「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

遠野南部流鏑馬

2005-09-15 19:16:31 | 遠野
 遠野南部流鏑馬
 古式に則り、厳粛にしかも堂々と・・・いつもながらすばらしい神事と思っております「遠野南部流鏑馬」9月15日は遠野郷八幡宮で、旧暦8月15日(今年は9月17日)は八戸市櫛引八幡宮にて、そして翌日18日は、またもや遠野まつりでの遠野郷八幡宮での開催・・・流鏑馬保存会の面々も忙しい中たいへんであろうが、流鏑馬神事に関わられている方々に敬意を表したいと思います。
 流鏑馬には駒木の若者2名が、ここ数年射手奉行として出場、同じ地区民として鼻が高い・・・馬といえば松崎町駒木、これはいまや遠野の代名詞となるものでもあり、すばらしいことでもあります。

 射手奉行一番 菊池Y君・三番 岩間君・・・今年も見事でした。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八幡のお祭り

2005-09-15 19:05:46 | 遠野
 9月15日、遠野郷八幡宮例大祭
 奉納芸能団体は神楽3団体、しし踊り4団体、昨年の遠野まつり第1ステージよりも閑散としていたが、そんな中、遠野南部流鏑馬、芸能団体による馬場めぐりが行われた。
 遠野祭り開催日にあっては紛糾、賛否両論・・・二転三転・・しかし、遠野郷八幡宮のお祭りは昔から15日である。私の地元、駒木しし踊りは本来の祭りという意義にたって14日、15日の参加、境内は少し寂しかったが、それでも祭りという雰囲気は十分に伝わりました。
 遠野まつりとしては、17日、18日開催、こちらは例年どおり賑やかな祭りになろうかとは思いますが、ちょっと心に何かしら言様のないものが残っているという感じは否めないものでもあります。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じぇんごクラブ?

2005-09-13 12:09:40 | 思いで
 このほど、全国の田舎者が集う「田舎者サミット」が遠野、たか○ろ水○園で開催されました。

 主催は開催地である遠野ということで、この私が務めさせていただきました・・・・・というのは、夢といいますか、ぼが(うそ)でして、来月市村合併により、職場での配置換えやら異動もあって、さらに東京に半年間、勉強に行く同僚もいたりして、この半年間、同じ釜の飯を食べ、寝起きを共にしたチーム(当番部)の離散会兼激励会を行いました。
 本来は職場名が「歓迎・・・・ご一行様」となるところですが、宮守、土淵、上郷・・・遠野郷出身の職員が集うということで、「じぇんごクラブ」として申し込みした次第です。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新人戦

2005-09-10 20:58:27 | その他
 遠野地区中学校新人戦、剣道大会が青笹中学校体育館で行われ、我息子(中2)も個人戦に出場ということで、応援というよりも見学に行ってきました。
 息子は昨年、中学生となってから剣道をはじめ今年でまだ一年半余り、中学の団体戦のBチーム、Cチームレベル、なかなか大会と名の付くものに選手として出ることは少なく、親としても一応にこの新人戦が晴舞台でもあると感じ、息子の成長ぶり、戦いぶりを楽しみにしておりました。
一回戦・同じ中学、I君と対戦
 
 両者決め手が無いまま時間は経過、昨年に比べると息子は守りの剣道から攻めの剣道を積極的に行うも、なかなか決まらない、時間も後数十秒というところで、I君に面を決められる・・・このまま今年も一回戦敗退か・・しかし、なんとか一本を返して欲しい、そんな思いがしていた矢先、相手が面を打ってくるところをかわして胴が決まる・・「おっ、ながながやるもんだ」これで同点、直ぐに延長戦に突入、延長間もなく、息子が相手の懐に飛び込むように胴を決めた。胴二本で二回戦に進出・・・なんせ息子は弱い部類と聞いていたし、親もそう考えていたから、ビックリやらうれしいやら・・・昨年の息子とはだいぶ違い成長の跡が感じられた一回戦であった。
 二回戦・土淵中のT選手
 実は私は土淵中の選手が控えている場所の傍らに居たのです。次に対戦する遠野中の選手を盛んに仲間同士で研究している様子、おそらく我息子のことと思いますが、「胴二本だじぇ、面はそれほどでもねえな」「んだ」・・・・
 T選手は盛んに面を打ち込んでくる、どちらかといえば息子は守りの姿勢、また相手は息子よりはかなり小柄であり、なかなか胴も決まらない、互いに面を打ち出すと、赤三本、息子が打ち勝った・・身長の差かリーチの差か、そのまま試合終了、なんとか息子が二回戦を突破してベスト8進出・・・これは予想外である。

 ベスト8
 今度はなかなか自分の剣道をやらせてもらえなかった、どちらかといえば攻勢気味ながら、ことごとくかわされ、また遊ばれている感じ、面を決められると、すぐさま二本目も面を決められた・・・残念

 まあ、それでもなんとか三試合見れたし、何よりもそれなりにかなり成長している様子も感じられ、良くもまあ、ここまで頑張ったな・・が率直な感想でもあります。今一歩更なるレベルアップ目指して頑張ってくれっ・・と言いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・マナー

2005-09-08 22:50:05 | その他
 大型で強い台風14号、西日本といいますか九州で猛威を奮い、痛ましい被害をもたらし北上・・・仕事柄、自宅待機で呼び出しに備えてましたが、なんとか東北地方直撃は避けられ、被害もなし、まずは一安心といったところでもあります。
 被害に遭われました皆様、犠牲となられました皆様、お見舞いとお悔やみを申し上げます。

 さて、久し振りにいつもの健康ランドへ行ってきた。台風の翌日ということで風も強く、ぐずついた天気のためか、いつもより入浴客が多かったように感じられたがほとんどはご年配の方々、しかしいつもながら特にサウナを楽しむにあたり、マナーといいますか、約束事を無視或いは知らないせいなのか、憤慨すること、しばしばであった。
 普段はサウナに入りもしないのに、興味本位なのか、扉を開けっ放しで室内をのぞいている爺さん、入るなら入る、入らなければ、さっさと扉を閉めてほしいのに、能書きを並べて感心したり、挙句には「にいさん、あっつのすか」(にいさん、熱いのですか)私「あっつぐねえじぇ~、温度さがっからはやぐしめでけろ」爺さん・「あっつぐねえば、おらもへる」と言って入ってくるや、10秒も経たない内に「あっつ」と言い出て行ってしまった。
 だったら最初から入るなと言いたい・・次にその爺さんの友達らしきオヤジ・・身体の水滴くらい拭いて入って来い、ダラダラと水滴流しながら入っている、どうせ汗で身体はダラダラになるが、注意書きにも書いてあるだろ・・「入る前に身体は良く洗い、水分はふき取ってお入りくださいと・・・」上がったらあがったで水風呂にタオルを入れて絞るな・・・とにかくサウナ好きにはたまったものではない・・。
 ところでサウナで知り合いとなった地元の方が亡くなられた。私がこの健康ランドへ行くたびに、ほとんど会っているので、この方はほぼ毎日行っているのだろう・・若い頃から病気がちだったということもあるが、近年も「おれは、ながくねえ」とこぼしてもいた。
 この方から、サウナでのマナーみたいなものを学んだといっても過言ではないっ・・・お盆前だったか、少しかだぎが、わるぐなってらな(少し姿形がおもわしくないな)と感じていたが、この時が私がその方を見た最後でもありました。
 サウナ以外では付き合いはありませんでしたが、ご冥福をお祈りしたいと思います。合掌・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボランティアガイド

2005-09-05 22:26:44 | 歴史・民俗
 今月末に、仕事上担当する防火団体の研修があるが、今年は大槌城跡の見学が予定されている。
 ボランティアガイドさんによる大槌城の説明を受けながら城跡、大槌の歴史を探訪するといったものであろう・・・。
 最近、本編サイトで大槌城と大槌氏の歴史についてアップしているので、大槌氏関連のことは説明を受けなくても私個人としては構わないのですが、それでも私の知らないこと、ボランティアガイドさんの助言者として地元の郷土史家の先生でも同行されれば、これまたたいへん今後の研究に役立つ意味合いもあって、後者の方は有るか無いかは分かりませんが、少し期待してたりしております。

 ここ最近になって観光地といいますか、史跡等を抱える自治体ではボランティアガイドによる案内が大流行である。
 八戸根城に行った際は、城跡の入口あたりでウロウロしていますと、向うから声をかけられ、「ご案内しますよ」とのこと。それも二人、お揃いのジャンパーを着ている。個人的には好感が持てたのですが、私が遠野から来たと告げますと何故か「じゃ~ご案内はよろしいですよね」「はいっ、結構です」の会話、遠野から来たということと、ひとりで遠野南部氏縁の地を訪ねるということは、何かしら八戸氏(遠野南部氏)の歴史も詳しいに違いない・・と思われたせいかもしれません。
 翌日は、二戸市の九戸城を訪問したが、こちらもボランティアガイドさんが活躍されておりました。
 高橋克彦先生の「北を衝く」・・・九戸政実を扱った小説により、九戸政実は密かな脚光を浴びるといったブームもあって、九戸城のこと、九戸氏のことを売り込みたい、歴史を知ってほしいの思いがあったのだろう・・・。

 それでは遠野では・・・当然ながら遠野物語関連、民俗学的なことでのボランティアガイドは存在し、結構活躍されているみたいです。
 その養成講座も長期間にわたり、かなり洗練されたガイドがなされてもいると聞きますが、以前盛岡の先生から「遠野のガイドは、遠野物語だけか、いい加減な歴史認識で史跡を説明されるより、されない方がましだ・・もう少し郷土史も勉強した方がいい・・」と言われたことがあった。
 どこの史跡かは聞きそびれたが、史実と所伝、伝承はうまく区別して説明しなければならないのは言うまでもないと私は思います。
 しかし、最近は評判も良いみたいですし、遠野案内の幅と深みが加わったのではないのか・・・私はそう感じられます。いずれ私も観光客にでも混じって、そのお手並み拝見といきたいと思ってます。

画像は大槌城本丸に建つ碑・・・平成17年5月2日撮影
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銘菓

2005-09-04 21:36:33 | 遠野
 画像は仙台銘菓「萩の月」今や私にとっての仙台土産の第一候補、叔父さんが利府に住んでますので、遠野に来られるときは、この萩の月と萩の調べ・・・あとは笹かまぼこを毎年お土産にいただいております。
 また仙台方面に出かけた際も必ず買って帰ってきます。以前はなかなか売っているお店が限定されてて、見つけ出すのに苦労しましたが、今は定番となって買い易くなったようでもあります。
 とかく名物というものは、特にお菓子類は、それほど美味いという銘菓は記憶にないけど、この萩の月は私自身は美味いと思うお菓子のひとつでもありますし、お土産としてもなかなか喜ばれます。

 話は遠野に移りますが、遠野銘菓は、なんといっても「明けがらす」でしょう・・ただどこまでその名が知れているのか、萩の月や南部せんべい、かもめの玉子のようなビッグな存在とは思えないけど、やはり遠野は「明けがらす」・・・最近、遠野へお越しになられる方々へのお土産、私が遠野から持参するお土産、銘菓は「遠野クッキー」・・・日持ちもよく、結構美味いという評判・・S製菓店の商品で作っているのは同級生、はたして遠野銘菓の定番となるか・・・・
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

財産

2005-09-02 20:20:16 | その他
 9月となりましたが、遠野祭り、稲刈り、紅葉となり初雪、と言っている間に忘年会にクリスマス、そして正月・・・まだ少しだけ残暑も残っておりますが、確実に秋といった気配、いずれにしても今年もあと4ヶ月余り、とにかく月日の経つのは早い・・・・

 さて、今回の話題は「財産」・・・形としての財産を持たなかった、いや考えもしなかったが、若い頃は唯一、高価で大事にしていたもの・・・それは車であった。
 車は生活必需品であり、また自分をアピールする道具、家に帰らなくても車さえあれば・・そんな考えでもありましたし、友人達との語らいも車が中心、といっても暴走族やゼロヨン族といった走り屋ではなかった。
 安い給料から月々のローンを捻出するにはたいへんだったけど、乗るならカッコいい車、お気に入りの車、結婚に備えての将来設計もあったものではない、とにかく車が生活の中心であったと思い起こす・・・・。
 
 日産サニークーペ1600GX(1973型)中古を皮切りに、マツダ車を2台乗り継ぎ、日産車へ、さらに三菱2台、4年前にようやく天下のトヨタにたどり着いた。・・・・笑


 画像はマツダコスモクーペ
 画像は赤ですが、私は白に乗っておりました。アメ車的な精悍な顔つき、スタイルが大のお気に入りでしたが、失恋から思い出を振り払うようにコスモ君から新型コスモ登場に併せてかなり金銭的には無理して画像下のコスモを購入。
 ヘッドライトが格納するシステムと、液晶メーターに驚愕した記憶があります。
 当時遠野はマツダ全盛時代で、マツダ車は遠野と広島しか走っていないと言う方もいて・・・笑・・・マツダの営業所のなかった三陸沿岸方面では、コスモは注目の的であったのが思い起こされます・・・ホントの話し・・・。

 まさにコスモは私の青春の思い出、そしてその思い出と共に財産でもありました。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする