「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

「きっつ3」

2006-05-17 13:08:35 | 遠野
 少し農作業小屋の片付けをしなければならないと思いながらも、ほとんど手つかず、片付けたものを今度は何処に置くべきか・・・?これが問題なのです。
 結局はモノの積み重ねを少しずらしただけに終る・・・汗

 しかし、懸案だった「きっつ」の右側が新たに現れ七福神のうちお二人の神様が登場・・・・。
 これで五福神となりました。(大黒天・恵比寿・寿老人・弁財天・布袋)



 弁財天様と布袋様

 さてと残りは・・・さらなる片付けが行われた際にまた新たに登場していただくことといたします。


本編サイトへ遠野市小友町の奥友館を追加いたしました。


こちら
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妻の神話題

2006-05-15 20:07:28 | 遠野
 いい天気、画像取材にもってこいの晴天・・・・地域では本格的に農作業が行われ、田んぼでは田植えの準備やらであちこちトラクターが走り回っている。
 零細農家の雰囲気を残しながらも、今は農家といえない我身、休耕田の土手の草刈でもすれば母親も大喜び、また集落内でも宮洞の息子、「めずらすく、かしぇんでらな」(めずらしく働いているな)・・・の言葉のひとつも出るだろうに・・・が、草刈は例年は6月に入ってからと自分で決めている・・・汗・・・もう少し草を伸ばしてから、「スパッと」刈りたいものです・・・笑



妻の神・・耳切山頂からみた駒木地区と遠野方面

 何処というあてもなく妻の神方面へ車を走らせ、気が付いたら耳切山の見晴らしのよいところに行き着きました。


天ヶ森

 高原の爽やかな風を受けつつ、いくら暇でも無意味に車を走らせる愚かさといいますか馬鹿さ加減に自分でも気が付く、そのままUターン・・・下界に下って上駒木集落のI氏宅のお馬さん達が戯れておりましたので画像をゲット・・・・。


 駒木らしいといえばそのとおり・・・馬の里の馬でも良いのですが、力強い白馬がまたいいんですよね・・・確か名前は「セキセキ号」だったかな?次回は正面から撮りたいですね。

 そして駒木、妻の神といえば画像の石碑群・・・・
 「大峰山」・・・一番大きなこの石碑・・・明治24年建立とか・・・台座の石には・・・
 円治・政吉・馬之丞・馬吉・間野・鈴松・長次郎・庄治・六之丞・吉右衛門
 長八・善次郎・駒吉・申松・亀三・庄右ェ門・永助・長兵衛・・・と名前が刻まれている・・(非売品読本駒木より)・・・私もいくつかは確認いたしましたが、読めない文字があったり、石に張り付いてのぞいている姿を地元民にはあまり見せたくない、暇人には暇人なのですが、やはりあまり望ましい姿ではないと思うのです。ですから早々に立ち去ることが多く、まだしっかりと見ていないんです・・汗


上駒木、妻の神石碑群

 ということで上記の名前に「亀三」とございますが、一応四代前の先祖ということになります・・・(血縁関係は私とはない)

 大正時代だったか、昭和の初め、福泉寺二世の宥然和尚は地元の方々と古峰ヶ原だったかな・・・講仲間と御山かけをしたとか、その際に宿屋に泊まり、宿帳に氏名を記帳するにあたり、皆顔見知りの親しい関係上、名前の上でしか普段よばないものですから宿帳に、ある人物が「申・酉・丑・馬・亀・鶴・・」と記帳したとか・・・宿屋のご主人に動物が泊まっているのか・・と中居さんが言われたとかで、後で皆で大笑いしたとか・・・・。 
 すなわち「申松・酉松・丑松・亀三・馬吉・・・」というような名前だったらしい・・・・。
 宥然和尚が晩年、我家の伝承行事に来た際に話された内容です。

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更新情報

2006-05-14 21:41:18 | その他
 サイト管理者としての18年度前半戦でのメインという位置付けの遠野郷春の城館めぐりも終了・・・・。
 まずは小友町の鷹鳥屋館と南舘を本編サイトへ追加いたしました。

こちら
 
 今週のうちには奥友館(小友)、来週には上郷町の林崎館を追加の予定です。
 そしてこの春の館城跡探訪での主たるもの、青笹町の花館を今月中に追加予定です。
 この花館に関しては、かなり詳しく掲載する予定でもあり、来月にずれ込むかもしれません。


南舘(小友町太田)の平場

 さらに本編サイトでの城館跡アップがひと段落いたしましたら、民俗的な部分として松崎町の神社、祠等の調査に入り、題して「松崎町の神々」・・・なんか聞いたことあるような題目・・・笑・・・一応仮称として・・・来月中のアップを目指したいと思ってますが、我家の菩提寺福泉寺の開基に関わる歴史も追加したい・・いずれ神様か仏様か・・・どちらかをアップいたします。
 これと並行して、別家サイトでの奥州虎猫舘・遠野南部氏物語はここ三ヶ月更新が滞っておりまして、こちらは7月頃に遠野八戸氏(遠野南部氏)、その分家たる附馬牛八戸氏の飛び地たる遠野以外の知行地を取材し、遠野南部氏支配時代の事柄を若干記載したいと考えております。

 また遠野南部家文書を中心に八戸時代の八戸氏について少し考察を加えたいと思っております。
 
 夏以降は、本編サイトでの遠野阿曽沼氏関連の歴代、家臣団に関して大幅に改編予定とし、菊池姓関連も本格的に取り組んでみたいとも考えております。

 あくまでも予定ですが、6月までの更新予定は、なんとか取り組んでアップしたいと考えております。

 本編サイトは来月21日で開設満5年、別家サイトも満4年を迎えます。
 昨今のブログの如き勢いは感じられませんが、それでも私の原点でもありますし、長い間、皆様にご愛顧いただいた結果として、なんとか続けてこられたこと、感謝申し上げます。

 


 飼猫同様、飼主もやる気がなければご覧のような姿となって寝ておりますが、なんとか頑張りますので、今後共どうぞよろしくお願いします。
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春季舘めぐり一応終了

2006-05-12 17:04:27 | 歴史・民俗
 春シーズンでの城館探訪調査、冬季間からの準備やら探訪城館跡の予定をあれこれ考えていたつもりであったが、当初の目論見よりは少ない探訪数となってしまいました。

 そんな中、もう一箇所か二箇所、特に土淵町の角城館か附馬牛町の大萩大館、もしくは小友町の奥友館、この中の何処かはなんとしてもこの春に探訪したい、そんな衝動に駆られ、まずは角城館へ・・・・・。

 ところがかなり山城、それならばと海上~西内線の林道を使って上部から攻めてみようと試みるも、下から見るのと大違い、場所の特定ができない・・・涙・・ならば西内まで行って下から館と林道の特定をと思うも、なな・・なんと林道が途中までしかない、遥か遠くに真新しい林道が見えるが海上側と西内側別々に道路工事をしている模様、つまりまだ繋がっていない・・・仕方なくUターン、眺めの良い場所から下記の画像を撮影・・・。


直下は土淵町本宿と思われ、田んぼは土淵中学校の先付近、うずらこ峠の向うの集落は飯豊、沢田地区

 その後、いったん駒木に出るとそのまま附馬牛町へ・・・途中で奥友館を一気に攻めてみようと思い立ち、砂子沢、鷹鳥屋と抜けて小友へ・・・なかなかの厳しい山登りは付きものながら小学校、中学校、地区センターに保育園・・と公共機関がすぐ近くにあるということで、何かあっても安心と考えてのことでもありますが、ゴム長に派手目の色の服装に髭面、さらに首からカメラを提げている、これは思いっきり不審者であろう・・・汗・・・しかも中学校か・・・運動会の練習中でもあり、昨今はビデオカメラ撮影など何かと制約がかけられる時代、カメラを持った不審者と間違われても致し方ないかもしれません。

 ここはそそくさと登口の詮議などしていられない、とにかく直ちに斜面を真っ直ぐ駆け上がりました。

 ということで少しキツイ山城ながら、空堀は三重、遺構の状態は良好とはいえないが、なかなかの好印象の館跡でもありました。


奥友館中腹からみた岩龍神社


三重掘の一重目空堀跡


土塁跡・・・頂部平場背面

 主郭と思われる平場背部は遠野規格ならば直ぐに堀が切られているが、奥友館は土塁が階段状に設けられ・・・というより階段状に斜面を切岸している。
 土塁の最終地点に空堀、さらに土塁を4段程度構築して二重目の空堀、さらに小さめの平場があって三重目の空堀・・・少し他の城館とも異なる造り・・・松崎町の光興寺館に似ている印象を持ちましたが、よく考えれば青笹町の花館の背面の造りの方がよい近いかもしれません。
 まだまだ遠野の中世城館は盛りだくさん、晩秋の再開が楽しみでもあり弾みがついた感じでもあります。

 一応終了といいながらももう数箇所、もし回れたら探訪してみたい・・・です。
 
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桜まだまだ・・・。

2006-05-09 23:34:52 | 遠野
 職場の花見会が開催されました、
 本日もジンギスカン・・・週に4回目ということで流石に呆れながらもしっかりと食べました。
 まずは過ぎ行く遠野の春に・・・


我家からみた福泉寺の桜
昔は月夜の晩は白く浮かび上がり。真昼の様・・・大袈裟・・・でも結構明るく日中は花見客が大勢でしたよ。



駒木小学校付近・・梅と早池峰
今年は梅より桜が咲くといった珍現象が発生・・・。


 本日は職場の花見会・・・ジンギスカン桜・・・惜しみ行く遠野の桜を愛でておりましたが、まだなんとか持ち応える桜も有・・今週末まではなんとかなるでしょう・・・。

 画像は「たかむろ水光園の濁酒」・・・これって結構効きました。



ということで10日、11日は野暮用のため、宮城県、北関東方面に出かける為、更新は滞ります。
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黄金週間終了

2006-05-07 17:34:29 | 遠野
 仕事柄、ゴールデンウイークやら盆、正月といわれる国民的に騒がれます休みには縁が遠いながら、今年のゴールデンウイークは5月4日からたまたまの休みが当たって4連休・・・また前半の5月1日、2日も休みで、人並みにそれなりの連休を過ごすことができました。

 連休最後となる7日、朝から雨・・・家族は義妹の家に泊りがけで遊びに行っており、我家には飼猫のネネと自分だけ・・・おっと長女も居たな・・・。

 雨も上がったので地域の桜でも・・・と思い・・・


旧駒木小学校跡地のしだれ桜


我家の庭から・・・

 5月1日、2日は今時期恒例の遠野城館跡めぐり・・・八戸市在住の睦月庵さんをお迎えしての探訪、夜の懇親会は遠野名物ジンギスカン、夜遅くまで歴史談義やら趣味の話しで盛り上がりました。
 次回は晩秋の頃か・・・地道でマイナーな内容、いつか我々のこの調べが後世の方々の歴史分野での指針になるのか、何かしら評価が下されるのか、或いはただの好きモノ、変わり者で無視されつづけるのか・・・しかし、私は体力と気力が続く限り、少しずつでもいいから、数年を要してでも調べ上げたい、探訪したいと固く心に誓っております。

 5月4日までは晴天、遠野の桜も一気に開いてよい季節を迎えておりました。
 翌5日は菩提寺福泉寺での行事をこなし、満開に近い桜の名所もかなりの人手、地元テレビ局の取材でも住職さんが言っておられましたが、今年の花は例年よりは見事の一言、花は10日までは大丈夫、今週末でも若干花が残されているものと思います。

 5日の夜には遠野発信、関連ブログ管理人さん達との懇親会、宮城県や静岡県からもご参加いただき、ジンギスカンにておもてなし、遠野に精通された皆様との懇談は有意義かつ楽しいものでした。
 かなり飲みすぎて醜態をさらしたり、翌日の二日酔いは凄まじく一日棒に振ってしまった・・・・。

 さて、遠野城館めぐりで出逢った動物達・・・

花舘で出逢った天然記念物カモシカ・・・八戸市睦月庵さん撮影


小友鷹鳥屋で出逢ったテン


どちらも八戸市睦月庵さん撮影


 世間でいう連休も終了、明日から仕事だ~・・・・頑張ろうぜ・・。
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ぶれんどの怪・・会

2006-05-06 18:32:19 | 遠野
 5月5日、夜・・・遠野関連ブログ、サイト管理人5名で懇親会を行いました。
 今回も私、とらねこ、ロミ猫氏、うめ猫氏の遠野勢に遠くからご参加いただいた山猫氏、たま猫氏の顔ぶれとなりました。

 ジンギスカンで始まって、カラオケ・・・従姉妹と何処かの飲屋さんで会ったこと、駒木の若い衆と会ったことはおぼろげながら記憶はありますが、あとはほとんど覚ええていない、翌日の二日酔いは最たるもので、これで車なんか運転したら酒気帯び運転間違いなし・・・汗・・・・。

 午前中一杯はグタグタして、午後水光園に行ってトロンサウナで汗をだし、そのまま昼寝・・・なんとか復調いたしました。


福泉寺からみた遠野


 懇親会ではとんでもない醜態をさらしていなければいいのですが・・・とにかくよく飲んで酔いつぶれた夜でした・・・汗



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花祭り

2006-05-05 16:36:03 | 遠野
 二日続けての青空がつづいたが、本日は薄曇り・・・そんな中、菩提寺福泉寺恒例の花まつりが行われました。

 今年は、まだ福泉寺境内の桜は満開となっていないが、それでも花祭りが行われた大観音堂付近の桜は八分咲きか・・・天候がイマイチながら少し画像をゲットいたしましたので、福泉寺の桜をご紹介いたします。


庫裏、本堂


大観音堂前の桜・・・8分咲き


アップ画像


大観音堂広場付近から天ヶ森を望む・・・。


 花祭りではいつもの役目、鐘衝き係、役目も終えて折り詰めをいただいて自宅にて昼食・・・。
 いやぁ~・・・超うっかり・・・午後からテレビ岩手の撮影が福泉寺にて行われる予定、逆取材でも・・・笑・・・少しテレビにでも映ってやろうと思っていたが、昼食を食べたらすっかり忘れていた・・・。

 テレビ岩手「徳盛5きげんテレビ」で福泉寺の桜が放映されていた・・・他にも福泉寺の見所もご紹介・・・それにしてもうっかりしていた・・・残念。

 今夜は遠野関連ブログ、サイト管理者の方々との懇親会、親不孝通りに繰り出す予定・・・福泉寺からのテレビ生放送では「月夜の晩の福泉寺」とあんべ光俊さんの「遠野物語」を紹介していたが、「こりゃ、遠野物語のうだっこでもやんねばねえべな・・笑」 。
 
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人を撃つ弾は放たず「五葉山火縄銃鉄砲隊」

2006-05-04 15:42:53 | 遠野
 遠野さくら祭りメインイベントとの位置付けの「遠野南部氏入部行列」は勤務のため参加も取材もできず・・・・しかし、今年は4日から7日までたまたま休みにあたり、世間並みに連休を過ごせそうでもある。

 さて、さくら祭りでのイベント、南部神社例大祭にあわせて、南部神社(鍋倉城址)境内において、郷土芸能競演会が開催されましたが、私のお目当てはお隣、気仙郡住田町の「五葉山火縄銃鉄砲隊」の演技、昼前に原野火災が発生し、職場に呼び出されたが、なんとか間に合いました。

 晴天、しかも桜も開花、南部鶴(遠野南部家家紋、南部向鶴)の旗も青空にたなびいている。



 おっと、そこへ南で境を接する大国、伊達藩の軍勢が「竹に雀」の軍旗をひるがえして、遠野南部家の牙城、鍋倉城へ攻め込んできた・・・。



 大胆にも鍋倉城へ攻め込んできたのは、気仙住田の五葉山火縄銃鉄砲隊の精鋭達・・・・



 さて、伊達藩は江戸時代、独眼龍の異名を持つ伊達政宗が藩祖であり、徳川幕府に継ぐ巨大軍事力を有し、しかも鉄砲大藩ともいわれる。
 遠野の隣、住田町、大船渡市、釜石市にまたがる五葉山は伊達藩直轄地とされ、その名も御用山、火縄の生産日本一だったと伝えられます。

 五葉山麓の集落には伊達藩から自衛の為として火縄銃十数丁を与えられたとされますが、北で境を接する南部藩対策、しかもそれは遠野南部家を意識してのことと思われます。

 いよいよ演武・・・


 すさまじい轟音・・・流石に生で、しかも至近距離からの鉄砲の轟音でシャッターを押しそびれた・・・。


三段撃ち

轟音とすさまじい煙・・・迫力があります。


伊達家鉄砲隊秘技・・・つるべ撃ち

 遠野南部家も八戸から遠野へ入部した際、25丁の火縄銃を持ち込んでいたと伝えられる。
 まさに虎の子の最強兵器といった位置付け、遠野南部鉄砲同心隊とでも名付けて隊を発足させ五葉山鉄砲隊と競演なんていうのも良いかもしれない。


 この迫力・・・・お城の二の丸に眠る歴代当主、さらに南部神社祭神の勤皇八世も伊達勢の鉄砲で度肝が抜かれたのではないでしょうか・・・。


演武が終了し、祭神に一礼・・・・南部藩にしてみれば昔は仮想敵国たる伊達藩、その伊達勢が遠野南部氏歴代を祀る神社本殿に一礼・・・さすが礼を重んずる伊達武士である。

 最後に五葉山火縄銃鉄砲隊は「人を撃つ弾は放たず、自らの邪念を撃ち、神仏に感謝の念と加護を吹き込む弾を放つ也」・・・by とらねこ

 近隣同士の争いのない時代、南部鶴も隣国伊達藩との友好、うれしいに違いない・・・。
 
 
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遠野郷舘めぐりP5(春の陣)

2006-05-02 20:17:59 | 歴史・民俗
 毎年、春と晩秋恒例の遠野郷城館跡探訪、題して遠野郷舘めぐり春の陣を5月1日、2日に開催、今回で4度目のご案内であります八戸市在住の睦月庵氏をお迎えしての舘跡探訪となりました。

 今回は初日午後の半日と翌日午前の半日、正味一日といった探訪でしたが・・・
 火渡舘(附馬牛)・山口舘(土淵)・鼻舘(青笹)・・・5/1
 林崎舘(上郷)・鷹鳥屋舘(小友)・南舘(小友)・・・5/2
 以上の6箇所を探訪調査いたしました。

 探訪記並びに調査報告的な内容は、後日、本編サイト「遠野松崎じぇんご弐」に掲載予定でもあります。


火渡舘の空堀跡・・・画像では二重しか見えませんが三重掘です。


南舘本丸から小友町山谷集落を望む・・・。

 今回の舘跡探訪、例年よりは少ない探訪箇所ではありましたが、中身が充実、ひとつの舘跡に一時間以上も滞在し、丹念に測量したり画像収集、さらに現場にてそれぞれの見解やらを披露したりとその本質に迫るといった内容でもありました。

 それでも鼻舘に関しては、三度目の探訪ながら前回に描いた図面が違っていたりと、まだまだ調べが必要な舘だと再認識いたしました。
 また他の舘跡も前回の調べでは気が付かなかった遺構の発見などもあったり、それほど期待していなかった舘跡ながら、実はすばらしい堀等をもつ貴重な史跡であったりとかなりの収穫がございました。

 舘跡が存在する集落においても、その場所が舘跡だと認識しているのは地元の古老達、山林所有者くらいではなかろうか、「山に溝があったから、それがどうした」と思われることでもありますが、ほんの少しだけでも古に伝えられ守られた舘跡が「おらほの近所にもあっつ・・」くらいは頭の隅にでも入れておいても損はないのかな・・・・なんて考えたりもいたしました。

 話はかわりますが、今回も鼻舘で「アオズス・・(カモシカ)」を目撃、僅か十数メートルの距離、前回の単独にての探訪で私を驚かせ斜面から転げ落とさせた奴に違いない・・・逃げる気配がなかったが、私が写した十数枚の画像のほとんどはピンボケばかり、落ち着いていたと自負するも画像のボケ具合から当方もかなり動揺していたかもしれません。


ボケてますが一応カモシカ

 さらに小友鷹鳥屋ではオレンジ色に光り輝く「テン」と遭遇、私は運転していたため画像は撮れませんでしたが、睦月庵さんがしっかりとかなりの数の画像をゲット、後で一枚譲り受けてブログで公開したい思います。
 猫と柴犬の間くらいの大きさか、最初は狐かと思ったくらいでしたが、結構大きかったですよ。

 今回もカモシカにテン、蛇にキジ、隼と動物達との遭遇がありましたが熊でなくてよかったです・・・・。

 今回の舘跡探訪で春の部は一応終了のつもりではあるが、もう二箇所くらいはこの連休中、直後に訪ねるかもしれません。
 後は今年の11月中頃まで舘跡調査は一端お休みとなります。

 睦月庵さんを新花巻駅に送っていった帰り、綾織町の今時期の風景・・・・

 
 夜の部の懇親会でも大いに盛り上がり、舘跡関連でもなかなかのご意見やらご見解もいただき、今後の探訪、考察にも一層力が入りそうでもあります。
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