「見ていました。この子もです。」
うん、そうだよと、廊下の方から子供の声がする。「こっちには私の他に、ほら、証人もいるんです。」私の父の声だ。「証人って、その子ですか、子供の話なんて、」と、廊下の女性の声はか弱くなり、困惑した様子に変わった。「もうよしなさい、親戚同士で。」私の祖母の声だ。どうやら祖母は廊下の揉め事の仲裁に入ったらしい。と、私は感じた。
身内の子供同士の諍いだ、何方も目くじらを立てることも無いんじゃ無いのかい。と、祖母は落ち着いた控えめな口調で言い出した。だが母さん、こっちは一部始終をちゃんと見ていたんだ。しかも2人だ。もしかしたらこの子だって、お前見ていたんじゃ無いのか?。と、父。もう1人子供がいるようだと私は感じた。誰の事だろう?。「いや、はっきりとは…。」と、言葉を濁す小さな声。男の子の声らしい。誰だろうか?、居間にいる私には誰と想像が付かなかった。
まぁ、お前はいいと父は言うと、「もうちゃんと目撃者は2人いるから。」と、同意を得られなかった事にやや残念そうな声を出した。兎に角、こっちには事の次第がハッキリと分かるんだ。そうなんだよ母さんと私の父が言えば、「そうだよお祖母ちゃん。」と、私の父に加勢する様に口を添えた子供の声。これは分かる、従兄弟の声だ、と私は頷いた。それはいつも遊んでいる、先程迄座敷にいた私の一つ歳上の従兄弟だ、父の直ぐ上の兄、三郎伯父の子である従兄弟だ。あの様子では、今現在従兄弟は廊下へ回った様子だと私は思った。
お前も四郎も、もう止めなさい。祖母はぴしゃりと叱りつけるように、私の父と従兄弟の2人を制した。が、しかし母さん、と、私の父は細々と捻出する様に言葉を続け、自分の苦情を訴えている。そんな気配だけが、居間にいる私には伝わって来た。
と、「まぁ、そんな事を、」と響いて来た女性の声、この声は祖母の声では無さそうだ、でも、一郎伯父さんの奥さんの声だろうか?、どうも聞き覚えがない。居間でのみ、話の内容も細切れ状態で私には判然としない話だ。声だけを聞く私には、やはり女性は謎の人物の儘であった。
「一寸私の前で披露して見せて下さい。」
その通りにね。よろしいですね、お母さん。と、その女性の許可を求める声。「あなたがよいと言うのなら」祖母の承諾する声が聞こえた。廊下には声のない人物もまだまだいそうだ、私はこう考えていた。私には、廊下の奥に未知の女性に母と呼ばれる女性、私の祖母から「あなた」と呼ばれる女性が、もう1人2人存在する様にも思えたのだ。
トタトタ、ぱたぱたと、床に伝わる振動のみがこちらに伝わって来る。何をしているのだろうと私は考えていたが、その内廊下から、そんな事をと、私には誰と不明な人物、女性の驚き呆れた声が上がった。もういいじゃ無いのと祖母の声。「済んだ事をここでとやかく言っても詮無いでしょう。」。祖母は相変わらずに穏やかだ。祖母は人格者だと私は好ましく思った。彼女は誰にでも優しいのだ。私はこの事に対して非常に嬉しく思うのだった。
私は先程の喧嘩腰の父に、何を興奮しているのだろうと感じると、自分に対して取る彼の日頃の態度を類推していた。その結果、『また父は何か誤解をいるのだろう。』と私は考えた。知らない人、それも女性に対して、失礼だなぁ、私は内心恥ずかしくさえ思っていた。その為その後の祖母の円満な態度は、私の気持ちに潤いと憩いを与えずには置かなかったのだ。この様に祖母は私にとっては正義であり、この家の安らぎの場で有り、無くてはならない要であった。