き、貸切状態である。

 湯船全体に覆いかぶさるように紅葉が枝を伸ばしている。秋になったら絶景だろう。

 慣れたのだろうか、昨日ほど熱さは感じず、ゆっくり入っていられる。次は冬に来てみたい。おそらく、また一段と気持ちいい湯浴みができるだろう。

 上がってからも、自分の身体から硫黄の良い香りがする。それは帰宅するまで続いた。

 部屋へ戻って朝食。福岡に本社がある「リョーユーパン」のレモンケーキを食べる。パッケージに書いてあるとおり冷蔵庫で冷やしておいたので、湯上りにちょうどいい。

 1時間ほどゴロゴロしてから身支度を整え、8時半前にチェックアウトする。これだけの素晴らしい温泉と趣のある時間を満喫して、素泊まりで1泊6,600円。破格である。今回は出張行程が読めなかったので素泊まりにしたが、次回は食事付きで泊まってみたい。お世話になりました。

 午前中は予定が空いている(というか意図的に空けた)ので、「知覧特攻平和会館」へ。学生の頃から、ずっと行ってみたいと思っていた場所である。

 ガイドレシーバーを借り、解説を聞きながら館内を巡る。沖縄戦の特攻作戦で戦死したのは1,036名。その大半が10代、20代の若者だった。彼らの遺した手紙や遺書には、母親をはじめとする家族への感謝や、この作戦に参加することへの喜び、意気込みが書かれている。残された家族を悲しませまいという最後の心遣いだろう、何名かの方の遺書の文末に書かれていた「〇〇(自分)は笑って行きます」という言葉が頭にこびりついている。

 特攻隊員のお世話をしていた知覧高等女学校の元生徒や、軍指定食堂だった「富屋食堂」(現・富屋旅館)の鳥浜トメさん、軍指定旅館(特攻隊員が家族と最後の面会を行った旅館)の関係者の方々の証言も映像で見ることが出来る。特攻隊員自身はもちろん、このような関係者もこの作戦が日本を救う、日本を勝利に導くと信じていた。そして、そこに命を懸けることを尊いことだと考えていた。しかしそれでも、出撃前に寝泊まりしていた三角兵舎では、頭から毛布をかぶって泣く声が聞こえたり、翌朝片付けに行くと枕が濡れていたりということがあったらしい。

 出撃を翌日に控えた隊員たちは、壮行会を楽しんだあと、三角兵舎の中で遺書をしたためた。その多くが今、ご遺族からの提供によって展示されている。主な宛先は家族(特に母親)であるが、中には婚約者に向けて「私はもう現実世界からはいなくなるから、あなたは勇気を持って過去(私の存在)を断ち切って、幸せな人生を送って欲しい」と書かれているものもあった。また、「私たちが生きていては未練が残って作戦に臨めないでしょうから、一足先にいきます」と川に身を投げた妻と娘たちに向けて、「これから立派な戦果を挙げて、いよいよそちらへいくよ」と書かれているものもあった。

 最後に、隣接されている特攻平和観音堂にお参りする。この観音様は、法隆寺に安置されている秘仏「夢違観音像」を模造したもので、観音像の中には亡くなった全隊員の名前が書かれた巻物が納められている。悪夢が良い夢に変わりますように、という願いが込められている。

 滞在時間は3時間を超えたが、それでも時間が足りなかった。ありきたりな言葉になってしまうが、戦争の恐ろしさ、平和の大切さ、今目の前にある日常が当たり前ではないということを痛感させられる時間だった。ここにはまた来ます。

 実際に三角兵舎があった跡地にも足を延ばしてみる。敵からの空襲を避けるため、山の中に配置されていた。

 特攻平和会館で再現されていた兵舎の姿と重ね合わせてみる。77年前、この場所で多くの若者たちが最後の夜を過ごしたという事実が、急激に現実味を持って押し寄せてくる。

 ただ手を合わせることしかできない。「かわいそう」も「ありがとう」も、違うような気がする。率直な気持ちは、「忘れません」である。

 特攻機発祥の地、かつての滑走路があった場所へも行ってみる。

 今はその大半が畑になっている。

 ここから飛び立った隊員たちは、薩摩半島の南端にある開聞岳(薩摩富士)を越えて沖縄へ向かっていった。生き残った元隊員の方々のお話によると、開聞岳が見えている間はこの世への未練がぬぐえず何度も振り返っていたが、見えなくなると急に覚悟が決まったそうだ。

 茶畑になっている場所もある。知覧茶は有名で、特攻平和会館でもお土産として売られていた。

 昼食は抜きで訪問先へ伺い、鹿児島空港へ戻ってくる。

 飛行機の時間まで少し余裕がったので、レストラン「キッチンさつま」で遅めの昼食。黒豚の角煮丼を食べる。鹿児島名物の焼酎などで漬け込んでいるらしく、一般的な角煮とは異なる不思議な味がする。美味しい。

 きびなごの唐揚げも食べる。思っていたよりも大きくて、味が濃い。

 手荷物検査を済ませてから、カフェで奄美大島産のグァバジュースを飲む。前回初めて飲んで、その美味しさに衝撃を受けた。鹿児島で最後に口にするのはこれ、というが定番になりそうだ。

 鹿児島16:15発のJAL650便に乗り、羽田へ。乗客が全員乗り終わってからもしばらく駐機場に留まったままで、出発が20分遅れた。機内後方で地上係員が何かをしていたようだが、説明がなかったので原因はわからない。

 出発地の鹿児島は雨、到着地の東京も雨予報だが、移動中だけは晴れ間が見られる。

 思っていたよりかなり早く千葉県上空(外房側)に到達し、これは着陸は定刻通りかなと期待したのだが、木更津から東京湾上空を通るルートではなく、陸地に沿ってぐるっと遠回りして、東京都心を通って着陸した。?マークを逆から書くようなルートである。

 結局、出発時に発生した20分の遅れはそのままだった。

 まあ、珍しい景色が見られたので別にいいのだが。

 バスが満席だった(こんなことは初めてだ)ので、京急線と横浜線を乗り継いで帰ってくる。所要時間はそれほど変わらないが、途中でいくつも駅に止まるし、乗り換えもあるし、快適度合いはかなり低下する。

 19時半前に帰宅。妻と娘はみなとみらいの「ボーネルンド」へ出掛けていたそうだ。

 すぐに荷解きをしてから夕食。昼食がかなり遅かったので、控えめにする。

 入浴と洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。しばらく会っていなかった分、娘からのスキンシップが少しだけ多い。もっと多くてもいいんだけれど。

 寝落ちしそうなところから何とか復活し、アイスを食べながら写真の整理とブログの更新。

 1時半過ぎに就寝。