彼女はそんな孫の自分を見守る視線に気付くと、ふいと顔を逸らし目を閉じた。彼女の閉じた瞼にはしみじみと湧いて来る物が有る。『覚悟を決めて。』そう彼女は内心呟いた。
「これが最初じゃ無い。…そうじゃ無いか。」
思わず知らず、彼女はそう呟いていた。先に行った子はこの子が最初じゃ無いんだ。もう慣れてもよいじゃないかと、内心自分に言い聞かせた。
「目にゴミが入ってね。」
彼女は不満そうな目をして自分を見詰める孫にこう説明した。自分の濡れた瞼を拭って、彼女はそうっと目を開けた。そうして自分の瞳に映った不機嫌な孫の面差しを目に入れた。何だい『睨んでるの?』、うん?と、思わず眉を顰めた彼女だったが、ははぁんと直ぐに思い当たった。
「直ぐに顔に出る子だよ。」
『お前は。』と内心呟く。そんな彼女はふふっと顔に笑顔を浮かべた。親の心…、否、孫だから祖父母の心か、「知らずだよ、お前は。」。孫は益々不満気に眉を顰めると、何の事かと彼女に訊いて来た。
その後祖母である彼女は曖昧な返答をして、さも戯れを装うと孫を煙に巻いた。これは効果的面で、孫の顔はすっかり曖昧模糊として誤魔化された雰囲気となった。そんな孫を窺いつつ、頃合いを見て、彼女は自身の両手で恐る恐ると言う様に自分の孫の両手を交互に弄ってみる。くれぐれも子の容体を探っているのだと、この子供自身に気付かれないようにと案じながら…。
彼女はその内、その孫に触れる自分の両手がワナワナと震え出すのを自身で目の当たりにしたが、思索に耽る彼女はそれどころでは無かった。あの人の言う通りだ。最初にお父さんの言っていた通りだ。これはそんな風になるのかも知れない。落胆した彼女の声はぼんやりとしていて、彼女の吐いた吐息は正に蒼い色を含んでいるようだった。
が、流石に彼女は明治の女性だった。この昭和の時代迄、何度か起きた世間の修羅場を確りと生き抜いて来たのだ。彼女の反骨精神が、負けん気が、目の前の孫の運命を、その儘にはさせないぞと彼女の気持ちを奮起させた。未だ、現にこの子はこうやって生きているんだ!。
「お祖母ちゃん、溜息ばっかり。」
「そんなじゃ折角の運に見放されちゃうよ。」と、思い掛けず孫が彼女に声をかけて来た。この言葉は、何時も自分がベソを掻いたこの子に励ます様言っていた言葉だ。今回は嫌味たっぷりという言い回しで、この子が祖母の自分に対して反対に返して来たのだ。彼女はちょっとほくそ笑んだ。『お茶目さんめ。』。
こうやって自分が孫から逆に言われる立場に遭遇すると、彼女の張り詰めていた気持ちがふいっと高揚した。緊張が緩んだ彼女は逆に可笑しくなって、はははと内心笑ってしまった。これでゆとりが出た彼女である。
ぽっと頬を赤らめて、堪えきれずにぷっと表に迄、内面の笑いを吹き出してしまった彼女である。彼女はその反動で、自分の胸の内に大きく新しい空気が入って来るのを感じた。自分の肺がふっくらと膨らみ、自身の背筋が伸び、その身長さえも伸びた様に錯覚してしまう。自分と子供との掛け合い、こういった言葉の遣り取りの間合いなら、自分にとっては慣れっこだもの。『お任せだ』と、自負した彼女は、その身に若かりし頃の母親としての自信がなみなみと蘇って来るのを感じた。
還暦を迎えてからはもう家事を引退した彼女だ。これからは子供とは成長が逆になる、我が身は縮むばかりだ、と、遠慮する様に背を丸めて来たこの近年。これは、自分は未だ未だ遣れるのではないか、自分は積年の主婦だ、子育ても経験豊富、貫禄十分といえる身だ。「今でも縦横に私は間に合うねぇ。」と、彼女は自らを、自らに感動した。