「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

西之宮(矢崎神明神社)

2007-02-28 17:30:45 | 歴史・民俗
 相互リンクいただく、遠野発信ブログ「遠野なんだり、かんだり」様の影響ではございませんが、当方としても住まいする地域の社、祠等は少ないながらもご紹介したいと思い、エントリーいたしました。


神明神社・・松崎町松崎(矢崎)

 

 正徳3年(1713) 祭神 天照皇大神

 矢崎鈴木氏の先祖は法師であったと伝えられ、鈴木家先祖が矢崎西之宮から遷し祀ったといわれている。

 棟札
 6、7枚現存するそうですが、判読できないものもあるとのこと。

○ 正徳三年発巳 ○ 正徳三年発巳 中御門天皇
○ 宝暦四年申戌中秋詳日 妙泉寺   
○ 宝暦四年申戌中秋吉祥日 妙泉寺 桃園天皇
○ 鈴木六良衛 文久三年癸亥九月十九日 長右エ門 
   権大僧都正一僧祈喜楽院剛完
○ 大正八年九月 遷宮

 ここでも「遠野なんだり、かんだり」様のところの数々のエントリーで登場の喜楽院の名が・・・・。


 西之宮

 昔は神明神社を西之宮と矢崎の人々は呼んでいたそうですが、その来歴は不明としながらも、一説には、阿曽沼時代、代官宇夫方氏が当初居た阿曽沼館の東西南北の守りとして、西の地、すなわち矢崎に宮を配したものと伝えられる。
(東は愛宕神社(現福泉寺)・北は八幡神社(現稲荷社)・南、不明)

 阿曾沼氏が横田城を築いた折、或いは宇夫方氏が谷地館を築いて移動した際に廃止されていたものを、後に鈴木氏が復興して今の社となったものとされている。

 勧進された当初は、現在の矢崎公葬墓地前(附馬牛町安居台への山道)に配置されたらしいが、度々遷され、いつしか母也明神と合祀して、現在の山野に遷し神明社として御祀りしていた。

 昭和56年、母也明神を巫女塚の場所に新築遷座して、神明社は現在に至っている。



 矢崎神明神社縁の鈴木氏、なにやら物部氏関連に詳しい方々には、なんともいえない鈴木姓、穂積につながりそして・・・・?。

 この矢崎地区は鳥屋部姓と海老子川姓がそれぞれ半数ずつ、両姓で集落の9割以上を占める地域柄、その中での鈴木姓、これは、もしや・・・・笑






 おまけ・・・・

 おまけとしながらも2月28日は結婚記念日、そして満20年の節目でもあります・・・・汗

 独身でおられる方々には、目障りなエントリーかもしれませんが、実は独身の方々に対しては、うらやましいと思うことしばしば・・・なんとも複雑な心境です。
 
 10年の節目の年には新婚旅行で訪れた香港再訪とか、20年では西欧旅行とか、色々と当初は思いもありましたが、未だ実現もしておりませんし、その気もないに等しい・・・汗・・・。

 今はただ、長女のチャランポランさに振り回され、長男の高校受験をやきもきしながら見守り、しかも毎日PCは開き放し、歴史史料やら書籍を広げて「あ~でもない、こ~でもないと」と独り言をつぶやくオヤジとなっている有様・・・。

 昨年夏までは白髪も無かったが、ここにきて一気に白髪が増えだしている・・・オレも職場では「ワゲスタズ」と未だに上司に言われるが、実はオヤジなんだよな・・・といつも思っております。

 結婚20年の節目、楽しいこともあるけど、辛いことも実は多いと感じているのが現実です。



 結婚当時の写真を見てみましたが、自分も山の神さんも若かったなあ~・・・。
コメント (21)
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