「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

武家の俸禄(給与)

2006-11-15 19:58:16 | 歴史・民俗
 朝5時、屋根から「ドスン、ドスン」と何か落ちる音で目が覚めましたが、これは・・・と思い窓を開けますと、今季初、里に積雪となっておりました。
 積雪2~3センチといったところですかね、これは冬タイヤを装着しなければと早速タイヤ交換作業を開始、しかし、ナットが弛まない箇所有、おまけにナットの頭を少しナメてしまった(ペロ~ンではありませんよ、角を削ってしまった)。

午前6時15分・・・天ヶ森方向


 結局、タイヤ交換は工場にてしていただきました。

 備えあれば憂い無し・・・根雪までは少し間があると思いますが、遠野ということで朝晩の道路凍結もありますからね。

 午前10時・・・六角牛山


 同時刻・・・高楢山

 陽が差しますとほぼ雪は消え、青空も広がりだしましたが、お昼頃に小雨模様、なんとか天候は回復しましたが、今度は冷え込んできている。
 朝晩の道路の凍結も考えられ、早めのタイヤ交換、正解かもしれません。


 本題・・・「武家の俸禄(給与)」

 遠野南部家時代の遠野、南部藩の一家臣の所領ながら1万2千7百余り、藩中藩といわれるように独自の行政スタイルが許され、多くの家臣が遠野南部家に仕えておりましたが云わば陪臣となります。
 
 この時代は石高制であり、石を単位とし、家臣達への俸禄は金銭ではなく米を単位としておりました。
 知行というものがございますが、武家は与えられた土地と百姓を支配したことになりますが、土地も田畑も決められておりました。
 例えば、知行所駒木村に10石という風な具合ですが・・・

 南部藩では6公4私(6が武家・4が百姓の取分)、遠野では5公5私なそうで武家、百姓半々ということになります。

 一石とは知行田一反歩あたりの米の収穫量となりますが、10斗とされております。(無論、時代変化により収穫量も増えておりますが・・・)

 1石ですと、10斗が収穫量としますと武家の取り分が半分の5斗になりますが、お取り上げと称して当局から1斗5升が差し引かれます。
 いわば所得税みたいなものですね。
 ですから実収は3斗5升となります。

 10石取りの武家ですと、3.5斗×10石で3.5石が実収となります。

 1斗が約15キロ、3.5石の実収が35斗ですから、米525キロとなります。
 
 平成南部藩HP式の現代価値に換算しますと1石(1反歩)約10万円、3.5石ですと35万円の年収となりますが、これでは一家が生活するにはかなり厳しい金額でもあります。(現代感覚であればですよ)
 共稼ぎ及びアルバイトしてもかなり厳しいですな。

 他に現(玄)米での駄(1駄)・・・馬一頭に運べる荷となりますが、米では2俵(7斗)ということになります。
 知行地をいただく武家の2石に相当することになりますが遠野における駄の基準は未確認。

 扶持
 扶持米というのがございます。三人扶持とかよくいいますが、一人扶持は全国ではひとり一日5合とされてますが、遠野では2合5せき。
 

 米で一石、麦、粟、稗の雑穀では2倍、蕎麦では3倍で換算したとか。

 現代でいう地方公務員たる遠野南部家臣団、今でいう事件や事故、問題を起こせば減禄、甚だしい場合は懲戒免職にあたる家禄没収、さらに切腹という場面も想定され、頭の痛い内容ながら今の公務員は恵まれているかもしれません。

 また、少しくらいの手柄では加増も見込めず、先祖代々下級武士、上級家臣は出来が少しくらい悪くても高禄を食む家柄であり、ある程度のレールも決まっていて、武士もたいへんだったものと思います。

 ということで、今宵はここまで・・・・。


おまけ

恥かしがりやのネネ


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消えた銘刀

2006-11-14 13:03:09 | 歴史・民俗
 遠野盆地にも初雪、積雪に至るといったことではありませんでしたが、自動車整備工場、タイヤ屋さん、ガソリンスタンドとタイヤ交換も忙しい時期を迎えているようです。
 私も、今週末にでも冬タイヤに交換予定です・・来週かも・・汗

 さて、前回につづき、またもや母親の実家のお話しですが・・・・

 母親の実家には、家宝というべき銘刀があったといわれております。
 その名も「備前則光」の大刀・・・・。

 戦後間もない頃、大叔父がこの刀を持ち歩いているところを警察に没収されたとかで、家人の再三に渡る返却要求に対し、のらりくらりの対応、最後は知らぬ存ぜぬの態度で銘刀は行方知れず・・・とのこと。

 大叔父が若い頃(コロコロと記憶が曖昧ながら当時17歳とか)、地域の若者グループの親分のような存在で、その権威といいますか、皆とは少し違うといった態度をみせるために時折、家宝の刀を持ち出していたとか。

 さらに地元の鹿踊りでの太刀振りでは、この真剣を使って踊るといったことで、鹿頭のカンナガラがサッと切れて宙に舞うといったリアルさ、こんなことからいつしか大叔父は警察にマークされる存在になったのであろう・・・。

 間もなく今でいう補導というやつか、持っていた刀は没収されるも本人は大した取調べもなく放免・・・家宝の刀の没収を知ると家人が警察署に出向くも、しばらく預かる等の一点張り、その後何度となく足を運んだそうですが、ついに返してもらえず・・・というよりその行方も教えてもらえず・・・当時から個人的に警察官の誰かが自分のモノにしたか、処分しただろうという疑念を持っているようです。


 この、銘刀備前則光・・・
 幕末の頃か明治維新直後に遠野領主であった遠野南部第11代、南部弥六郎済賢公(なんぶやろくろうただかた)の御舎弟、南部富治公との縁が口伝で伝えられている。

 富治公は、宮守に2百石を与えられ分家していたそうですが、住まいは遠野城下、趣味といいますか、実益も兼ねているのか、狩猟や漁が日課で、綾織の新里の地まで馬でやって来ては雉や山鳥の罠を仕掛けたり、猿ヶ石川で釣りや網をかけたりしていたそうです。

 母親の実家の先祖は、これらのお相手を務めたり、家を休憩場所として提供したりと随分と親しくさせていただいていたそうです。

 ある日、川漁が大漁で、急遽宴席が設けられたそうですが、富治公は大酒を飲みすぎてダウン、城下から家来が迎えに来たそうですが、その際に腰のモノを忘れて行ったとか・・・・しかし、それからしばらく富治公の姿は見えない、一応お預かりといった思いながらも、そのうちに届けようと考えていた矢先に、日頃世話になっているので、そのまま下渡すとなったとか・・・・以来、家宝となったものなそうです・・・・    
                          大叔母、大叔父談・・。







 伝来の甲冑

 かなりくたびれておりますが、本来はこの甲冑の横に銘刀も飾られていたはず・・・・。



今月25日(土)遠野ぶれんどの集いが開催されますが、翌日の26日(日)に遠野郷郷土芸能競演会が開催されるようです。
遠野まつり以来の郷土芸能の競演、今年最後の舞い納めという団体も多いと思います。
遠野ぶれんど会と郷土芸能競演会を楽しむ、これも良いのではないですかね・・。

いずれ遠野ぶれんどの集い・・・20日までの参加受付となっておりますので、よろしくお願いします。

開催要項は11月7日のエントリーまたは「ふしぎの里遠野を行く」「山猫を探す人」「くさぐさ・遠野落穂拾」のリンクされております各ブログのエントリー記事を参照願います。 
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仏事・神事の日

2006-11-12 14:23:35 | 歴史・民俗
 雨が上がったと思ったら木枯らし・・・鼻水タラタラ・・・でまずは早朝、消防団の機関運用訓練、私の担当は第4分団(附馬牛町)。


 今回は油火災での泡消火剤と中継送水を主に実施いたしました。
 団員の皆様、ご苦労様でした。


 消防団の訓練終了後、即帰宅、母親を車に乗せて綾織町の日影集落へ・・・。
 
 本日は母親の実家宅で母親からみれば祖父の50回忌とかで、主な親戚にてお墓参り、それと母親の実家が別当を勤める西風舘八幡様の社を建替えたということで、その神事、まさに仏事と神事が一緒というなんとも慌しい午前中でもありました。

 まずは・・・


 
 母親からすれば祖父、私からすれば曽祖父の50回忌ということで、母方の叔父、叔母、それと大叔父、大叔母等でお墓参り、既に菩提寺(大慈寺)の和尚さんからは数日前に拝んでいただいたとかで、我々のみで墓参り・・・。



 檀那様の文字が見えると思います。これ母親の実家の屋号です。
 檀那様・・というなんともいえない屋号、遠野南部家時代は武士の家系で綾織の新里、この地に住んでいたことから明治維新後は地域の農家の皆様から檀那様と呼ばれていたとかで、そのまま屋号になったそうです。

 10時から仏事、今度は新しく建替えられた八幡社の神事・・・。







 工藤宅(母の実家)裏山に鎮座している西風舘八幡、母親の記憶によると萱葺屋根の造りで、出征する若い兵隊さんが家族でお参りする姿や初詣に参拝する人達の姿がかつてはみられたそうですし、後に萱葺をトタン葺きに・・・そして今回の建替えとなったようでもあります。

 この場所は阿曽沼時代の中世城館跡の一角でもあり、何度か私も足を踏み入れておりますが、社は扉はなく、だいぶ痛んでおりましたし、誰も最近は来た形跡がないほど周囲も荒れておりました。(西風舘)

 昔は西風舘の舘神様だったと思いますが、こうして復興したこと、喜ばしいものと思います。

 
 11時30分、親戚をはじめ地域の方々が集まり、宮司様も到着されて、いよいよ神事・・・。





 ちなみに宮司さんは石上神社の宮司さんでした。

 午後は、地域の方々は大根城下の集落公民館で直会兼秋仕舞会、家の方々、親戚は工藤家で直会兼法事の会食・・・神仏習合とはこのことか・・・・今回は一家から一人とのことで、母親の実家でもありますから母親が最後まで出席、私は取材のみで帰宅いたしました。


おまけ・・・

今回のお宅は・・・



大根、茄子のシャチホコのお宅・・・・画像はその裏側から・・・。

猫のごんべえ


 ♂猫・・・御歳いくつになるのだろう・・・10歳は確実に超えておりますが、15歳も過ぎているかもしれません。
 かつては地域の大ボスとして君臨しただろう風貌がありましたが、今日見たら身体はかなり小さくなり、弱々しく動きも遅い・・・・しかしたまに庭の池の鯉やら虹鱒を捕まえて食べているとか・・・我家のネネとは鍛え方が違うようです。

 何年か前、ごんべえは半家猫でもあり、家の中も自由に往来できたらしいが、従兄弟が飼っていたハムスター二匹を食べてしまったとかで、家族のひんしゅくを買い、以来外猫となった由・・・・。

 
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白い冬

2006-11-11 17:45:24 | 思いで
白い冬     作詞 工藤忠幸  作曲 山木康世


一人で想う 秋はもう深く
過ぎ去れば 空しく消えた日々
あなたに逢えた 秋はもう遠く
迎えつつあるは 悲しい白い冬

一人で暮らす 冬は早や涙
想い出せば 空しく消えた日々
あなたを愛した 秋はもう去って
感じるものは 悲しい白い冬

もう忘れた 全て あなたの事は
秋の枯れ葉の中に捨てた






 フォークディオ「ふきのとう」のデビュー曲「白い冬」
 
 中学生だった私には、詩の意味がよく理解できなかったが、どこかもの悲しくもあり切ない・・・・という雰囲気は少しだけ感じていたのだろうと思ってます。

 この曲との再会は社会人となってから何かのラジオ番組で聴いたと記憶している。
 その時、「もう忘れた 全て あなたの事は秋の枯れ葉の中に捨てた」

 このフレーズがやけに当時の自分の気持ちを代弁しているかのようで、好きになった曲のひとつでもありました。

 ふきのとう・・・バッケのことですが、北国出身のフォークディオらしいネーミング、他に代表曲は「春雷」「風来坊」・・・等

 画像は枯葉のシーズン、まさに全て枯葉の中に捨てれば見つからない・・かな・・・?
 
 遠野も間もなく、ほんと白い冬が訪れます。


 おまけ・・・



 飼猫のネネが8日の早朝、散歩に出かけたようですが、その日の夜もそして翌日も帰宅せず・・・・。
 夕方には帰ってくるのか・・・と思いきや、全くその兆しも見えないことから、懐中電灯持参で末娘と探し歩く・・・が見つからず・・・最悪の事態も考えてしまう・・・娘と早朝早く起きてもう一度探しに行くことにしてましたが、暗いうちから目が覚めて寝た気がしない・・・空も白みはじめた頃、微かに泣き声が・・・山の神さんが先に飛び起きて玄関を開けると元気な姿が・・・・涙

 48時間ぶりのご帰還・・・今は家猫に徹して寝ております。


さらにおまけもうひとつ・・・

遠野ぶれんどの集い・・・11月7日エントリー記事参照のこと
講師先生、私も含んで今のところ12名となっております。(11月11日現在)
 

会場のあえりあ遠野

 
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その時・・・「遠野物語」

2006-11-09 13:57:04 | 遠野
 8日夜放映のNHK「その時歴史は動いた」柳田國男が取り上げられ、遠野物語の刊行を「その時」としておりました。
 実に興味深い内容だった印象でもありますが、番組でのナビ役、作家の立松和平氏が結んだ見解、明治末期における西洋文化の広がり、遠野の地に伝えられる昔話、習慣、伝承を紹介することにより、日本人の心、その原点を忘れがちな人々への警鐘を鳴らすものだったこと、さらに現代社会は遠野物語が世にでた時代よりもさらに深刻であることを述べられておりました。



 古きものを残しながら新しきものを見出す、これが理想でもあると思います。

 幸、遠野は遠野物語という書籍によって広く全国に知られる存在となり、日本の原風景が今も残される懐かしい景色を観ることができます。
 一重に遠野物語という一冊の本が与えた恩恵かもしれません。
 遠野物語がなかったらただの田舎ということになりますかね。



 私は日本の原風景が残される現風景の遠野・・・未来に向かっての現風景の遠野を見せていく・・・この中には古き時代の原風景の遠野も含まれますが、今現在の遠野も大事にしたい、無論未来像も据えながらですが、これが理想かと思ってます・・・・。



 まっ、今回の番組、興味深く拝見しましたが、遠野人たる私的にはそれほど遠野が出てきたわけでもなく、物足りなさを感じました・・・・これ本音です・・・笑



 おまけ

 朝の濃霧が晴れますと、雲ひとつない快晴の遠野・・・前日には周囲の山々に初冠雪がございましたが、本日はほとんど消えて確認できません。

早池峰山・・・少しだけ冠雪があるのが確認できます。


伝承園
 


遠野ぶれんどの集い
 遠野発信ブログ、遠野関連ブログ等の管理人さん、そしてこれらブログにコメントいただく皆様とが集う親睦会を開催することになりました。

日時  平成18年11月25日(土)午後6時から
場所  あえりあ遠野 2階やまぼうし
会費  男性4千円・女性2千5百円
    (ノンアルコールの男性は女性と同じ会費)

その他 
 開会後、遠野物語研究所の先生から遠野物語の世界と遠野(仮題)を30分程度の講話をいただきます。
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第1回 遠野ぶれんど会

2006-11-07 20:05:19 | 
 飼猫のネネ(♂2歳2ヶ月)



 成猫といった雰囲気は十分、落ち着きはらった姿ながら・・・



 普段はこんな感じです・・・汗

さて・・・・

第1回 遠野ぶれんど(遠野ブログの会)の集い


 遠野発信ブログ、遠野関連ブログ等の管理人さん、そしてこれらブログにコメントいただく皆様とが集う親睦会を開催することになりました。

日時  平成18年11月25日(土)午後6時から
場所  あえりあ遠野 2階やまぼうし
会費  男性4千円・女性2千5百円
    (ノンアルコールの男性は女性と同じ会費)

その他 
 開会後、遠野物語研究所の先生から遠野物語の世界と遠野(仮題)を30分程度の講話をいただきます。
 

 堅苦しくなく、気兼ねなく参加者が懇談できる場を想定しておりますので、ご参加よろしくお願いします。
遠野市外からご参加の場合、宿泊等の御用命がございましたら、お問い合わせください。少しだけ割安にてお泊りいただくお宿を確保できるかもしれません。
 
 参加表明につきましては、当ブログにてコメント或いはメールでお願いします。

jengo2@mail.goo.ne.jp

 準備の都合上、11月20日までにお願いします。
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ほでなす

2006-11-06 19:44:52 | 遠野
 遠野の紅葉、今季はおそらくこれが最後の画像になるものと思います。
 山々を彩った黄色、橙、赤は茶色に変色し落葉が目につく今日この頃です。


11月4日 福泉寺庫裏付近



11月6日 宮守観音付近

そして
11月4日の画像ですが、福泉寺参道・・落葉が目だっております。




 さて・・・本題の「ほでなす」
 
 ほでなす・・・といえば職場の元上司に皆に「ほでなす」と陰口を叩かれていた御仁がおりましたが、失礼なことながら、遠野の方言での「ほでなす、ほんでなす」を地で行っておりました・・・・笑

 方言で「ほでね・ほんでねぇ」・・すなわち「わからない・わかりません」が訳となるものと思いますが、ここでの「ほでなす」は、わけのわからない奴とかズバリ馬鹿者、頑な何かがある人・・・といった意味になろうかと思います。
 
 無論、現在も結構遠野では使われている方言でもあります。


 画像のナスと「ほでなす」は関係ございません。

 大根城のナス御殿の茄子・・・裏側から・・・笑



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遠野物語の殿堂

2006-11-04 22:53:14 | その他
 街場のエントリーが少ない当ブログ、本日は野暮用にて遠野昔話村内の遠野物語研究所へと足を運んで参りましたので少しだけ街場の雰囲気を・・・。



 遠野物語研究の殿堂、遠野物語の地での遠野から研究成果を発信、これに勝るものはないだろうと思います。
 常駐の研究員の先生が輪番で待機、この日、私は別用で訪ねましたが、要件以外にも色々とお話しを伺うことができまして、有意義な訪問でもありました。

 今回の用向きについては、後日の告知エントリーにて明らかになろうかと思います。

あえりあ遠野


昔話村の紅葉



 遠野物語といえば個人的には、この方を外すことはできません。
 当ブログとリンクいただいております山猫さん、物語の舞台となった地を単独で探訪、遠野物語に魅せられた遠野フリークの中でも硬派な存在・・・・。

 今月も早々、駿河の国から蒼い流星号にて遠野入り・・・今回もハードなコースを挑まれたとか・・・・。
 
 さて、今回は宝飯先輩の導きで懇親会・・・・二次会こそ出来ませんでしたが・・・・・




 群雄相集う・・・まさに遠野物語の殿堂に相応しいお二人といった印象です・・・笑・・・・21時40分解散・・・早いですかね・・・笑
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カモン・・家紋

2006-11-02 20:15:29 | 歴史・民俗
 題して家紋な風景・壱

 家紋といえばたまに目にするもの、冠婚葬祭での紋付、礼服でのネクタイ、ネクタイピン、あとは墓石ですかね・・・。
 私の場合はそんなところですが、車で走っていると割と土蔵に家紋をいれているお宅、屋根瓦にも家紋、といった風景をよく目にしたりもします。
 今回のエントリーは土蔵や瓦屋根等の家紋のいくつかをご紹介いたします。

 ちなみに南部囃子や田植踊り等の郷土芸能関連でもみることができます。


まずは我家の瓦屋根の家紋・・・あまりにも遠野に多い家紋・・・そう菊池姓のほとんどがこの家紋(丸に違い鷹羽)・・・他に阿部姓・・・。








片喰紋(かたばみ)



剣花菱紋




並び鷹羽・・・菊池氏の嫡流家、総本家の紋章という位置付けながら、身近にこの家紋があることが驚きです・・・笑




庵木瓜


 こちらはシャッターの上部に・・・。



木瓜紋・・・遠野で最大規模の売場面積を誇る某スーパーの家紋(四方木瓜)



 ということで、単に家紋を並べただけのエントリーとなりましたが、土蔵の家紋は比較的最近に建築された土蔵、壁の塗りなおしをした土蔵等、新しい土蔵に付いているようです。
 また在郷の農家の土蔵には反対側は屋号が入ったもの・・(例えば宮洞が屋号ならば宮とか)、そして一方は家紋になっているところも結構ありました。

 こういった土蔵の家紋と屋号の特集とか、遠野で確認できる家紋のすべてとかの特集もまた面白いかもしれません。
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紅葉終盤

2006-11-01 21:20:08 | 遠野
 今年の紅葉は色持ちが良いといいますか、例年に比べると色合いも綺麗かな・・と思ってます。
 裏山の福泉寺も10月中頃には山頂が見頃をむかえ、一週間後には全山ほぼ紅葉といった具合、それから早10日、11月の声を聞きましたが、もう少しは楽しめそうでもあります。
 また自宅から見える山々も流石に色はくすみかけてはおりますが、こちらももう少しだけ楽しめそうです。


天ヶ森と矢崎山


高楢山


八幡座と六角牛山


福泉寺参道付近(自宅から)




 まさに紅葉も終盤といったことでもありますが、銀杏はこれから黄色く色付く木もあって、場所によってはまだまだ秋を満喫できるかもしれません。


おまけ



 所用で盛岡へ・・・蕎麦は割と本格派、天丼もついてこのお値段・・・。

 天気同様、盛岡の所用でお会いした方は元気そのもの、安堵いたしました。
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