この所、毎日のように、中学生(ばかりではないのか)のいじめを苦にした自殺の報道が相次いでいるが、ついにこういう輩が逮捕された。
「いじめ自殺」中2名乗りメール、42歳女を逮捕
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/bullying_2/story/19yomiuri20061118it16/
実際に自分の所にも、自殺を予告する手紙が届いたという石原東京都知事は、公開された一連の手紙は大人が書いたものと思う、という発言をしていたが、やはりそういうヤツもいたという事だ。当たり前だが、僕も自殺予告の手紙やメールは見てないけど、騒ぎに便乗して当事者を装って予告手紙を送りつける輩もいるのではないか、と思っていた。中には深刻な手紙もあるだろうに、こういう事をする輩がいると、そのうち誰も予告手紙を信用しなくなるのでは、と気になる。
ちょっと前に、いじめに遭っていた事を示唆する遺書を残して自殺した中学生の事件以来、次から次へと自殺関連の報道が飛び交っている。こういった報道に影響されて、いじめを告発する遺書を書いて自殺してしまう中学生もいるのではないか。いじめに悩む子供の背中を押してしまう危険性もあるし、報道を控えた方がいいのではなかろうか。それに、とある新聞で見たのだが、遺書を残して自殺しても、問題は解決しない、という意見もある。なぜなら、いじめをしていた子供は何も感じないからだ。だいたい、いじめたという意識も薄いだろうし、悪い事をしたという気持もない、仮に遺書にいじめた子供の実名が書かれていても、報道では伏せられるから世間に知られる事もない。人ひとり死に追いやるようないじめをする子供なんて、他人に対する配慮とか思いやりとかが、かけらもないからそういう行為をするのであって、同級生が死のうと死ぬまいと、どうでもいいのだ。結局、自殺した子供は死に損でしかない。と、こういう意見だった。
一理ある、と思う。もし、自殺する子供が、遺書を残すことによって加害者の反省を促し、いじめを根絶しようと思っていたのなら、これは全く効果がない。実名で書くことで、報復を狙ったのだとすればなおさらである。相手を反省させるにせよ、報復するにせよ、加害者の子供が、自分は大変な事をしてしまった、と自覚しなければ意味がないと思う。遺書が実名で世間に公表され、顔も名前も住所も知れ渡り、連日のように無言電話やいやがせ電話がかかってきて、家には石や汚物が投げ込まれ、あちこちで中傷ビラがばら撒かれ、外へ出るとバイクに轢かれそうになったりホームで突き落とされそうになったりして、しかも本人だけでなく家族も同様の目に遭い、警察も何もしてくれず、という状況にでもおかれないと、罪の自覚が芽生えないのではなかろうか。だから、どうせ自殺を予告する手紙を送りつけるなら、役所よりはマスコミの方がいいと思う。
いじめにより同級生を自殺に追い込んだ、なんてのは立派な犯罪である。でも、立件はされないだろうし、人権問題とかもあって、いじめた本人は守られぬくぬくと生きていくのだろう。必ずしも厳罰に処すべき、とまでは言わないが、こういった事があっても、全く心に傷を負わずに社会へ出て行くのかと思うとゾッとする。罰を与えなくても、己れのしでかした事を思い知らせることは出来ないのか。そういった意味では、遺書に実名が書かれていたなら、それを公表してもいいのではないか、とすら思う。そういう事例を作らなければ、いつまで経ってもいじめ問題は解決しないのではないか。何度も言うが、今のままでは、自殺した子が損をするだけだ。いじめにより他人を自殺に追い込むような輩は、たとえ中学生であっても制裁されるべきである。
という訳だ。いじめで悩んでいる人は、死ぬのは止めて、マスコミに文書でも送りつけて、この事実を世間に公表する方向に持っていった方がいい。無駄な死を選んではならない。
今のマスコミ報道は真逆を行っているもようですね。
http://www8.cao.go.jp/souki/tebiki.pdf
【マスメテ?ィアのための手引き】 と言う箇所です。
・せ?ひすへ?きこと
事実を報道する際に、精神保健の専
門家と緊密に連絡を取る。
自殺に関して「既遂」(completed)
という言葉を用いる。「成功」
(successful)という言葉は用いな
い。
自殺に関連した事実のみを扱う。一
面には掲載しない。
自殺以外の他の解決法に焦点を当て
る。
電話相談や他の地域の援助機関に関
する情報を提供する。
自殺の危険因子や警戒兆候に関する
情報を伝える。
・してはならないこと
遺体や遺書の写真を掲載する。
自殺方法を詳しく報道する。
単純化した原因を報道する。
自殺を美化したりセンセーショナル
に報道する。
宗教的・文化的な固定観念を当ては
める。
自殺を非難する。
WTO→WHO
>WTOによると、今のマスコミ報道は真逆を行っているもようですね
してはならないこと「単純化した原因を報道する」なんて、正にそんな感じします。
人が死ぬのは仕方ないことではありますが、自殺というのだけはやりきれません。いじめが理由だとすれば、なおさらです。マスコミも教育機関をただ批判するだけでなく、何か有効な手は打てないのでしょうか。
警察も、こんな奴捕まえてないで、自殺に追い込んだ奴をなぜ捕まえないんだろう。容疑の問題なんて二の次でもいいから、ひどいいじめは犯罪だ!位のこと言ってもいいと思います。
>同級生が死のうと死ぬまいと、どうでもいいのだ。結局、自殺した子供は死に損でしかない。
残念ながら、そうだと思います。そんな罪悪感持っていれば、いじめなんかしません。追いつめられた子は、その辺を勘違いしてしまったんですね。名前を言えば、その子が糾弾されると。でも、残念なことに、その行為は親や友達を悲しませるだけなんです。ただ、その名前さえ言えなかった苦しみを解いてあげる環境をいかに作るかが課題ですね。
言えば怒られるから黙っていよう。大人でもそうして借金が膨らんで、どうしようもなくなったって話もあります。子供ならなおさらそう思うでしょう。でも、どんなに怒られようが、その後必ず力になってくれる人たちがいるんです。打ち明けることを恐れずに、生きて戦うべきです。
不謹慎だとは思いますが、一連の「自殺予告」は、最初の一通目から某奈良県職員のような大人のいやがらせだと思っていました。町中で聞こえる子供たちの声や自分の過去の経験を照らし合わせて考えるに、少なくとも子供たちは大人、ましてや文科省に何の期待もしていないし、子供同士の社会で起きている問題を解決できるのは、やはり当事者である子供たちしかいないのだと思うのです(つづく)。
理解ある親の顔をする前にやるべきことがたくさんあるはずです。やってはいけないのは、ある特定のもの(例えばゲームやネット)に原因を押しつけてよしとすることです。結局それは、目に付くものを叩くことで格好を付けているだけなのですから(つづく)。
全て大人の責任です。
広告代理店にいいように踊らされ、あんな政治家しか出すことのできない私たち大人が、あの子たちを殺したのです(つづくかも)。
fxhud402さん
確かに、おっしゃるように、子供には子供の社会があります。そして、本来は、その中でいろいろな問題を、自分達なりに解決しているのです。ただ、その中だけでは対応できない問題が起こった時に、どうやって手を差し伸べてやるかが課題だと思います。
>自分自身の悪いところを反省するべきでしょう。そして、子供たちが胸襟を開く気になる、尊敬される大人になる努力を始めた方がいい。
それは、我が子を見ながら日々感じています。子は親の鏡とはよく言った物です。ただ、悪いことを悪いと思わない人も増えているようにも思えます。そして、私の友人のところのように、まるで子供のような先生。大人が子供だと言うことも原因の一つだと思います。
>「女がわからないでメシが喰えるか」という発想のもとに、産業界がありとあらゆる手段を弄していやらしく女性に媚びた....。そういう姿勢を子供たちは無意識のうちに感じ取るのです。
ごめんなさい。この部分といじめの陰湿さとの関係が、よくわからないんですが。確かに女性をターゲットにしたマーケティングや商品開発は、ここ十数年の主流のように感じますが、それが子供達にどのような影響を与えるのでしょうか?
>言えば怒られるから黙っていよう
これが現実でしょうね。僕も、小学生の頃いじめとまではいきませんが、仲間はずれにされた事がありますが、やはり親には言えませんでした。先生にはなおさらです。怒られるから、というより、話すことで明るみになる、この事によってクラスメートたちを刺激してしまうのが怖かった、というのが本音でしょう。自殺した子供がいると、学校が非難されますが、本人が言わないし、いじめも巧妙だし、学校側がいじめに気づかなくても責任はない、という気がします。親ですら気づかない事を、学校が気づく訳ありません。
>どんなに怒られようが、その後必ず力になってくれる人たちがいるんです
子供には分かりづらいかも。僕もそうでしたが、子供の頃は大人なんて全く信用していませんでした。大人に相談しても、何も解決しなかったからです。子供に信用して貰える大人になる事、これが第一歩なのかもしれません。
♪fxhud402さん
>一連の「自殺予告」は、最初の一通目から某奈良県職員のような大人のいやがらせだと思っていました
正直言うと、僕もそう思ったりしました。ただ、そうではない事を願ってはいましたが。
>子供同士の社会で起きている問題を解決できるのは、やはり当事者である子供たちしかいないのだと思うのです
それは確かにその通りと思います。ただ、子供の社会と言っても、結局は大人社会の縮図です。大人にも出来る事があるのでは、と大人になってから感じるようになりました。
>やってはいけないのは、ある特定のもの(例えばゲームやネット)に原因を押しつけてよしとすることです
同感です。真剣に考える気のない人ほど、分かりやすい所に原因を見つけようとします。そして、安心するのです。問題を解決するために原因を探るのではなく、訳分からない事にケリをつける為に原因を特定しようとするのです。これでは、いつまで経っても解決しません。このようにして、世間は問題解決を先送りにしてきた、と言えるでしょう。
>問題はそういったひとつひとつのものではなく、社会全体の流れやその背後にある考え方だと思います
先日、とあるテレビ番組でこの問題が取り上げられ、盛んに「大人がしっかりしなければダメだ」と言っていました。確かに、それは言えます。いじめ云々と言いますが、大人の社会でもいじめが行われているのは事実です。PTAなんて、かなり陰湿と聞いてます。ボスみたいな父兄がいて、気に入らない父兄がいると「○○ちゃんと遊んじゃダメよ」と、自分の子供にも言うらしい。それを見ていれば、子供だっていじめに対する罪悪感はなくなるでしょう。断言しますが、いじめをするような子供の親も似たような事をしています。親の悪い所を真似するのが子供というものです。いじめをする人の子供もいじめをするようになり、それが子から孫に受け継がれていくのです。子供を良くするも悪くするも親次第、と僕は思っています。子供がいないのに、こんな事を言って申し訳ないですが。